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第0話・中-2 餅に隠されたもの、それは……
◆
「本当に、あれを倒すのか……? 本当にこの星を救う気でいるのか……?」
「星を救うから救星主なのだろう?」
何を当たり前なことを、とでも言いたげに、ライメイは後ろを引っついてくるケンに言った。
「だってあんなにデカいんだぞ? 星だって落とした」
「デカくても小さくても同じだ」
「……あのバケモンの腹の中の奴が欲しいだけなんだろ? ならそれだけくすねてとっとと逃げれば……」
「〈恩は受けたら、継がねばならない〉」
ライメイはギジロクの一説を引用した。
「この星には飯の恩がある」
不意に止まってそう言って、和三盆の包み紙をポカンと口を開けたっきりのケンに見せる。
同じものをケンもポケットに入れている。この星の者は、皆。そういうありふれたものなのだ。
ケンも小さな頃、おつかいの駄賃に砂糖屋の老婆からよく貰っていた。
「たっ……、たった砂糖一個でか⁉︎ そんな小っせぇのどう考えても見合わねぇだろ⁉︎」
「小さくてもデカくても同じだ」
「いや冷静になれよたかが砂糖だぞ⁉︎ それに命まで賭けるなんて……!」
「『たかが』と言うな。これはお前たちの誇りなのだろう?」
「っ……」
かさ……、と指先できれいに畳んで、ライメイは小脇の鎧の隙間に収納した。「ポケットになっている。便利なんだ」
どうだ? とおどけて見せるライメイは、これから自分が相手にするものの強大さなど少しも気にしていないようで、ケンは頼もしいような不安なような、でも、何かの予感めいた胸のうずきに押されて歩き出す。
「……あとは、なんだ、俺もちょっとばかりヤツに個人的な貸しがある」
「え?」
「一発仕置きを入れてやらねば、腹の虫がおさまらん」
ライメイは己の手のひらを拳で撃つ仕草をして「なんてな」とおどけた。
ガシン、と重金属同士のかち合う力強い音は彼にしては不可抗力なのだろうが冗談にしては大仰に聞こえ、そのバランスの下手なかんじにケンはフフ、と呼気が弾むのを感じる。彼を救星主だと呼ばわったのは自分だが、まとめサイトで見た救星主譚のような神々しいかんじとは真反対なのが彼だった。この星の長年の悩みだったマンノウ池を雷一つで復活させたかと思いきや、あれから状況は刻一刻と悪化しているというのにどこか飄々としていて、おまけに締まりそうで締まらない。
救星主とは〝神〟というものなのだと思っていた。
ソセスシや隣りのアワシマを含むセツィチ星系になく、海外の星にはあるという、星に宿る神と違い、彗星のように星々を回遊するという住所不定の宿らぬ神。
──〝神〟とは導く、絶対的なもの。
それが人伝やまとめサイトで得た神のあらましだ。
決して揺らがない強大な力と何者にもへつらわない高潔さ。
そのキーワードから想起されるどんな威厳ある姿とも当たらずとも遠からずなのがライメイだった。
ずっと昔から想像していた〝救星主〟様より、もっと気さくでちょっとお節介。
──頼りない、とは少し違う。
──聞いてた話と違う、と言えばそれはそうだけど。
「星を救ってこその救星主だ。こういうのは、最初が肝心だからな」
うんうん、とライメイは一人うなずき歩を進めた。
「それに、なかなかしっくり来ているんだ。メシア。メシアか」
ふっふっふ……、とライメイは低く笑う。
「飯屋のミケと、救星主のライメイ。ふふふ、はっはっは!」
ライメイは楽しそうだった。「気に入った」
「何だよ、それ。……ハハハ!」
──どうやら、オレたちの救星主様はシャレが好きらしい。
「そういうの、あんま言わない方が救星主っぽいよ」
「む、そうか」
……ミケは笑ってくれるんだがな、と、もしライメイに唇があったらきっとムム、と突き出しているのだろう。
「イチャイチャしない方が救星主っぽいよ」
ケンの独り言をライメイは聞かないことにした。
◆
「はい、おまちどうさん」
「ありがとう、ミケ!」
いただきます! とライメイは手を合わせて、ミケが差し出したおむすびをむしゃむしゃ食べ始めた。
「……準備って、もしかしてそれ?」
恐る恐るケンが尋ねると、「ああ!」とライメイが米を飲みこんで答え、またむしゃむしゃおむすびを食べ続けた。
「言ったろう? ライメイは食べたものが力になるんだ」
よいしょ、ともう一つ特大のおむすびを拵え、ミケがライメイに食べさせる。
ふんわり宙を舞うお山の形のおむすびと一緒に、ミケの上半身を使った動きで羽織を締める襷鈴がシャン、と鳴る。
