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真剣な眼差しで春蘭の手元を見ていると、彼女の手が止まり、不思議に思って視線を上げたらどこか物悲しげな表情が目に映った。
「それに……たまにはひとりになりたいときがあるんです」
「春蘭……」
珠倫に仕える身として、この後宮では心休まるときなどない。常に誰かの目があり、役割が与えられ、けっして自由などはないのだ。
有能で女官としては申し分のない彼女の弱音を、凜風は初めて聞いた。
「いつも誰かに囲まれているのが普通の凜風にはわからないかもしれませんが」
そこで、いつものなにかを含んだような言い方に凜風は眉をしかめる。
「それ、褒めているつもりですか?」
「一応」
涼しげに返され、春蘭とはやはりあまり気が合わないと再確認する。そこで凜風の頭になにかが当たった。
「雨です。ここは引き上げましょう」
春蘭の言葉で、雨が降ってきたのだと気づく。次の瞬間、地面を叩きつけるような大粒の雨が空から降ってきた。言葉さえ交わす余裕はない。ふたりは慌てて建物の中に入った。
凜風は春蘭と別れて自室に向かう。凜風は他の女官たち複数人との共同部屋を使用していた。
「あら、凜風。雨にやられたの?」
すぐさま他の女官に声をかけられ、凜風は苦笑した。
「うん。突然降ってくるんだもの。びっくりしちゃった」
「ほら、これで拭きなさい」
仕える相手は違えども女官同士境遇が似ている部分があり、ここでの共同生活を凜風はなかなか気に入っている。真っ新の布を受け取って髪を拭いながら、凜風はふと思い立った。
「これ借りていくね」
向かうは春蘭のところだ。彼女は他の女官たちとは別に、主である珠倫のそばに部屋をかまえている。賓という珠倫の立場もあるが、女官としても特別の待遇だ。
けれど羨む気持ちはない。それほど春蘭は優秀だった。
(いつも珠倫さまのすぐそばにいられるのは、すっごく羨ましいんだけれどね)
実は彼女の自室を訪れるのは初めてだ。今までそれほどの仲でもなかったし、春蘭は凜風にどこか距離を置いているようだったから、凜風も無理に近づく真似はしなかった。
しかし、彼女との付き合いも限りあると聞かされ、さらには体調が悪いのに雨に打たれたとなると、放ってはおけない。
「春蘭!」
声をかけることもせず、凜風は勢いよく春蘭の部屋の扉を開けた。続けて目に飛び込んできた光景に凜風の思考は停止する。
「え……」
そこには赤い長袖の漢服を脱いで上半身を晒して体を拭こうとしている春蘭の姿があった。それ自体はなんらおかしいことではない。すぐさま退散するのがどう考えても礼儀だと思うのだが、凜風はその場に硬直してしまった。
なぜなら春蘭の晒された上半身には、筋肉はしっかりついているが女性特有の丸みは一切ない。浮き出た鎖骨に広い肩幅は、服の上からでは想像できないほどにしっかりしている。
「えーっと」
混乱しながら首を傾げつい声が漏れた。次の瞬間、すごい形相で近づいてきた春蘭に口を塞がれる。
「騒がない、大声を出さないと約束しろ」
気迫あふれる声と表情に凜風はこくりと頷いた。凜風の口を覆っている春蘭の手のひらは思ったよりも大きく骨張っている。
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