0人が本棚に入れています
本棚に追加
第0話・前 〜餅に隠されたもの、それは……〜
祖のこと
天なき地なき宇宙なれど、神在る星の多きこと。
千代に八千代に栄えたる、神世の幸い多きこと。
八百万の星の海。
治むる神の御魂より、
生まれし寵を頂きに、
遊び歌いて神子様は、
下りし寵を口せしや。
神の寵で腹満たる、なんと幸い巨きこと。
神より賜う寵の力、
以って甚だ素晴らしく、
常より其の身に宿す者、
人に非ず也。神なり也。
神の御名の尊きは口するぞも畏しき。
神の御名を幸いて、人世は仮初の名で呼び候ふ。
人に非ず也。
そのなれを、人は◾️◾️◾️◾️と呼び候ふ。
◆
『さァ、さァ、お立ち合い、お立ち合い! これを語らにゃ祭りにならねェ!
老いも若きもみんな大好き、われらが星の物の語りはいつもこれから始まるのさ!
さァ、口開けなァ! 前向きなァ!
準備はいいかい? 傘はあるかい? それではみなさん、お声を拝借!
〈その時──〉』
──星の民
◆
「グオオオオッ!」
「やったか⁉︎」
宿敵の獣じみた苦痛の声に、星長〈マンバ=ケン〉は確かな手応えを感じた。
この星の、十余年に渡る苦しみが今、終わろうとしている。
前星長であった亡き父に代わり、幼き頃より自治星・ソセスシとその民を守ってきた彼にとって、いや、この星の全ての人々にとって、星を蝕む企業の手先を打ち破ることは悲願であったのだ。
長く苦しい戦いだった……。
企業の技術汚染から星の伝統たる〈餡もち雑煮〉を守り抜いた高揚感を深い呼吸で鎮め、彼は宿敵・WEON不動産ソセスシ店の店長の前に朱塗りのお椀を高く掲げる。
「この星から撤退すると誓うなら、本部クレームは避けてやる。大人しく、お前らが馬鹿にしたオレたちの〈餡もち雑煮〉を飲んでもらおうか」
どんな悪漢にも最後の情けをかける。
たとえそれが巨悪・企業の手先であっても──。
その魂のコシの強さこそ、亡き父より受け継いだ彼の誇りであった。
「……クックック」
「何がおかしい?」
決算の地・マンノウ=ザ・パークの高台に膝を着いたかの敵は、しかし不敵に肩を揺らす……。
かつて父と巡った〈ソセスシこどもの国〉の吊り橋遊具を彷彿とさせる不気味な体の揺らぎに、ケンは思わず後ずさった。
その時だった。
「っ⁉︎ そ、そんなっ⁉︎」
ガラン、ガランガラン……。
獅子舞の鐘めいた音を立てて、店長の頭から合金兜が崩れ落ちる。
果たして、その下から出てきた姿は──
「強くなったな、息子よ」
「……父さん?」
なんと!
惑星・ソセスシを牛耳るWEONの店長の正体はのケン父〈ケンの父〉であった‼︎
「ど、どうしてだっ、父さん⁉︎ どうして企業の雇われ店長なんかに⁉︎」
「……」
「なんでだよ⁉︎ 母さんの〈餡もち雑煮〉の味を忘れたって言うのか⁉︎」
「……」
「答えてくれよ! なア⁉︎」
「……すまない、息子よ」
「なんで……、なんでだよ、どうし……っ、父さーーーん!」
◆
「今の声……」
「どうした?」
「……揉め事かな」
「……そのようだ」
広大なマンノウ=ザ・パークの片隅で、その二人組は悲痛な叫びを聞いた。
星港を降りて以降、延々と続く平かな農園風景とそれを区切る灌漑ばかりののどかな風景に突如として響いたその声は、まるで何かの警告音、不吉な予兆めいている。
二人がそんな声を耳にしたのは、数時間の滞在ののち、そろそろこの星を発とうかという頃合いだった。
銀河の辺境・セツゥチ星系にて最小のその有人星は、名をソセスシ自治星と云う。
セツゥチ星系は宇宙に数多存在する銀河の中でも比較的最近発見された海域で、また新しいが故に入植者の少ない辺境である。
その辺境銀河において最も矮小かつ最も商業的に成功したのがここ、ソセスシ自治星であった。
先祖に外様階級コロニーからの独立者を持ち、わずか数百程度の移民と数年分しかない食糧を乗せて天も地もない星の海を彷徨い流れ着いた先祖たちが、この平らな星に根付いて開墾した。
ソセスシ自治星は、他銀河の有人星に当たり前にある〝神〟を持たない。
ただひたすらの荒野ばかりの土地は、先祖がコロニーから持ち出したわずかばかりの水を源に循環し始め、幾年もの血のにじむ努力と不屈の独立心をもってここを彼らの自治星と為した。
乏しい水源と雨の生じにくい地形的不利を抱えながら、どうして先祖がこの星を故郷に選び、どうしてコロニーからの合併支援を跳ね除け続けてきたのか。それを語る神話を彼らは持たない。
けれども、その理由が決して語る価値のないものでないことは、神話の代わりに人々の口伝いに、いや腹伝いに受け継がれてきた星の味〈餡もち雑煮〉と〈マンノウ池〉が語ってくれた。
銀河最小の自治星・ソセスシは雨を持たない。晴れの星と言えば聞こえは良いが、その実態は年間雨量の極めて少ない無味乾燥地帯である。
神を欠き、恵みの雨さえ降らぬ星で、しかしそこに根を降ろしたソセスシの先祖たちは、決して諦めることなくまるで何か大いなる意志の光に導かれるようにして、この星に在り続けた。
雨が降らなければ降らずとも育つ苗を植え、やがてこの星の代名詞となるその作物が交易の要になると、先祖は名産品と引き換えに得た水を蓄え続け、海のない星に海と見間違うほどの巨大な溜池を作った。その溜池──マンノウ池こそがこの星の生命線である。
自分たちのわずかばかりの持ち前と、不屈の意志で得た水という財産を蓄え続けた溜池は、その機能としてはもちろんのこと、何よりこの星の民の強かさの象徴として、人々の心に潤いをもたらしている。
──あの叫びも〈マンノウ池〉の水面を揺らしただろうか。
銀河観光ガイドには載っているものの、まだ実物を拝めていないこの星の名所を想像して、二人は星の市場・ナマルカ=マーケットからマンノウ=ザ・パークの高台を振り返った。