その音でさらに勢いがついたみたいに、ライメイはまたぱくぱくおむすびを面頬の中に納めていき、ミケはその咀嚼に合わせて米を握る。「よいしょ、よいしょっ」
「嘘だろ……」ポカン、とケンは呟いた。
もっとすごい武器とか企業の戦闘車両みたいなのが出てくると思っていたのだ。
ふいにほのかな熱を感じて、なるほど、──と見せかけて、そっちが本当の秘密兵器だったかと指を鳴らしつつ熱源を仰ぎ見るもそれはどこからともなく用意された羽釜とその残り火で、言うまでもなく中身が炊き立てご飯なのはミケがそこから新しいご飯を装い出したからわかった。淡い夢だった。
「力を使えば腹もへる。力を使うにはご飯が要る」ミケはおむすびをにぎにぎ答えた。
「……はあ」
ケンは何だか夢を見ているような気分だった。
ライメイが口に運んでいるものは素人の自分にはただの〝おむすび〟に見えるだけで本当は企業が開発しているとかいう強化合成ナントカレーションとかなのでは? と無理くり考えてみようとしたが、〝おむすび〟の方から漂ってくる匂いは、炊き立てご飯ならではのこっくりと甘い花みたいな香り以外の何ものでもなく、それはまごうことなき〝ただのおむすび〟なのであった。
「本当に、飯だけで……?」
噛み締めるように口にすると、ミケはゆらゆら首を振った。
「ああ、問題はそこなんだ。相手はあのコトシロだからな。タダノオムスビでどこまでやれるか、正直不安は残る」
「あ、そういう意味じゃなくて……」
大分不安が残る、とケンはさっきやっとカチカチに戻るところだった決意がぐらぐらした。
「だからこそ、お前の力が必要なんだ」
ごくん、と口を空にして、ライメイが言う。
「へ?」
聞き返そうとしたその時、ふわ、と嗅ぎ慣れた食べ物の香りがしてケンは体ごと鼻の向きを変えた。
湿った土と草、どこか鉄臭い風、それから炊き立てのご飯の香りがする丘の上で、おむすびよりもっとここにあるはずのないあの食べ物の匂いがする。
いりこ出汁の滋味深い少し燻った出汁の香りと白味噌の甘くて滑らかな匂い。
この星でその組み合わせといったら誰だってわかる。これ、〈餡もち雑煮〉の匂いだ。
幻覚のように呼び覚まされた記憶は、今日自分がやけっぱちで煽った一椀の味ではなく、小さい頃、お手伝いできる? と母に寄越された少しぬるいお椀の重さだった。台所から食卓までの短い距離には濃い出汁と甘い味噌の香りが立ち込めていて、お椀じゃなくて足元を見て歩きなさいと笑う父の声をつむじで聞きながら、割れないお椀に少なめに装われた白い味噌汁の中で、小豆色の餡が透けた小さな餅が見えたり隠れたりするのを見ていた。ぜったいこれをこぼさずはこんでやるぞと子どもながらに大役を背負った気分で、自分が誇らしかった。それだけの記憶。それだけのしょうもない思い出がぶわりと胸の奥から鼻の裏へ湯気のように膨らんで、生まれてからずっとこの星に居るのに、ケンはなぜだかその時久しぶりに故郷に帰ってきたような郷愁に駆られて、グッと鼻の奥が熱くなった。
「〈餡もち雑煮〉だ。作ってみたんだけど、具材はこれであってるか?」
振り向いた先でミケがケンに見せたのは、高台のお椀にたっぷり装われた〈餡もち雑煮〉そのものだった。
具はやや小さめに切られているが、間違いない。切り胡麻のトッピングまでウチのと同じだ。
これまでの突拍子もない光景よりも、ひときわ不思議な光景にケンが目をパチパチさせる。
それは少し前、自分が敵対していた相手に食わせようと丘まで持ってきた〈餡もち雑煮〉と酷似しており、それ故どうしてこの場にあるのかわからなかった。
「このお椀に残ってた残滓と君の記憶痕跡から作り方を推測してみたんだ」そう言ってミケはいつだったか自分が投げ捨てた朱塗りのお椀をケンに渡した。「片手で失礼、なんてな、ハハ」後で知ったが企業ジョークらしい。
きれいに洗われたそのお椀を、ケンは思わず両手で受け取る。
ミケの持つ〈餡もち雑煮〉のお椀は、まるで少し前までこの空っぽのお椀に入っていた中身をそっくりそのまま移し替えたみたいによく似ている──と言うよりそれそのものだ。
雑煮の残りならまだしも自分の記憶なんていつの間に、と思ったがケンには少し心当たりがあった。
それは、まだこの辺りに硝煙が立ち込めていた頃、ライメイを抱えたミケに目隠し越しに覗き込まれたような気がした時。
まとめサイトによると、目を合わせただけで相手の記憶を覗いたり、呪いをかけたりできる〈邪視〉と呼ばれる特別なMODが存在するらしい。
母が言うには父にも若い頃、左目に〈邪視〉があったらしいし、きっとミケもそうなのだろう。
きっとそうなのだと早めに思考を切り上げて、ケンは説明の続きを促した。
