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「まさかとは思いますが、珠倫さまになにか邪なことをなさってないでしょうね?」
正体を隠すためだろうが、春蘭は個室で珠倫のすぐそばにいつも控えていた。警護役も兼ねているからだと任せていたが、異性なら話は違ってくる。
「断じてありません。あの方は命の恩人の娘さんなんです。今も昔もそんな気持ち抱いたことは一切ありません」
珍しく春蘭の声には必死さが込められている。しかし凜風は瞬きひとつせず目を爛々とさせし春蘭に顔を近づけた。
「本当ですね? 白虎神や帝様に誓って言えますね?」
「ああ」
春蘭の返答に、凜風は渋々離れた。
「わかりました。信じましょう」
「凜風は本当に珠倫さまを慕っているんですね」
凜風の反応に、春蘭はしみじみと呟いた。
「当然です。私にとってもあの方は命の恩人ですから。だから心配せずともあなたの事情を他言したりはしません」
もしも春蘭が男性だと知られたら、本人はもちろん事情を知っていて後宮に連れてきた珠倫だってただでは済まない。それだけは絶対に防がねば。
「今まで悪かった。男だと知られるわけにはいかないから、凜風ともずっと距離を置くようにしていたんです」
申し訳なさそうに告げる春蘭を責める気にはなれない。元々馬が合わないと思っていたし、凜風はそこまで彼の態度を気にしていなかった。
一方で正体を知られてはいけないと彼の緊張はどれほどのものだったのか。それもあと少しで終わるのだ。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんですか?」
凜風は改めて春蘭と目を合わせる。
「あなたの本当の名前はなんて言うんですか?」
これは聞いてもいいものか。踏み込みすぎではないだろうか。そんな思いを抱きながらもつい尋ねてしまった。凜風の心配をよそに、春蘭は目を瞬かせたが躊躇う素振りは見せない。
「春嵐だ。もうずっと名乗っても呼ばれてもいないが」
「春嵐……。いい名前ですね」
わずかに異なる音に、自然と感想が漏れる。珠倫と同じく、出会ってもう四年になるが初めて春蘭と向き合えた気がした。
春嵐はふっと微笑んで凜風に手を差し出した。迷いつつ、その手に凜風はそっと自分の手を重ねる。
思ったよりもしっかり握られ、その手の感触に凜風の心臓は柄にもなく早鐘を打っていた。
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