本来ならばもっと活気があっていいはずの市場は人手はあるもののひどく静かで、普段は陽気であろうナマルカ=マーケットのテーマソングさえどこか憂いを帯びた調に聴こえる。
そのせいか、遠く高台で生まれた叫びは市場出口に居た二人の耳にまで届いたのだ。
それが助けを求める声なら尚のこと。「……」
「様子を見に行くか」
「え? だ、だめだよ。言ったろう? この星には補給で寄るだけ、目立つことはしないって」
足を止め後方の丘を見やる一方を、もう一方がやんわり嗜める。
旅の者にしては風変わりな二人組だった。
セツゥチ星系の辺境にある小さな小さなこの星では、企業闘争が始まってというもの、旅人というだけで珍しがられるのが常であったが、それにつけてもこの二人はどこか奇妙な空気を孕んでいる。
かたや不穏な空気を感じ取るやキョロキョロと忙しなく辺りを警戒する方は、身の丈八尺──とまではいかないまでも、ソセスシの人間からすれば見上げるほどに背は高く、地元客行き交う
人混みの中で、ひょこん、と丸い黒髪が抜き出ている。
何かから隠れるために周囲を窺っているのであろうが、これだけ目立っていてはほとんど意味を為していないように見えた。きょろ、きょろ、と首を振る度に尾鰭のように泳ぐ長い髪と紙垂。ひらりひらりと揺れる耳飾りや顔を覆う黒紗の面隠し。その裾から見え隠れする目元の火水のような模様の化粧のどれもが否が応でも視線を誘う。ふわ、と風を孕む羽織の白はこの星に差すわずかながらの光を象り、銀糸で編み込まれた神咒じみた古代紋様がしめやかに波を打つ。まるでマツリか何かの装束だ。おまけに昼間だと言うのに上腕に提げられた小さな鐘のような吊り燈篭には灯が灯っている。歩けば高下駄の内が、かろん、かろん、と軽やかに鳴く。この者は何かから隠れるにしてはどうにも飾りが多すぎた。
そして、かたや──かたや、こちらはさらに奇妙な出立ちであった。
何せその全身は、陽の光を厳かに反射する厚い甲冑に覆われている。
この者には、人目隠しに申し訳ばかりの外套を身につけている以外は傍らの者のような衣類の類は見られず、そしてそれを必要としていなかった。
自身の肘が脇腹を掠めた際の金属質な音の反響からは、甲冑の下に生体が敷かれている気配が感じられない。この者は、生体を有していないのだ。
全身機装インプラント被術者。またの名をサイボーグ。
身体の一部にサイバネティクスを施す者など珍しくもない。
遠銀河進出前の神話の時代ならいざ知らず。いまや人類にとって〝体〟とは出生時に与えられた魂の檻でなく、外見も機能もインプラント手術で如何ようにも機装化できる装飾品の一つに過ぎない。
しかし、全身。
そしてその意匠のなんと古めかしいこと。
遥か太古の世紀に滅びたような大鎧の武者めいた装いと、生気を感じ取れない無機質な面頬。
〝人に非ず也〟。古のミームを真似た機装体。
それは紛れもなく神話の時代に語らるる〝ニンジャ〟そのものの姿であった。
往来でこのような格好をしようものなら、命知らずのコスチューム・プレイと冷ややかな目を向けられても不思議ではない。ニンジャは禁忌に他ならない。しかし、それこそがこの者の出立ちであり、そして、この者の現し身なのであった。
飾られた者と、その頭一つ下にサイボーグ・ニンジャ。
しかしその風変わりな二人を気に留める者はいない。
二人以外のその他大勢にとって、二人はあまりにありふれた人影の一つであり、群衆という不可算名詞に他ならない。
たとえ彼らと会話したとて、次の瞬きをする頃には彼らを見た記憶ごと風の彼方に消えている。
そうしたまじないが施された布を彼らは纏っていた。
そう、彼ら。
その二人組は男と男であった。
「ほら、お会計も済んだし。ねぇ、行こう?」
行こう、と飾られた男が、サイボーグの腕を引く。
「……」
無機質な面頬が模る頭部に、無論表情などありはしない。
彼方を仰ぎ見るその瞳は、昏々たるただの黒い洞穴で、本当に後方を見ているのかすら断じられない。
しかし、その暗がりの底に確かに燃ゆる意志の力を汲み取ったからこそ、飾られた男は彼を嗜めたのだ。
「きっとただの喧嘩か何かだよ」
「だといいが……」
ひどいノイズ混じりの声でサイボーグの男は応える。
まるで妨害電波越しのラジオノイズめいたその声に、飾られた男はしかし心地良さそうに微笑む。「心配性? 好奇心?」
「両方だ」
「よその星の事情に首突っ込まない、約束したろう?」
「わかった、わかった」
くく……、と低く笑ったのか。サイボーグは小さく肩を揺らした。
「騒がしくてすまないねぇ」
二人が彼方への注意を外す頃、砂糖売りの老婆は店の奥から注文の品を携えて戻ってきた。
生身の男から代金を受け取りながら、どこか寂しそうな声で「ほんとはこんな星じゃないのよ……」と呟く。
「企業が決算に来ててねぇ……」
「企業?」
企業という言葉に、サイボーグは身を乗り出し、生身の男はぎくりと身を強張らせた。
「ほら、あそこにWEONのビルディングがあるでしょう? 昔は溜め池だったんだけど、水が腐ってからは勝手に企業がお店を建てて、他は駐車場にしちゃってねぇ……。あそこの店長が企業マターのカルマをオンスケでエスカするためにうちの星の味を、ナレッジごとM&Aしようとしてるの……。それをペンディングするためのプレ決算MTGを若い子たちがフルスペックでやってくれてるんだけど……」
そこまで言って、老婆はハッと口を噤んだ。
「あらヤだっ、会議のことをMTGと略すなんて……っ、これじゃまるで企業だわ……!」
企業言葉に侵された自らの言語野を恥じるかのように、老婆は頭を抱える。
詳しい事情を聞かんとするサイボーグを、生身の男が静かに首を振って制した。
これ以上、無辜の老婆に企業言葉など使わせてはいけない。そう諭すかのように……。