考えても無駄だからなのもそうだが、つい思い浮かべた心当たりの景色に自分のせいで犠牲になった父や逃げ惑う仲間の姿がチラついて、それ以上考えるのが怖かったのだ。
「いや……、あってるっていうか、完璧だよ、匂いとか、見た目も……」
「そうか! ならよかった」
納得するとミケはそれをごく自然とライメイに渡し、ライメイもごく自然に「いただきます」とそれを食べ始めた。
「悪いな、君の分が無くて。指咥えて見ててくれ」
呆気に取られるケンに、ミケが冗談めかして言う。
「なんで……」
「ん?」
「なんで、〈餡もち雑煮〉が……」
どうして〈餡もち雑煮〉を作ったのか、どうやってここで作ったのか、なぜ〈餡もち雑煮〉なのか、わからないことが山積みでまとまりきらず、とにかく何でもいいから何か教えろとケンはミケを見上げる。
その疑問符だらけの顔にミケは面隠しの奥でくすりと笑うと、一つだけ答えた。
「〈餡もち雑煮〉は《星の味》、だったよな?」
「え? あ、ああ、うん……」
星の味。
ケンもいつからその言葉を使い出したか知らない。けれど、この星自慢の食材が入っていて、この星の人々が昔から愛してきたこの味は、まさしくこの星の、この星で暮らしている自分たちの象徴のようなものだから、だから、我が家の味みたいな意味で『星の味』、そう呼んでいる。
それはケンだけでなく、例えば「〈餡もち雑煮〉を一言で言うと?」と誰かに訊けば、この星の人間なら絶対二言めまでに「星の味」と返ってくるし、逆に「星の味といえば?」と訊けば、この星の人間なら絶対一言めに「〈餡もち雑煮〉」そう答えるに決まっている。
「この星がどういう意味で《星の味》って言葉を使ってるかはわからないけど、俺たちにとって《星の味》は、星と人との結びつきが生む特別なご飯のことをいうんだ。ライメイはそれを力に変えて強くなる。ほら、最初にライメイが雷で地面を割っただろう?」
問われるままにケンは頷く。
「いくらライメイでも素面じゃあれだけの威力は出せなくてな。市場でもらった和三盆を食べたから、あれだけの雷が落とせた」
「えっ、あんな小さいので……⁉︎」
「ハハっ! 大きい小さいの話じゃないんだ。こればっかりは」
ライメイと同じことを言って、仕方なさそうにミケは笑った。
「本当に、オレたちの〈餡もち雑煮〉で強くなるってのか……?」
まだ信じきれない。
不安そうに口にするケンに、ミケはしゃがんで、面隠し越しに彼を覗き込んで笑う。
「信じてやってくれ。お前たちの星の味を。ライメイを。それが、ライメイの力になる」
「……」
「さて──おかわりはどうだ、ライメイ!」
説明は済んだと言うように、ミケは勢いをつけて立ち上がるとライメイの元へ歩いていった。
シャン、シャン、と歩みに合わせて鳴るたすき鈴の軽やかな音は、泥に塗れた丘の上を清めていくようで、その音に呼ばれておむすびに夢中になっていたライメイも顔を上げる。
彼を〝救星主〟だと最初に呼んだのは自分だが、なにか、そういった神がかった存在への畏怖とは真反対の親しみをもう随分と前から感じている。
ライメイは仕草でおかわりを断り、ミケに何か言って、それから、
「いってくる」
「ああ、いってらっしゃい」
と、敵の待つマンノウ池上空に飛び上がる。
──自分たちの星の味が、救星主に力を与える……。自分たちの、〈餡もち雑煮〉が……!
ふつふつと胸の奥に込み上げるものを感じながらライメイの消えていった方角を見つめるケンの隣で、ミケはいそいそお釜の横にしゃがみ込んだ。
「さあ、下がって」
ミケはお釜の下でひとりでに燃えている火を掬いとって、腰に提げた小さな吊燈篭の中に戻す。火を扱うというよりは、まるで小鳥を籠の中に戻すかのようだった。
「あんたも戦うのか?」
「いいや、俺はお留守番さ」
ミケは火の宿る燈篭を鐘のようにひとつ揺らした。
瞬間、ケンの体にふわりと温かさに包まれた感覚が生じる。
それは恐怖に粟立つ肌を温もりが撫で梳くようだった。
「これは……?」
温かさの源であろう燈篭からは光の帯がさざ波のように広がっていく。
そして光の帯は丘一帯をドーム状に覆うと、空のある一点に限りを見つけて、それ以上広がることはなかった。
「……届かないよな」
悔しそうにミケが独りごつのをケンは聞いたかもしれない。
けれど、目の前で次々起こる不思議な現象に現実感がついていかずそれどころではなかった。
ケンは、ライメイの飛んだ先──コトシロの居るマンノウ池を眺めた。
救星主は星の味で強くなる。
自分たちの守ってきた〈餡もち雑煮〉が、ライメイに力を与える……!
