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なにを言われるのかとわずかに緊張が走る。すると春蘭の手がそっと髪先に触れた。
「いいですよ、俺の前では凜風で。取り繕う必要はない」
急に低い声で囁かれ、凜風は戸惑う。
「そう言ってくれたのは凜風だろう?」
『私の前では春嵐でかまいませんよ。取り繕わなくてかまいません』
どうやら春蘭は自分の言ったことを返してくれているらしい。彼なりの気遣いなのか、口調も態度も春嵐だ。
「そもそも凜風が珠倫さまになりきること自体無理があるからな」
「し、失礼ですね。これでも珠倫さまらしくいようと努力しているんです……あっ」
そこでふと先日、麗花に茶会に誘われたときのことを思い出す。あのときの態度はどう考えても珠倫のものではなかった。
「どうした?」
「えーっと」
言いかけたままで許されるはずがない。懺悔の意味も込めて、凜風は一連のやりとりを白状する。
(どうしよう。絶対に怒られる)
説明し、春嵐の反応を待つ。どう考えてもお説教される案件だ。
しかし目をつむり覚悟を決めていると、聞こえてきたのは押し殺したような笑い声だった。
「え?」
凜風の目に飛び込んできたのは、笑いを堪えている春嵐の姿だった。ややあって彼はついに噴き出す。
「それはすごいな。あの席妃と候妃に言い返すなんて。ぜひ見てみたかった」
「み、見世物じゃありませんよ!」
あまりにも予想外の反応に凜風は動揺した。怒られるどころか春嵐がこんなふうに笑っているのを初めて見る。
(春嵐ってこんなふうに笑うんだ)
じろじろと見つめるのも失礼かと思い、わずかに目線を逸らしたが凜風の心臓は強く打ちつけたままだ。頬が熱く胸が苦しい。
「凜風」
そこで不意に神妙な声色で名前を呼ばれる。笑いを収めた春嵐は打って変わって真剣な面持ちでこちらを見ていた。
「お前に伝えなければならないことがある」
「な、なに?」
動揺を悟られないように極力平然を装って返すと、春嵐は躊躇った表情を見せた。そのあと、彼の唇が動く。
「改めて、泰然さまから夜伽にと連絡があった」
まさかの事態に凜風の頭は真っ白になる。春嵐が言いにくそうにするのも無理はない。
「まだ体調がすぐれないと断ることもできるが……」
「ま、待って」
凜風は混乱する頭を押さえた。
明星宮で二度も夜伽を断るのは、下手をすると不敬とみなされる。ましてや珠倫には嬪の地位を与えられているのだ。その地位を剥奪される可能性だってでてくる。
女官の立場として冷静に状況を分析する一方で、今の状況なら夜伽をしなくてはならないのは凜風になるのだ。これは珠倫の体なのに。
(とはいえ……)
『実は……泰然さまから夜伽に召されて』
珠倫が啓明橋から落ちたのは夜伽に召されたのが原因だ。
「珠倫さまと一度、話すわ」
凜風の回答に春嵐はなにも返さなかった。
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