「せっかく来てくれたのに、嫌な思いさせちゃったねぇ。お詫びになるか知らないけども」
はい、と老婆はしわがれた細い腕とその先っぽにある骨と皮だけの拳を二人に差し出した。
差し出された拳の下に、戸惑いつつもそっと手のひらを広げたサイボーグの手に、小さな和紙の巾着が乗せられる。
包みを広げると、中から小さな花の形をした落雁のような菓子が出てきた。
愛らしいその形がよく見えるよう、サイボーグは生身の男の目元にそれを近づけてやる。
「落雁?」
覗き込む男に、老婆は優しく微笑んだ。
「和三盆よぅ」
〈和三盆〉
この星の伝統なんよ。
えっと前から穫んりょってなぁ。昔はこれを他所の人がよっけ買いに来よったんよ。私たちが食べる分もぜーんぶ寄越せぇ寄越せぇ言うばぁ人気やったけん、餡子ん混ぜて雑煮の餅に包んでな、『これは雑煮の餅ちゃけん、中に和三盆や入っとらん!』言うて隠んで食うて、バレても『ええがぁ、ええがぁ』言いもって食べよったんよ。
ほっほほほほ、とありし日のやりとりを眼裏に、老婆は愉快そうに笑う。
「これが和三盆で、そこから生まれたのが、この星の味〈餡もち雑煮〉なのよ」
「〈餡もち雑煮〉……」
知ってるか? とサイボーグが傍らに問う。
知らない、と首を振って、傍らの男はサイボーグが広げた包みを元の通りに包み直してやった。
こうした細かい作業はもっぱら彼の長い指の担当であった。
「きっと、もうちょっともしない間にこの星は企業のコンサルが入るからねぇ……。そしたら私たちのお話もお雑煮も、みんな無くなっちゃうわ。それまでにまたこの星に来ることがあったら、〝食べてんまい〟」
にこ、と笑って、老いた店主は湿っぽい話は以上、と言わんばかりに客二人を送り出した。
男たちは市場を後にする。
「いい買い物ができたな」
何か言いたげなサイボーグが口を開く前に、生身の男が軽やかに言った。
「塩も砂糖もたくさん買えたから、これでしばらくは調味料の補給には困らないぞ? いい綿も手に入ったから、お布団がふわふわになる! 船に戻ったら新しい布も織ってあげる」
どんなのがいい? と問う男は、サイボーグがさっきから丘の方を気にしていることに気づいている。
この星の様子がおかしいのは丘から不穏な声がする前から、彼も薄々気づいていた。
年齢分布に偏りのない典型的な企業型コロニーと似た人口態系をしていながら、市場で出会う人々は皆、高齢に属する住民ばかりであった。星間交易が盛んだと聞いていた割には、星外から買い付けに来たと思われる来訪者も自分たちを除いては他に見当たらない。それどころか、自分たちの船を就けた星港も、他の宇宙船が寄り付かなくなって久しいのか、うっすらとどこか寂れた空気を醸していた。おかげですんなり入港できたものの、もしや市場が休みの日に来てしまったのかとヒヤリとしたほどだったのだから。
それもこれも、砂糖売りの老婆の口から企業が決算に来ていると語られたことで全て説明がついた。ならば、自分たちもすぐにこの星を離れた方がいい。
「お昼にしよっか」
よいしょ、と両手に抱えた包みを大げさに抱え直して男は笑った。
仕切り直しとでも言うように景気の良い声とともにサイボーグの少し前に歩み出て、くるりと振り返る。
「日曜は閉まってるお店が多いって聞いたから、お弁当持ってきたんだ」
お弁当、という言葉にサイボーグがバッと傍らを見上げる。
「あ、まって、お弁当って言っても、朝ごはんの残りで……」
ごめんね、とすまなさそうに告げる傍らの男に、サイボーグはしっかり首を振った。
「よかった。今朝の朝ごはんも美味かった。また食べたいと思っていたところだ」
「も、もう、すぐそういうの言うんだから。……ばか」
ふす、とそっぽを向く男に、サイボーグがくすくす笑う。
「ありがとう、ミケ」
ミケ、と呼ばれて、彼は赤らめた顔を彼の方に戻した。
「……食べてくれてありがとう、ライメイ」
それから、へへ、とミケがだらしなく笑ったのを確認すると、サイボーグ──ライメイはミケの手を取り、思いきり後方、丘に向かって走り出した。「え⁉︎」
「せっかくの弁当だ! 見晴らしのいいところで食おう!」
「おい、らい、ライメイ! やっぱり首突っ込む気だな⁉︎」
「まさか! 余計な世話をするとミケに怒られる! ──だがもしも俺たちの食卓の前で揉め事があったらその仲裁はするかもしれん、美味い飯を食うためにな!」
「もう、ばか! ばかなんだから!」
ばか! と怒りつつ彼と並んで走るミケをライメイは掬い上げ、人々の上を、木々の間を加速しながら跳んでいく。
先刻悲鳴が聞こえた丘の方では、文字通りの暗雲が立ち込めている。
それが星の脈動たる自然現象のもたらすものでなく、自分たちの宿敵・企業がふり撒く不穏な超科学スモッグであると知って、ライメイたちは駆け出したのだ。
稲妻よりも疾く、疾く。
そこに自分たちの命を狙う兵どもが集うと知って。
「景色もごちそうだと俺に教えたのは誰だ?」
「だーれだーかなー!」
「まさか、まさかそんな! オレたちの星の味たる〈餡もち雑煮〉文化を廃して星丸ごと企業謹製・インスタントケミカル雑煮工場にしようと目論む企業の手先WEONソセスシ店・店長が誰よりも〈餡もち雑煮〉を愛していたはずのオレの死んだ父さんだったなんて……!」
ライメイとミケは事のあらましを理解した。
二人が駆けつけた屋外決算会議場では既にクライマックスが始まっており、到着するや否やあらすじは先の通りである。
「ほらやっぱり企業だ。企業が絡むといつもこうなる」
マンノウ=ザ・パークの真ん中で相対する親子を遠目に、ミケはむすっと鼻白らんだ。
「まあまあ、ここは一つ当人たちの出方を見ようじゃないか。と言うより、ほっといても良さそうだ。父親の方もあの様子なら企業への忠誠心も薄いだろうしな」