マンノウ池を救った、あの時みたいに!
自分たちが見た最初の奇跡を思い出して、それが自分たちの星の食べ物によるものだと聞かされて、ケンは自然とお椀を持つ手に力が入った。
きっと全部本当のことなんだ。だって、そんな嘘を吐く理由がない。でなきゃここに〈餡もち雑煮〉があるはずない!
思い出したように掲げ眺めたそのお椀は、まだ父が食卓に居た頃に使っていたものと同じだ。
いつの間にか、これをお守りみたいに思っていたことにその時初めて気づいた。
これが、星を救う力になる。
その事実に、指先がピリピリと痺れるように歓喜する。
やっぱり、守ってきてよかった。
やっぱり、戦ってきてよかった。
やっぱり、信じてきてよかった!
「ハハ……!」
──でも、本当に?
ライメイの進路を先回りして見た時、ふとお椀越しに頭のないコトシロと目が合った気がした。
生き物を模し、けれどそこに血を感じない魂の抜け殻のような巨大な遺物。
あの化け物は、そもそも自分が招いたようなものではなかっただろうか?
見えない目に射抜かれたような錯覚を覚えたその瞬間、ひゅ、と自分の体から〝自分〟だけが抜け出たかのような直感に襲われた。まるで、自分の中身だけ宇宙空間に吸い出されたような、マンノウ池の真ん中に飲み込まれたような。気づけば周りの音は絶えていて、自分の内側で唐突に生まれたその疑問の響きだけが幾重にも反響し合いながら頭の中でぐるぐる回る。
元々、企業と戦わずに企業に従おうと促す声はあった。
どうせ企業には敵わないのだから、無理に歯向かって摩擦を起こすより、健やかに衰退していく方がいいのではと諦める者も居た。池が塞がり、父が居なくなると、ますますその声は強くなった。
けれど、戦おうと自分が言い出して、みんなをここまで連れてきた。
あの頃自分は、星のみんなが、父が守ってきた〈餡もち雑煮〉の文化をここで終わらせない、必ずずっと先の未来まで繋いでいくと心に決めて、それができると信じきっていた。
他所から来た知らない奴らに自分たちの誇りを明け渡す必要なんてないと信じきっていた。
この惨状を招いたのは、自分の盲信じゃなかったか?
そもそも、こんなことになってまで戦う価値が、本当にあったのだろうか?
無いから、父は企業に寝返っていたのではないか?
その父はどうなった?
「……」
ライメイは、食べたもので強くなるらしい。
あの〈餡もち雑煮〉は自分の記憶を元に作られたものらしい。
「オレの……」
ケンは周りをぐるりと見回して、それから最後に、空っぽのお椀とコトシロとを見た。
なんで自分は、ここまで来たのだろう。
「……」
「そんな心配そうにするな」
「っ、え?」
いつの間にか隣にミケが居て、ケンは驚いた。
同時に、もう何時間もそこに居たような気がしたが現実には数十秒と経っていないことに、コトシロの前に降り立ったライメイを見て気づく。
「ライメイは強い。君も見たろう?」
「う、うん、もちろん……」
「なら、心配はいらないさ」
「……ああ、そうだ、そうだよな!」
そうだ、ライメイはすごい。
ライメイは、すごいんだ。
「手が空いてるなら、みんなを厨の火の中へ」
役割を与えられてようやく気がハッキリしたケンは、言われるがままとにかく倒れた者たちを光の中に入れんと駆け回った。
「みんなぁ! あの光の中に! 救星主の雷が来るぞ!」
やみくもに叫ぶと、不思議とみんな互いを助け起こしながら、よくわからないままに自分を手伝ってくれた。
そういえば、なんでみんな自分についてきてくれるのだろう。
遠くに動かないままの影が一つだけあるのに気づいて、なんとなく、その場にお椀を置いた。だって、救助の、邪魔になるから。
そしてまた走り出す。
「起きろ! 起きろぉ! 大丈夫だ! 救星主さんが戦ってくれる!」
走って、声を上げるのを繰り返す。
途中、倒れたままの父が光の中に居るのを確認して、安心と虚しさに胸を締め付けられながら。
◆
撃ち抜かれた空に再び黒雲が集まるのをエリアマネージャーはコトシロの首の上で観測した。
「生きていたんですネェ」
破壊の使徒に抱かれ、すっかり平静を取り戻した彼の口調はますます彼を神さながらにこの星の支配者たらしめている。
「またお会いできて嬉しいですよ」
「お前たちの本当の目的はこれだろう」
ライメイの鎧の内側で、熾火のように白く輝くものがある。
その存在に、エリアマネージャーはぴくりと眉を動かした。
