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第一話 來りて歌え 前編
◻星へ
星系近海の手動航行域を経て、中間圏での禁制品所持に関わる諸々の検査を誤魔化すと、以て船は着陸の許可を得る。
重力という名の碇を下ろし、入念な入星手続きにて乗組員全員がもれなくお尋ね者ではないと詐称し、あたかも無辜の旅人であるが如く振る舞って、一夜城みたいな仮設ポータルに船を預ける。
入星にかかる一連の重犯罪を滞りなく終えることに、お尋ね者のミケはすっかり慣れたものだった。
ポータルサイドの壁面パネルに表示された自分たちの指名手配写真に軽くウインクをして、今日のところは旅人Aということになっている同じくお尋ね者のライメイを傍らに、無味乾燥のポータル出口を目指す。
ポータル名物のツン、と鼻の奥を刺す攻撃的な清潔臭は、滅菌路の匂いなのか、それとも港内に入り混じる色んな船から持ち込まれた生活臭なのかそれをごまかすための何かなのか。もしくはその全部のブレンドなのか。わからないけれど、連盟が造ったポータル内の充填物質は防疫のため全て同じものに統一されているせいで、どこのポータルに降りてもあまり新天地に着いた、という気分にならない。こんな、昨日造ったみたいなピカピカの無人ポータルはとくに、とミケは構内のぐるりを見回しながら浅いため息を吐いた。
禁制品チェックを誤魔化すのも、一般人に化けるのも、防疫検査だけ真面目に受けるのも、企業系列コロニーに着陸する時と同じ工程。港内の造りも、匂いもみんな一緒。
だから、ただポータルに降りたくらいではコロニーも星も感動は変わらない。
〝星〟に来たと実感するのは、言語MODをチューニングした時でも、通信端末のSIMを書き換えた時でも、イミグレーションでお決まりの文句を吐いた時でもない。こうして──。
「なあ、見たか? ライメイ。さっそくおれたちの手配書が更新されてたぞ? 《罪人のライメイ》に《破戒のMK229》だってさ。全く、ああいう二つ名って誰が考えるんだか──」
「ミケ」
「ん? ……わぁ!」
こうして、星の風を浴びた時だ。
「麦と……、牛かな?」
星に上がる。
新たな星の知らない大地に足の裏をつけ、鼻の、喉の、肺の、体の奥の芯に至るまでを空を希釈した風で満たす。
床も天井もない宇宙を旅し、帰る星を持たない彼らにとって、全ての大地の柔らかさが、全ての風の調べが未知で、知らない香りや風の肌触りが体に満ちてゆくこの瞬間こそ、〝星〟を感じる全てだった。
低重力空間よりも遥かに軽やかな高下駄の足どりに、カチャカチャと金属の足音が続く。
空調ではない、どこからきたのかわからない風が、髪を、肌を撫でていく。
吸い込めば、その星を象徴するものたちの匂いが体を満たす。
イネ科独特の香ばしさのある青い匂いに、生きた獣の湿った香り。
風に銀色に靡く背の高い植物たちの、歓声のようなシャラシャラとした音が心地いい。
これだけで、この星の〝食材〟が何で、この星がどんな星なのかわかる。
星に降りた時に最初に吹く風は、まるで星が名乗りを上げているようで、ミケがひそかに心を踊らせる瞬間だった。
「いい星だな」
面隠しの下で頬を紅潮させるミケを見上げて、ライメイが呟く。
風と植物に彩られた穏やかな風景に混じる、機械の喘鳴じみた不吉なその声は、はたから見れば無粋な雑音のようにも聞こえる。
しかし、ミケには風に色をつける麦のさざめきと同じく、輝いて聴こえた。
「うん、いい星」
目を閉じると、そのままそこにずっと居たいような気持ちになってくる。
束ねた髪が風に遊ばれて、いたずらに頬をくすぐる感覚をずっと感じていたい。
「いい星──なんだけど……」
「どうした?」
「おかしいな……」
あれ? と首を傾げながら、ミケは懐から銀河時空紀行録≒通称・ギジロクを引っ張り出して、やっぱり首を傾げさせた。
それから、ぶるりと肩を震えさせる。
「ミケ?」
「今は暖かい時期のはずなんだけど……。ライメイ、寒くない?」
「ああ、ポータルの中と変わらない。──寒いのか?」
熱さ・冷たさはわかるが、暑さ・寒さを知らないライメイの体には、ミケの言わんとすることがいまいち実感に欠けた。ミケの端末を見ても〝寒さ〟を感じるような気温ではないから、なおさらピンとこない。
しかし、どちらかというと寒さには強いというミケが、星に降りて寒さを気にするのは珍しい。
ライメイが心配そうにミケを覗き込むと、ミケは「平気」と首を振った。
「ライメイが大丈夫ならよかった。久々の外気だから、そう感じるだけなのかも」
一種の星酔いかな、とミケは補足した。
長い船中生活からふいに星に降りるとあらゆる肌感覚が鋭敏になり過ぎてしまうことを、星酔いと呼ぶ。
長い船中生活では心身の不可を軽減するため、船内温度と体感温度の差はほぼ生じないようになっている。かつ船内は無風で、常に一定の温度に保たれているため、久々に星の外気に触れた途端、その微細な刺激や温度差という現象そのものに過敏に反応してしまい、やけに暑く感じたり、反対に風が冷たく感じたりすることが稀にあるのだ。暗いところから急に明るい場所に出た時に生じる、光が目に沁みる感覚に近い。
星酔いはもちろんだが、ライメイはミケが肌にぴったり張り付くボディスーツしか着ていないのもその理由の一つなんじゃないかと思った。
「その星酔いというやつを、俺も知りたいものだ」
ほとんど剥き出しと変わらないミケの肩に、ライメイは船から持ってきた羽織をかけてやる。
羽織の下に仕舞い込まれた長い黒髪を出して、ふわりと背中流してやると外套のようになった。
これで見た目には寒々しくない。
「それに、そろそろ風以外も味わいたい」
肩越しに急かすライメイに、ミケはにやりと笑みを返した。
「なら、お目当てのものを見つけなくちゃな?」
「近いのか?」
「う〜ん……、まだはっきりわからないな。気配はあるけど、遠すぎるのかも。とくれば……」
「〝仕入れ〟か」
「さすが、わかってるな」
ミケの言い終わらないうちに、遥か彼方まで広がる牧草地に向かってライメイが駆けていく。
「あ! ライメイ! ミコシ出してからだって! ……もう」
あっという間に地平線の近くまで走って行ったライメイが、きゅっとブレーキをかけて振り返る。
「ミケ!」
ライメイの手招きするような声に、拍車をかけるように銀色の風が吹く。
──あんなにはしゃいじゃって、まあ。
「いま行くよ!」
ライメイの声のする方へミケも駆け出して行く。
ここは、還らずの海の果ての星・《黄金卿》。
星の果てから果てへ広がる麦の穂を纏う、誇り高き黄金の星。
過去と体を失ったライメイの、失われた欠片が眠る星──そう調べには出ているが、果たして簡単に見つかってくれるかとミケは思案する。
しかし、ここで立ち止まって考えていても仕方がない。
考え事をするのなら腹を満たしてからが二人の流儀だ。
──せっかく考えるなら今日のお昼ごはんの献立だ。
乾いた麦と、湿った生き物の臭いのする風をめいいっぱい味わいながら、ミケたちはお昼ご飯の仕入れに向けて駆け出した。
☑︎星へ
◻市にいく
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