密室会議にならぬよう、星長・マンバ=ケンを囲む他のソセスシ民にもそれなりの衝撃が走っているおかげで、その後方に野次馬のごとく滑り込んだ二人には誰も気づかない。
もちろん、だからと言ってお弁当を広げられるような空気でもなかった。
ただ一人、ライメイを除いて。
「え、ほんとにここで食べるの……、ライメイ?」
「食いはしないが、お弁当の中身が気になる」
白熱する会議を尻目に、ライメイはいそいそ昼食の準備を始めた。
ちょっと開けてみていいか? とお弁当の包みが気になって、こそこそ声を潜めて囁く。どれだけ揺れても寄り弁しない、オーパーツテクノロジーランチボックスを大事に抱えたライメイは、その中身を想像してワクワクした。「弁当は中身を想像する時間もごちそうだと俺に教えたのは誰だ?」「誰だかなぁ」
「諦めるのだ息子よ! この貧しい星は企業に明け渡す以外に生き残る道はない!」
「何が仕方ないんだよ⁉︎ 企業化したら、そりゃ……、便利にはなるけど……。けどオレたちが今まで食べてきたものが全部企業味にされちゃうんだぞ⁉︎」
「でも、ほんとにタダノオムスビだぞ? 食材がなくて……」
「タダノオムスビか! ミケのタダノオムスビは大好きだ!」
少し固めに握られたラクライ好みのおむすびを想像して、ラクライの内臓コアがキュウウゥン……、と切なげに唸る。
「ならば企業化しないでどうこの星を守っていく! 水の枯れたこの星で我らが生きていられるのは、この十年、近星・アワシマから水を引いてきたおかげだ‼︎」
「ならこれからもアワシマから貰えば……!」
「水を貰うには資本が要る。資本を得るには企業の配当が必要だ!」
「今まで通りウチの名産品と交換で水を貰えばいいじゃないか!」
「アワシマはとうに企業化した‼︎」
「な、なんだって⁉︎」
ソセスシの民に激震走る!
「なに、おかずもあるのか⁉︎」
「えへへ、やりくりしちゃった」
「あの地元志向のアワシマが……⁉︎」
「フィッシュカツの商標を企業に登録されたアワシマなぞ銀河の塵に同じ……。企業傘下のアワシマはもう企業の資本以外求めていない。第一アワシマは我らの溜め池ではない……」
「当てていいか? 『玉子焼き』だ」
「さぁて、どうだろうなぁ」
「それはっ、そうだけど……! でも十年前はソセスシだけで水をやりくりできたじゃないか! 水不足なんてなかった!」
「それがもう出来ぬと言うのだ! わからぬか!」
「開けていいか? まだか?」
「う〜ん、どうしよっかな〜」
「わからないよ! わかりたくもない! まだ試してない方法が……!」
「方法などない! だからこそ私は〈雇われ店長〉になった‼ その報酬でも足りぬのだ!」
「ライメイ、ご飯の前にあっちで手を洗おう」
「ああ、もちろんだ」
「せめて溜め池が生きてたら……!」
「死んだ水のことは忘れろ!」
「あれ? 水が出ないな……。ライメイ、そっちの蛇口は?」
「こっちもダメだ。断水か? これじゃあ手が洗えない……」
「断水しなきゃいけないような土地じゃないんだけどな……。ちょっと見てくるね」
「共に行こう」
「くそっ、どうすればいいんだ! 水さえあればどうにかなるのに! 誰か!」
「誰に祈る! 神なき星に奇跡なぞ起きん! この星は企業に売るしかないのだ、息子よ!」
「なんていうコトだあああああ‼︎」
ジャアアアアアアアアンン……ッ!
会議終了五分前を知らせる銅鑼が鳴り響く。
愛する故郷を企業の食い物にせねばならないという事実にマンバ=ケンは絶望した。
死んだと思っていた父との再会を喜ぶ間も無く、亡星の決断の時が迫る。
会議場は時間ぴったりには出なければならない。
どれだけ現実が苦くとも、会議残り五分となったら話をまとめる必要があるのだ。
アジェンダにもそう書いてある……。
決断の時だ。
「そんな……、じゃあやっぱり、この星は企業化するしかないのか……。オレたちの伝統は……、星の味は……っ」
「ケン、お前はよくやった……。皆の誇りだ」
朱塗りの〈餡もち雑煮〉のお椀を見つめて、マンバ=ケンは膝をつく。
すっかり冷めた白味噌ベースのお出汁の中に沈んだ丸い餡もちの姿に、走馬灯のようにこれまでの長く苦しい記憶が駆け巡る。その中にわずかに残る甘美な思い出のほとんどは、父と餡もち雑煮との思い出だった。
まろやかでコクのある白味噌の出汁に、和三盆のふくよかな甘味が自慢の餡子が合わさった甘じょっぱい雑煮は、この星の人々の営みが生んだ、この星の味だ。
雨の降りにくいこの星で栄えた三盆糖づくりは、そこから生まれたこの一椀は、他ならぬ民の誇りそのものなのだ。
そしてそこに切り胡麻を少しかけるとさらに美味いのだと幼き彼に教えたのは他ならぬ、彼の父だった。今やその父も企業の従業員と化した。
たとえ血も涙もない企業の悪代官でも、ひと口でも食べさせれば、受け継がれし味の価値がわかると信じていた。しかしその悪代官こそ、誰よりもこの星の味を愛していた父だったのだ。
もはや打つ手はない。
企業化を受け入れれば、この星は企業の資本稼ぎのための奴隷工場と化すだろう。
企業の世界では、この星の人々が連綿と紡いできた伝統などという値の付けられないものに価値はつかない。
価値の無いものに居場所はない。
この星の誇りが、無かったことにされてしまうくらいならば──
「オレが、企業に直訴する……」
カラン、カランカラ……。
投げ捨てられた朱塗りの椀が、虚しい音を立てて転がる。
冷めた雑煮を飲み干して、ケンは腕で顔ごと拭いつつユラリと陽炎のように立ち上がった。
ぶらん……、と降ろされた腕の下から、腹を括った男の顔。
昏い決意に満ちたその顔に、父親は彼が己の息子であることを束の間忘れそうになった。
「何……?」
「オレが企業の管理職に直訴して、人柱になって水を作る!」