生体とインプラントを繋ぐ心臓部──ライメイのコアに企業は破格の懸賞金をかけている。無論、献上すれば役員就任さえ可能だ。企業の役員ともなれば、その力は一銀河帝国の覇者に等しい。
「ならば、どこか他所でやろう。逃げはしない」
足元に雲海を発し、黒雲の上に立つライメイは少しもエリアマネージャーに傅く気配を見せない。しかし、その反抗的な姿勢さえもまた、神同然の力を得たエリアマネージャーには支配欲を満たすエサにしか思えなかった。
「急ぐ必要はありませんよ。貴様の前に、不敬の輩どもに企業の力を見せて差し上げねばなりませんので」
「殺してしまっては敬うも何もないだろう」
「〈生くるべきものに企業の火は落ちない〉」
エリアマネージャーは社則の一説を引用した。
「わたしは企業です」
言葉は尽きた。
「そうか」
ライメイがゆらりと手を掲げる。
その時、ケンは見た。
稲妻が異形の怪物に向かって牙を立てるように降り注ぐのを。
かつて彼らに希望を開いた一閃が、コトシロの前に無意味に霧散していくのを。
「ハハ……」
猛烈な閃光と豪音に本能的に閉じた目を、エリアマネージャーは慎重に見開く。
──耐えた。……耐えた! あの〝ライメイ〟の稲妻を!
それどころかまるで効いていないように見える。
再び星に鉄槌を落とさんと蓄えていた出力が幾分持っていかれているのは惜しいが、そんなものハシタ金だ。このコトシロには傷一つ付いていない‼︎
──企業がわたしに神の力を与えた。
エリアマネージャーは喜びで失禁しそうになった。
もう、恐れるものなどない──。
「ハハハハハハハハ‼︎」
エリアマネージャーは狂ったようにスーツを脱ぎ捨てる。剥き出しの頸の皮を、背の皮を、最後に額の皮を剥ぎLANポートを露出させると、命じるより前にコトシロから伸びる動脈めいた無数のケーブルが彼の挿入口に噛みついた。「ゔ」それが彼の魂が発した最後の言葉になった。
〈残念だったなァ、ライメイィイイイイイ‼︎〉
エリアマネージャーは歓喜の雄叫びを右腕に込め、力を放出し切ったライメイを横殴りにする。
巨大な腕からは想像もできない俊敏な動きを目で捉え、ライメイはふむ、と顎に手をやった。
「……おかわりした方がよかったか」
お手上げだ。
避けられない衝撃を前に、ライメイは少し角度を調整する。これなら巻き添えにしないだろう。
「ライメイッ‼︎」
ミケの悲鳴とコトシロの拳を受け止めて、ライメイは彗星の如き速さで地面に叩きつけられた。
◆
落ちるのにもコツが要る。
落下地点と衝撃を弁えず地面に突き刺さるだけでは厄災の彗星と変わらないのだ。
ライメイはミケの張る〈厨の火〉の端っこに落ちた。
温かな火の帯がライメイの体を受け止めて、衝撃を殺し切れず已む無く地面に彼を叩きつける。
ライメイの体を中心に数メートル規模のクレーターが生じると、間も無くミケがそのクレーターを滑り降りてきた。
「ライメイ、ライメイ!」
叫びながらライメイの口に飯にあてがうと、ライメイの口はそれをバクリと一飲みする。
「ごめん、ライメイ、ごめん……!」
「大丈夫だ、ミケ」
地面から型抜き菓子のようにむくりと起き上がって、ライメイは平然と首をコキコキ回した。
巨大ロボにちょっと小突かれた程度ではびくともしない。
故に、ライメイはその心臓部だけでなく機装体部分にも価値があるのだ。
「……負けたのか?」
ライメイを助け起こすミケの後ろで、ケンは思わず口にした。
「第一ラウンドはな」
ぐるりと首を回そうとするミケを制して、ライメイは立ち上がった。
「だが、無意味ではない。ほら、コトシロの動きが緩慢になっているだろう?」
と、ライメイは顎でコトシロを指して、「待って、ライメイ!」とミケが叫び、
〈無駄ダァアアア‼︎〉
いつの間にか飛び立ち再びコトシロ相手に雷と拳の応酬をやると別のクレーターをマンノウ=ザ・パークの丘に刻みつけ、
「ほら」
ほら、とミケに助け起こされるのを三度繰り返した。
「もっ、もうやめてくれ!」
丘にできた四つめのクレーターの中心でケンは叫んだ。
同時に、コトシロ方面から濃霧がブワッと波のように迫り来る。
「うわっ!」
ほのかに冷たい霧と沈黙が辺り一帯を覆い、数m先の視界さえ怪しい。
ライメイが雷の一部を溜め池に放ち、雲霧に変えたのだ。
真正面からぶつかる戦法から、裏を掻く戦法に変えればどうにかなると思ったのだろうか。
