100人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ
「珠倫さま、お戻りになられたんですね」
部屋に戻ると春蘭がいたので、凜風は動揺が隠せなかった。
「ええ」
「凜風は、やはり疲れているようで部屋で休ませています」
どうやらその報告を伝えにきたらしい。珠倫の体調も気になるが、今はそこまでの余裕がなかった。あきらかに元気のない主に、春蘭は腰を屈め覗き込むようにして窺ってくる。
「どうされました? また他の即妃たちになにか?」
彼の問いかけに凜風は目を見張った。
(春蘭は知っていたんだ……)
珠倫にとって他の妃のお茶会は毎回、あのように好き勝手言われる場だったのだろう。あまり好きではない甘い菓子をあんなふうに強要され、持って帰ろうとすれば馬鹿にされる。
あえて自分も春蘭も連れて行かなかったのは珠倫なりの気遣いなのか。
(私、馬鹿だ)
『これね、他の即妃の方々に頂いたお菓子。凜風にあげるわ』
『ありがとうございます!』
知らなかった。珠倫がどんな思いをしていたのか。能天気に菓子をもらって喜んでいた自分が情けない。
「春蘭がいなくなって……私、やっていけるかしら」
凜風としての本音が漏れる。春蘭が去ったあと、他の女官もつくとはいえ、珠倫を守っていけるのか。
「大丈夫です、凜風がいますよ」
慰めでも苦し紛れでもない、すぐさま真っすぐな彼の言葉が耳に届き、凜風は顔を上げた。それに伴い、春蘭もゆっくり立ち上がる。
「凜風がいます。彼女は誰よりも珠倫さまを大切にし、大事に思っている。女官としても十分な働きを見せています」
いつも春蘭からは足りないところばかりを指摘されるのに、まさか彼の口からこんなふうに評価されるとは思いもしなかった。
「珠倫さまが明星宮に輿入れする際に孤児だった凜風に声をかけたとき、私は反対しました。けれどその判断が今なら間違っていたと言えます。凜風は勤勉なうえ素直で嘘がない。有能で信頼できる人間ですよ」
(やめて、やめてよ……)
目の奥が熱くなり、凜風は再びうつむく。泣きそうになるのを必死に堪え、声が出せない。
おそらく目の前にいるのが、凜風自身だったら春蘭の態度も言葉も違っていただろう。
春蘭が戸惑っているのがわかるが、顔を上げられない。そのとき不意に頭の上に温もりを感じた。手のひらの感触に驚き、顔を上げると春蘭も慌てて手を離した。
「申し訳ありません、つい……」
「い、いいえ」
気恥ずかしさで早口に答える。たったこれだけの接触になにを動揺しているのか。用件を終えた春蘭が仕事に戻るというので彼を見送り、心臓がうるさいまま部屋にひとりになった。
(なにこれ、わけがわからない)
以前、春蘭に触れられたときは勢い余って跳ね除けてしまったが、今回はそんな気になれなかった。
(でもこれ、珠倫さまの体なのよね)
もしかすると春蘭にとって珠倫とのこれくらいの接触は当たり前のものなのかもしれない。だから自分にも触れてきたのか。
その結論に達すると、今度は違う傷みが胸に走る。春蘭といると落ち着かない。凜風はひとまず元に戻る方法を探ろうと、書庫へ向かう決意をした。
最初のコメントを投稿しよう!