「⁉︎」
「要は水があればいいんだろ⁉︎ まとめサイトで読んだぞ! 企業の人柱たちがコロニーを造ったんだって、人柱になれば水不足でも食糧不足でもなんでも解決したって! 水も金も人柱から出る、だから企業は強いんだって!」
それはケンがまとめサイトで読んだ企業神話の秘された美談であった。
かつて人類に宇宙進出の方舟をもたらした企業。その力の源泉は企業に身を捧げた人柱たちの勤労によるものだとまとめサイトは語る。本当は企業になんか染まりたくない。けれど、もし自分が星の代表として企業に身を捧げれば、その勤労の対価に水を求めればきっと──。
「バカなことを! まとめサイトに載ってることは全部ウソだ!」
「でもっ、まだ試してない‼︎」
「ケン‼︎」
「うるさい!」
「いつも言っていただろう意地になるなと──!」
「それを教えたヤツは死んだ!」
咆哮が親子の最後の絆を分つ。
「ケン……」
「さあ仕事だ!」
ひ、と喉が焦げつくのも構わず、ケンは叫ぶ。
「〈エリアマネージャー〉を喚べよ、雇われ店長‼︎」
「そこまでだ」
シン……、と張り詰めた空気の中に、ジャミングされた電信めいた声が響いた。
身の毛もよだつその声音に、彼らは揃って振り返る。
しかしそこには誰もいない。
誰もが異様な声の主を探して、怯えたように周囲を窺っている。
にわかに会議場がざわめき出した頃、誰かが屋外会議場の真ん中に人影があるのを見つけた。
全身を鎧で覆う黒い影。その傍らにもう一つ、風に形を変える白い羽織の者が居る。
かたや面頬で顔を覆い、かたや面隠しで顔を消す。正体がまるでわからないのだ。
まさか、本当に企業の管理職が来てしまったのか……?
親子が固唾を飲んだその時、パン! と一つ手を打つ音が聞こえて、ざわめきが無音に還る。
「どうやら話がおかしな方向になってるみたいだから、少し厄介させてもらう」
凛とした爽やかな声は、まるで事の重大さなどどうでもいいような飄々とした響きを伴い、一息で星の民から焦燥感を拭った。
「解決するのは簡単なんだけど、その前に三つほど訂正したいことがあるんだ」
ゆっくりと歩き出した面隠しの者の、ひらめく羽織と振る舞いに自然と視線が集まっていく。
「一つ、人柱の話はデマだ。企業の出す悪質なまとめサイトに惑わされちゃいけない。
二つ、不用意に管理職の名前を出すもんじゃない。ほんとに来ちゃったらどうするんだ?
《呼べば現る》。覚えておくといい。それから──
三つ、水が無くて困ってる、って話だけど……。あるぞ?」
「え?」
と声をあげたのは、誰か。誰もが自分以外の誰かだと思うほど、その声は八重に響いた。
す……、と伸ばされた指の先。
マンノウ=ザ・パークの果てにある、コンビニWEONのビルディング。その十万石の駐車場の下にはかつて溜め池があり、雨の少ないこの星に降る恵みの一滴を余すことなく蓄えてくれた。
皆、知っているのだ。かつてはそこに水があったことを。
雇われ店長は溜め息を吐いた。シフトの穴という穴を24時間体制で埋めてきた彼の、疲労と悲哀が二酸化炭素にエッジを効かせる。
「……ハァ、この星の者でないようだから教えてやろう。あそこにあった溜め池は……、死んだ。水を流せば地が腐れ、飲めば病にかかる。だからこそ、企業が土地の再開発に選んだのだ」
企業が来ても来なくても、遅かれ早かれこの星の運命は……。
言葉を途切れさせたWEONソセスシ店店長から、星長・ケンは悔しそうに顔を背けた。
「やはりそうか……」
低い金属の唸りに、落胆の目がやおら集まる。
「もしかして、『赤い水が出てるから貯水設備が錆びてる』とかなんとか言われなかったか?」
「‼︎」
「なんでそれをっ!」ケンは驚きと、わずかな期待を込めて叫んだ。
まだ星を諦めきれない彼の耳には、言葉の中に宿る希望の羽音がしかと聞こえたのだ。
きっと、きっとこの異邦の者たちの現れには意味がある。
「企業の常套手段さ。『このヤシロにはシロアリが居るから建て直せ』とか、『手水に特別な浄水器を付けてやったから金を出せ。金がないなら土地を売れ』とか言って、元ある土地に勝手に下品なお城を建てる」
下品なお城。
昼間の空にも喧喧と〈WEON〉のネオン輝くビルディングと十万石の駐車場を皆が振り返る。
「ざっと見てきただけだけど、大丈夫。あの下の池は生きてるよ。すっかり埋め立てられたように見えるけど、安心の手抜き工事だ。画鋲を刺したら下でモグラが痛いって言うだろうさ。モナカみたいな上物を剥がしたら、綺麗な水がわんさか出てくる。企業のお城には水没してもらおう」
「かっ、簡単に言うな! それができれば苦労しない! 破壊工事にだって資本が……!」
「資本ならもう頂戴した」
しゅわ……、と、泡が解けるような音がした。
聞こえたのはケンとその父だけだったが、それで十分だった。
「お味は?」傍らの男が問う。
「ああ、お前も好きな味だ」
さりり、と和三盆の塊を舌で漉して、その柔らかな甘味を彼は味わう。
舌の奥でほのかに広がるたおやかな甘み。
収益性をもたらす企業化の潮流に抗い、それでもなお紡がれてきた複雑な製造工程が作る深い味わい。
間違いない、これはこの星の民に愛されている味だ。
その確信が、彼の力になる。
「さて! 議事録係の人、居る?」
はい! と離れた場所で一人の若者が手を挙げる。
「なんだか揉めてたみたいだけど、最終的に、こう書いといてもらえないかな!」
ヒュ、と黒い風が吹き、皆その行先に体ごと振り向いた。
勘のよい者はすでにこの時笑み溢れている。
絶望が昏く閉ざした口蓋を、希望の光が開くのだ。
「『その時、ニンジャが現れて、雷鳴一閃、企業のねぐらを木っ端みじんにやりましたとさ』──めでたしめでたし、ってな!」
閃光ッ‼︎
空を光の矢が開き、喪に服された大地を穿つ!