ライメイは手応えを感じているらしいが、ケンにはどう考えたってコトシロに勝てる未来が見えなかった。
何より、ライメイがやられる度にミケがこの世の終わりのような悲鳴を上げるのを聞いていられなかった。父が自分を庇った時の、自分の無力さを思い出すのだ。
「どうして、《星の味》を食べたライメイが負けるはずないのに……」
狼狽えるように口にして、ミケは自分の作ったご飯と傷ついたライメイとを見やる。
「お前のせいじゃない、ミケ」
「でも……、それならどうして……。っ、それより、話がちがうじゃないか……!」
その時、ケンはギュ、と心臓を掴まれた気になった。
同時に、こんなはずがないと狼狽えるミケを哀れにすら思う。
「それは──」
言い淀むライメイをケンのため息が制した。
「やっぱり……」
「ム?」
無意識だった。
ライメイの敗因が、ライメイでもミケでもなく自分にあるような気がして、ケンは自分でも気づかないうちに口を開いていたのだ。
まるで自分の中に渦巻く澱んだ衝動が自分にそうさせているかのようだった。
「やっぱり、餡もち雑煮に力なんて無いんだよ」
「やけに投げやりだな?」ン? とライメイがケンの早口を拾う。
しかしケンは二人の視線から目を逸らして、尚も吐き捨てるように続けた。
「こんなこと繰り返したって、意味なんか……」
「意味ならある。エリアマネージャーの標的がお前たちでなく俺に変わっただろう? 自分をコトシロのインプラントにしたせいで意思を制御し切れていないんだ。『ヘイトを買う』ニンジャの基本だ。ヤツは今、主砲に使う力を俺に割いていることにも気づけていない」
そんなことまで考えていたのか。
ケンはライメイが正面突破一択で挑んでいるとばかり思っていた故に、素直に驚いた。
ふいに彼の目が見開かれるが、ふと何か思い出したようにまたその目は逸らされる。
「でもそんなのすぐに気づかれて……」
「ああ、言う通りだ。だから、制御系統をダウンさせてきた」
「え?」
「未だに復旧できていないあたり、大味なことはできても内部系のコントロールは未熟なのだろう。今のうちにこちらも体勢を整えさせてもらう。これもミケと〈餡もち雑煮〉のおかげだ。それに──」
す、とライメイはケンの背後を指差した。「意味が来た」
「救星主さんら……、まだこの星のために戦ってくれてんのか……?」
バッ、とケンが振り向くと、そこにはいつの間にか仲間たちの姿があった。
「ああ、救星主だからな」
こっちは飯屋だ、とライメイが自信たっぷりにミケを紹介するのが掻き消されるほどの勢いで、ソセスシの民はウオオオオ! と鬨の声を上げた。
「え……、みんな……?」
呆然とするケンに構わず、民らはライメイに詰めかける。
「ケンの言った通りだ!」
「え?」
「『ここは救星主様の降りた星』!」
遠くで、議事録係が叫ぶ。
「『諦めなければ明日が来るのさ』!」
それはケンがエリアマネージャーに叫んだ言葉であった。
「ッ‼︎」
──言葉には、責任が伴う。
地の淵に吸い込まれるような感覚に「まって……」と溢れたケンの言葉は鬨の声に掻き消えた。
わぁっ! と沸き立つ皆の中心で、ケンは彼らの希望の声を遠く聞いていた。「……なんで」
「で、どうやって勝つんだ⁉︎ その前に、なんであのバケモンにやられて平気なんだ⁉︎」
沸き立つ声に、徐々に人は集まり、口々に「救星主様が戦ってくれるぞ」と希望の声が伝播していく。
ありがとう、ありがとう、と口々に集まる声は、もうすでに救われたような響きをしていて、ケンはただ、その声の中心で傍観するように立ち尽くした。
「平気ではない。俺もダメージは受けているが、ミケのご飯で回復しているんだ」
「ゴハンで⁉︎」
「食べたものが力になる。ニンジャの基本だ」
もむもむとタダノオムスビを咀嚼して、ライメイはごくん、と飲み込んだ。
「ごちそうさまでした。ありがとう、ミケ」
パン! とライメイが手を合わせてごちそうさまをすると、彼の傷ついた鎧がフッと明滅し、輝きが消えると共に体の傷も失せている。
「本当に、ご飯で……」
奇跡を目の当たりにした星の民は、ごくりと唾を飲みこんだ。
これがニンジャの基本だと言われたら、非ニンジャたちはもう何も言えない。
言えないながらも、誰もが「そんなことがあるわけ……」と目を泳がせている。
ケンはすっかりその光景に慣れてしまったが、やはりこれは異常なことであると再認識した。
でもこれでどう勝つのか?