悪意の塔は灰燼に、仮初の蓋地は諸々に裂け、
雷鳴の轟く頃にはその影も無い。
かつてその地を覆った巨悪の影は雷の前に悉く失せ、
今再びの目覚めとして、星の恵みの象徴が深き地の底より湧き出でる。
そのごうごうと鳴る清らかな水の音。
広大な池の淵いっぱいに満ちる音の波を、遥かに上回る歓喜の声が星を揺らした。
天に結ばれた黒い人影による少々加減を誤った雷撃は、少しばかり溜め池の水を蒸発させた。
間も無く蒸発した水の礫は叢雲となり、星を抱くように腕を広げると、丘に、地に、市場の果ての普くに、長く苦しい日々の終焉を告げるための雨を降らせた。
その雨粒を開いた瞼の淵から溢れさせ、叢雲の影を仰いで人は云う。
「奇跡だ……、奇跡が起きたんだ……」
〈マンノウ池の◾️◾️さん〉
えっと昔のことなんよ。
長いこと長いこと、雨がいっちょも降らなんだん。ほんでも、雨が降らんことや誰っちゃ気にせなんだ。ほういう星やけん、池さえあったらいけるいける、ってな、みなヨーゥ知っとったんよ。
ところがどしたん。いつんことか忘せてしもうたけど、ある日ひょっと企業が来って、池をホレ、って泥でまんで綴じてしもうたんよ。
ほッたらもうじょんならん、地は飢てしもうて、雨を抱いとう池は、みな枯れてしもうて、どなんちゃならん。
なんしてくれるんじゃあぁじゃこじゃ言いよったら、ほなどななん言うたん。企業が『星売りとばせぇ』やがいなことうれげに言いまわってな! まんでがん工場にするんじゃーなんじゃーほっこげなこと言うて、ほんでもウチもなんもないデェ? どなんしたんでってもう諦げてしもうて、よいよ人柱でも出さないかんて若人が首捨ろうとした、ほん時でよ。
ニンジャが顕れたんよ。
キャッ! と企業ビルディングの上に雷くらっしゃげてな!
下からワァーッ!と水が出るわ出るわ、皆喜んででェ! ほしたらちょっともせん間に叢雲がモクモクモクゥ!て市場の端までとんできて、こんどは雨がワァーッ!降りだしたんよ! こんなんあるで⁉︎ ないって言うたん!
ほんでから◾️◾️さんは『飯の恩』じゃほんだけ言うて、どっか去んでしもうた。
この星のお砂糖がぅまかったけん、助けてくれたんじゃわ。
ほんでから皆わがんくでなんぞあってもな、ヤケっそなったらいかんので、『◾️◾️さんが見よるけん、◾️◾️さんが来んりょるけん』言うて諦めんとやるようなったんよ。
お砂糖は捨てなよ、◾️◾️さんの飯やけんな。
まんでがんなっても、◾️◾️さんがおるけんな。
めでたし、めでたし。
「ちょっとサービスしすぎじゃないか?」
「妙な口上で煽るから、張り切り過ぎた」
「俺のせい?」
「好きだろう? 景気がいいのは」
「どーうだぁかなー」
「好きだと言えよ、相棒」
暖かな雨が降りしきる中、生身の男は片翼のように羽織を広げ、サイボーグの上に雨除けの庇を作った。
その動作の澱みないこと。
生身の者が完全防水が常のサイボーグを守るそのチグハグな光景がまるで二人の常であるかのように振る舞われていることに、何より、彼らによってあの雷光が、奇跡がもたらされたことに誰もが驚愕の思いで彼らと雨とを交互に眺めた。
「でも」
「ん?」
「おかげでNPCMODがバグっちゃった。とっととトンズラしないと、面倒なことになるぞ?」
「そうするか、腹も減った」
そそくさと立ち去ろうとする二つの影を、星主・ケンが呼び止める。
「待ってくれ!」
「そらきた」
イ゛ッ、と生身の男は背を向けたまま喉を鳴らした。
「今の……、今の、あんたらがやったのか……?」
駆け寄ったつもりだった。だがまだあの奇跡の残光が脳裏で瞬いているせいで、膝がガクガク揺れ、情けなくその場に転んでしまう。
しかし、それが故に彼は二人をその場に留められた。
あッ、と地面に倒れ伏す刹那、またあの黒い風が閃いて、気づけばそっとその場に座らされていた。浮遊感。痛みはない。
ケンは奇跡を二度体験した。
「やっぱり! あんたらがやってくれたんだな!」
キラキラと眩い、こんな声が自分の口から飛び出したのはいつぶりだろう。
希望が口から出るたびに体は軽くなるのに、力が湧いてくるのはなぜだろう。
先刻、人柱になると決めた時よりも遥かに強い何かがその身の奥から湧き出している。
ケンは自分を助けた黒影を追って今度こそ駆け出していた。
「あー……、気のせいじゃないか? なあ?」
真っ直ぐ駆け寄ってくる若者の期待を込めた眼差しに気圧され、面隠しの男はたじろいだ。
ちら、ちら、と傍らのサイボーグに視線を送りながら何やら言外で相談している風だった。
さっきまではただの旅人に見えた二人も、今やどこか見覚えのあるような二人組に見える。
他の者たちもそうなのか、何人かは手元の端末で二人の姿を検索しようとしているようだ。
「今日の予報は『ところによりカミナリ』って話だったし、な?」
な? と問われて、サイボーグはガクガク頷く。
二人ともものすごく気まずそうだがケンは全然気にしない。
「ニンジャ⁉︎ ホントにニンジャ⁉︎」
「違うんだ、あの雷はたまたまでニンジャの仕業なんかじゃ……」
「ニンジャだって言ってたぞ!」
遠くで議事録係の若者が声を張った。「議事録にもそう書いてある!」
議事録には客観的な事実しか書いてはならない。
それは古来、まだ議事録がアカシックレコードと呼ばれていた時代からの慣習だ。
議事録には『その時ニンジャが現れて、雷鳴一閃、企業の寝城を木っ端微塵にやりましたとさ。』と書いてある。
ならばつまり、彼らあるいはどちらかは必ずニンジャで、あの奇跡は彼らによるものだった。
「やっぱりニンジャなんじゃないか!」
面隠しの男があちゃあ……、と顔を覆い、サイボーグがその背を支える。ドントマインド、そういう仕草だ。
「この星のモンじゃないのはわかってんだ! なあ、二人ともニンジャなのか⁉︎」
「いや、ニンジャは俺だけだ」
「ぁっ、バカ」
「本物だァ‼︎」
面隠しの男が咄嗟にサイボーグを嗜めるも、全てはのちのフェスティバル。
マンノウ=ザ・パークのあちこちで湧き上がるニンジャコールはさながらセツゥチ星系最大級のフェスの様相を呈している。
ケンはサイボーグの方がニンジャであると確信した。
とすると、もう片方はなんなのだろう?
なんだとて、この二人が自分たちを、この星を救ったことに変わりはなかった。
「なあ、なんで助けてくれたんだ⁉︎ ……人柱になるって言ったからか?」
「違う」
二人組は揃って否定した。
「いいかい、聞くんだ? 人柱はナシ。あんなのデマだ。人柱なんて必要ない。企業の無責任なライターが書いたまとめ記事に真実はない。俺たちがお邪魔したのは君がデマを事実にしようとしたからで、溜め池を元に戻したのだってご飯の前に手を洗いたかったからだ」
「ご飯の前に手を洗う……?」
ご飯の前には手を洗う。
欠かしてはならない。
腰をかがめ、面隠しからチラリと覗かせた目で自分を真っ直ぐに見つめながら語る長身の男に、ケンは母の面影を見た。
「水不足が星の器質なら遠慮したが、企業の仕業なら話は別だ。とはいえ、こう雨が降ってしまってはどのみち食べられないがな……」
どれだけ濡れても浸水しない、IPX100000の性能を持つオーパーツテクノロジーランチボックスを大事に抱えたサイボーグ・ニンジャはシュン……、と肩を落とした。「せめて雨がしのげればいいのだが……」
「そ、それなら、あっちの見晴し台の屋根に、ベンチついてるとこあるから……」
ケンは恐る恐る二人の後方に聳える見晴し台を指差した。
「ちょうどいい。恩に着る」
顔も全て鎧に包まれたサイボーグの表情は一つも変わらないが、上機嫌になったことが伺える。
「本当に昼飯を食う気なのか……? こんな奇跡の後で、ふつうに……?」
ケンとその他大勢は愕然していた。
さっきまでは目が覚めたような気分だったのに、今は妙な夢を見ている気分だ。
「お前たちもご飯にするといい。腹が減っているとロクなことにならんからな」
「そういうことだ。邪魔したな。他のお客さんが来る前に、お暇させてもらうよ」
──お達者で。
そうしてあっさり別れを告げて、二人は見晴し台に向かって歩き出した。
「ご飯の前に手を洗う……?」「それだけのために……?」「見晴らしのいいところで……?」「それにあの箱、もしや伝説の玉手箱じゃあ……」
とっくの昔に会議の終わったマンノウ=ザ・パークの高台はざわついていた。
ご飯の前には手を洗う。
たとえそれが大切なことだとはいえ、それだけであの企業ビルディングを破壊するなど、神に歯向かうにも等しい。
それをかくもやってのけるだなんて……。
人智を超えた存在──。
誰もが彼らをそう理解した。
その度し難さ。そしてサイボーグと着飾った男というチグハグな組み合わせ。
誰もがその奇妙さに神聖さを見出す中、企業の雇われ店長──ケンの父は妙な胸騒ぎを覚えた。
雷鳴。
ニンジャ。
全身甲冑と、その傍らに立つ男……。
検索エンジンと同期させていない、彼のオーガニックな前頭葉が目まぐるしく駆け巡り、一つの心当たりを探り当てるそのほんの少し前に、ケンが己の答えを見つけた。
それはまとめサイトの閲覧数上位に常に君臨するとある記事の伝承、その通りであった。
「やっぱり、やっぱりそうだ……!」
興奮に満ちたその声は、真っ直ぐに見晴し台の方を目指した。
見開かれた目は網膜に焼きつく伝承の文字列を今やその風景に映し出さんとするかのように。
「ケン……?」
父親の震える声の届かぬ先に、ケンはよろよろと歩き出す。
「本当だった……。あの人たちはただの余所モンなんかじゃない……」
「ケン、何を……」
「まとめサイトで読んだんだ! 『星に危機が訪れる時、ニンジャが來て救星主する』! 本当だぁ!」
メシア。
その言葉に、ケンの父の中で胸騒ぎと恐怖が合致する──!
「『救%&主ニ手ヲ合ワセレバ、イカナショクザイモ──」
「戻れッ、ケン! 救星主なんかじゃないあの者たちは──‼︎」
「お世話になります」
プァアアアン……ッ!
突如響く不気味な汽笛。
剣めいた鋭利な日差しが、柔らかな雲を切り裂いて降り注ぐ。
その裂け目から無遠慮に現れた箱型の乗り物に、星の民は一様に顔を顰めて天を仰いだ。
「電車……⁉︎」
地を焼くような太陽の光が次々雲を貫いて、皆苦しそうに目を歪める。
「デンシャではありません、キシャです」
天から響くその声は、さながら自らこそ神と名乗らんばかりの尊大さ。
喘鳴の如き駆動音を立てるその乗り物は、またあの身の毛もよだつ汽笛を一鳴きさせると、吐き気を催す煙の中から、スーツ姿の人影を空に吐き出して消えた。
「なんだァ⁉︎」
「ご機嫌よう、ソセスシの潜在顧客の皆さん! わたくしは《企業WEON不動産セツゥチ星系エリア・エリアマネージャー》です」
ジャアアアアアアアアンンッ‼︎
エリアマネージャー手動の銅鑼がソセスシに鳴り響く!