狼狽えるソセスシの民らに、ライメイは古代より伝わりしニンジャ戦法の一つを紹介した。
「ゾンビ戦法だ」
〜材料2つ!☆簡単☆ゾンビ戦法のレシピ〜
用意するもの
・蘇生する体
・ミケのご飯
①ライメイがご飯で蘇生する
↓
②ライメイがコトシロに攻撃する
↓
③ライメイがコトシロにやられる
↓
④ライメイがご飯で蘇生する
↓
*以下、②〜④の繰り返し。
なるほどー、ソセスシ民らは大いに頷いた。
「で、それを何回やれば倒せる見込みだ?」誰かが問う。
「ミケ、どのくらいでいけそうだ?」ライメイが訊く。
「そうだな、昨日植えた稲のひ孫が収穫を迎える頃には結構いいとこまでいけるんじゃないか?」
少しやつれた声でミケが答える。
「なるほどー」
ソセスシ民は天を仰いだ。
「だがこれも、そろそろ限界でな……」
ライメイは首をゆるゆると振り、傍らのミケに寄り添う。
「ミケの消耗が激しい。ご飯を作るのは楽な仕事じゃないんだ」
「え?」
そうなのか? と思わず久しぶりの声を上げた外食派のケンの後ろで自炊経験のある人々からは共感のため息が溢れ、星の気温が0.5度上昇した。
「すまない、ミケ」
「謝るなよ。こっちこそ、……上手く作れなくてわるい」
ミケのご飯で回復するライメイに対し、ミケはその術を持たないのだとケンは初めてそこで気づいた。てっきり、ミケの方もニンジャめいた力を持つのだと思っていたが、そういえば最初に『ニンジャは自分だけ』とライメイ自身が言っていたのを思い出す。
「飯ならこっちで作るぜ⁉︎」
「そうだ! 材料だってすぐかき集めて……!」
なあ⁉︎ と大挙する者のうち、気の早い者はすでに市場に発注をかけている。
「ありがとう、みんな」
穏やかに笑うミケだが、その笑みはどこかぎこちない。
それは疲労による精神の摩耗というよりは、何か言葉にし難い遠慮によるものに窺え、気にするなとソセスシの民が逸るのをライメイのとても丁寧な説明が宥めた。
「礼を言う。しかし、ご飯ならなんでもいいわけじゃないんだ」
「安心しな! 星の命運がかかってんだ! この星でイッチバン豪華な飯を救星主さんに──」
「〝愛〟が大事なんだ」一文字一文字、読み上げるようにライメイが語る。
「……え?」
愛【あい】。
その発音は図らずもローカライズMODを介さないネイキッドなソセスシ語の母音、その最初の二音と等しく、奇しくも意味さえ同じ稀有な言葉であった。故に、ライメイたちの発音と同時に生じる同時翻訳機能に係るコンマゼロの時差なくそれはその場に居たものの脳に届く。
愛とは。
即ち、説明不要である。
「ご飯は愛だ。俺は同じ星の味でも、ミケが作る〝愛のあるご飯〟でないと、強くなれない」
──あー……、……そういう?