昼中の空に遥々と投影されるホログラム名刺のスケールは、銀河級エリアマネージャーの証だ。
「な、なんて名刺のデカさだ……⁉︎」
初めて見る規模の名刺に、ケンは尻餅を付きそうになった。
星長として幼き頃より特殊な訓練を積んできたケンやケンの父こそこの場に留まれたものの、一般ソセスシ民にその名刺圧は甚だしく、ある者は泡を吹いて倒れ、またある者は本能的な恐怖から「恐レ入リマス……、恐レ入リマス……」とうわごとのように呟く。気の確かな者の中で倒れた者の介助にあたる者もいたが、みな一様に額にびっしり脂汗をかいている。
無理もない。
ソセスシのような神の加護なき矮小星において、本物の企業のエリアマネージャーから放たれる商売っ気に堪えられる者など本来ならば有り得ないことなのだ。
そしてその商売っ気のおぞましさよりも、先刻まで希望に頬を輝かせていた同胞たちが、今やすっかり恐怖に支配されていることがケンの心を蝕んだ。恐れが、すぐそこまで這い寄っている。
「……っ!」
ぎゅ、と拳を握りしめ、自分を地面に押し付けるように奥歯を噛んでいなければ今にもその場に膝を着いてしまいそうだった。
「おや、名刺交換は初めてですか?」
にこり、と目を細めて、白スーツのエリアマネージャーは天空からダイヤモンド貼りの垂直離着陸機でゆっくりと降りてくる。「庶民には大袈裟すぎましたか」
VTOLの下部から発せられる青白いぞっとするような光が、ケンの背の影を伸ばす。
不穏な駆動音が近づくごとに、ケンは己が相手にしている敵の強大さをその身で感じた。
──しかし、逃げはしない。逃げられない。
「あっ、アァ⁉︎ 庶民で悪いかよ! 何しに来やがった!」
「け、ケン、やめないか! エリアマネージャー様の御前だぞ!」
「ッ! 何が、何が〝様〟だ! ケンって呼ぶなあ‼︎」
ケンは父に──企業WEON不動産コンビニエンスストア部門・雇われ店長に吐き捨てた。
その叫びは人柱を願った時よりも悲痛な慟哭じみて胸を刺し、叫ばれた者は言葉を失くした。
「ほっほっほ、構いませんよ。そもそもわたしは貴方に呼ばれて来たのですから」
「オレに……?」
首を傾げたその時、ケンの中で自身の言葉が再生された。
『〈エリアマネージャー〉を喚べよ、雇われ店長‼︎』
あの時だ。
確かに、自分は《エリアマネージャー》を喚べ、と叫んだ。
ヨベバアラワル……。
その符号に、ケンの首筋をヒヤリと生汗がつたう。
「何かと思って来てみれば、おや、おやおや……、まさか、ほっほっほ、オッホ、おやおや……、えぇ……、嘘だろ何……」
かつて自身の店舗があった広大な土地がすっかり清らかな溜め池に戻っていることに気づき、エリアマネージャーはボソボソ口の中で言った。
店舗の固定資産税はエリアマネージャー持ち。
故にエリアマネージャーは腹が据わっている。
十万石の土地活用を理由に本部から多額の予算を得ているというのに、土地が事実上滅失したのでは来期の予算が危ういどころか空中に税金だけ払う悲しき納税マシーンになってしまう。
これではこの星の営業目標未達のまま本部に決算報告しなければならなくなる。エリアマネージャーもまた企業の傀儡なのだ。エリアマネージャーの首筋を冷や汗が伝う。
「ン゛ンっ、本当に何があったのか分かりませんが、とにかく──」
エリアマネージャーはキュッ、と紫のネクタイを締め直す。
「責任は取ってもらいますよ、店長さん、それから──人柱志望さん」
「なっ⁉︎」
ギラリとケンを見下ろすエリアマネージャーに、すでに動揺の色は無い。
奴もエリアマネージャーだ。
数多管理する店舗のうち一つがどうこうなったとて、仕事に影響を出しはしない。
経営判断だ。
「わたしのエリアで新卒採用はしていませんが、〝人柱〟志願の通知は来るようにしているのですよ。いやはや、アワシマからわざわざ特急で来た甲斐がありました。店長の実子なら書類審査は不要です。アナタならいい資本になるでしょう」
「……は? 人柱は、デマなんじゃ……」
「デマァ? 誰ですそんなことを言ったのは? 企業神話は本当です。人柱は有用です。まとめサイトにも書いてあったでしょう」
「まとめサイ、ト……」
短い間に〈信じるな〉と〈信じるな〉が行き来して、ケンは足元がぐらついた。
「当社の救星事業として供給の不安定な溜め池を当社のインスタントケミカル雑煮工場に召し上げる計画でしたが……、結構ですよ? アナタが弊社に人柱として入社していただけるのでしたら、お父様との契約通り、アナタ方の原始的ななんとかいう雑煮は文化財として保存するよう便宜いたしましょう! もちろん観光地化のコンサルも当社で請け負います!」
「へ? ……残す?」
「ええ、和解案です」
「和解……? 人柱に、なれば……?」
言葉には責任が伴う。
その重みがケンの体にずしりとのしかかった。
「けん、ケン、やめなさい!」
「人柱には、それだけの価値があるのですよ。まとめサイトにもそう書いてあったでしょう?」
「やっぱり、まとめサイトが正しいのか……?」
「ケン‼︎」
雨が止み、風が去った高台で、ケンは一時自分が世界から切り離されたように感じた。
一体何を信じればいい……?
_____________
沈黙の中で、ケンは己を見つめる。
暗闇に響くは父が幼い自分に語った言葉「一次ソースを確認しなさい」──。
強く、偉大であった父。しかし彼もまた今や企業の傀儡と成り果てている。
一体、何を信じればいい──。
暗闇の中で、ケンが見つけた答えは……
次回、万世救済メシア飯・第0話『《企業と和解せよ。》』
「人柱になれば……残るんだな……」
乞う、ご期待──‼︎
最初のコメントを投稿しよう!