未曾有の危機に見舞われている星の丘に、束の間むず痒い空気が流れた。
ほぼ初対面の相手による深刻な吐露に、愛は餅に包んでそっと伝えるタイプの文化圏の人々は反応に迷う。無理はない。
むず痒さが居た堪れなさに変わる前に、素早くミケが補った。
「早まるな、説明しよう」
ミケはケンにしてみせたように、ライメイに力を与える《星の味》について簡単に説明した。
有人星系の中には、星の恵みを受けて育つ、星の恩寵とも言うべき星ごとの特別な名物を持つ星がある。《星の味》とは、星の名物を愛する人々が、名物と自分たちの暮らしとを結び合わせて代々継いできた、文化の賜物。星と人の歴史が溶け込んだ料理こそが《星の味》なのだ。
「《星の味》は、愛なくして継がれない。俺は、そういう星の人々に愛されたご飯でないと、どうにも腹に力が入らなくてな」
ミケの詳細を省いた解説は、最後にラクライの熱のこもった言葉で締め括られた。
ライメイに特別な力を与える《星の味》。
〈ミケが作る〉の部分への言及がないが、それでも、いや、それゆえに人々は納得した。
「星の味なら〈餡もち雑煮〉だ!」
議事録係が叫ぶ。
当然、議事録にもそう書いてある。
言うまでもなく、他の星の民の意見も右に同じであった。
「そう思って作ってみたんだけど……」
気まずそうに、ミケはどこからともなく〈餡もち雑煮〉がたっぷり入った鍋を持ち出す。
ほわわん、と漂う甘い湯気の香りに、どこからともなく「ほんとに〈餡もち雑煮〉だ……」という声が。
「本当なら、これでライメイはもっと強くなれるはずなんだ」
ミケの言葉に、みな逆説的な可能性の敗北を悟った。
重苦しい沈黙が降りる前に、ライメイが声を発する。
「ご飯の問題じゃない。思うに、量の問題だ。鍋ごといけばなかなかいけるんじゃないかと思う」
「でもそんなに食べたらライメイのお腹が……!」
切なげに呻くミケの声を、ある匿名ソセスシ民の声が遮った。
「アァん? ミケさんよ、これ〝ニンジン〟が入ってねぇぞ?」
「……へ?」
ミケとライメイが揃って声の主を見る。
「雑煮は〝ニンジン〟が影の主役なんだよ。〝ニンジン〟が無ぇから力が出ねぇんじゃねえか?」
にんじん……? とミケとライメイがきょとん、と顔を見合わせた。
そうなのか? と二人が同時にケンの方を見る。
そこで、あっ、とケンは気づいた。
そうだ、ミケは自分の記憶から〈餡もち雑煮〉を作ったと言っていたが、ケンの家では〈餡もち雑煮〉に人参は入れないのだ。〈雑煮に餡もちが入った餡もち雑煮〉の基たる〝雑煮〟シーケンスの内容は各ご家庭種々様々となっている。いりこ出汁に白味噌、餡もちといったおおよそのレギュレーションは存在するものの、そこから先に何を入れるか、何をどう切って、煮て、焼いて、どのタイミングで食すかなどは法の定めるところにない。そもそもいりこ出汁ではない場合もある。
同じソセスシ民であろうと、ケンの家が人参の煮崩れを気にしたくないので人参を入れないように、先祖代々人参は必須で入れる慣習を持つご家庭もあるのだ。ご家庭ごとに異なるこだわりが〈餡もち雑煮〉への思い入れを一層深め、よって──。
「具が足りないから力が出ねぇんじゃねぇか?」
「〝ニンジン〟は入れないけど、餡餅は焼くよな?」
「そっちの地域の人みんな焼くヨねぇ。〝大根どう切ってる〟?」
「〝里芋〟入れるのうちだけ?」
「ウチは〝あぶらげ〟も入れるけどなぁ。いい出汁が出る」
「〝あぶらげ〟まで入れたらそりゃもう雑煮じゃなくて〝シッポク〟じゃないか?」
「なんでも入れるから〝雑煮〟だろ?」
「待て待て待て、救星主さんらに食べてもらってアレ倒してもらうんだぜ? 結局どれが最強の〈餡もち雑煮〉なんだよ」
「そりゃあ〝最強〟って言ったら──」
こうして喧々轟々の議論に発展するまでが一つの雑煮仕草となっている。
「すまない、ライメイ、ちょっと情報収集がてら内乱に発展する前に鎮めてくる」
これ食べて待っててくれ、とミケは最初に作った〈餡もち雑煮〉をライメイに渡して、雑煮会議に沸き立つ民衆の中に消えた。
「ハハっ、やはりこの星の《星の味》は〈餡もち雑煮〉で間違いないみたいだな」
ずずず……、と面頬の奥に〈餡もち雑煮〉をしまい込みながらライメイがほのぼの言うのを、取り残されたケンは呆然と眺める。「ごちそうさまでした」
遠くで「そういやみんなどのタイミングで餡もち食べてる?」の声が消えがちに聞こえ、みんなが遠かったのを耳で感じると、ケンはようやく煮詰まっていた息を吐いた。
「さて、こうなったら次で決めないとな。お前にも、もう一仕事頼みたい。……ケン?」
「……勝てないんだろ」
ライメイがもう一度彼を呼ぼうとした頃、ケンは呟いた。
「オレのせいだ」
ボソ、と溢れたケンの言葉が痘痕のようになった星の地に落ちる。
「『諦めなければ明日が来る』──ばかだよな。何も知らなかったんだ」
「また俯くのか?」
ライメイが問うのも構わず、ケンは矢継ぎ早に繰り出す。
「みんなどうかしてる、こんなことになってるってのに〈餡もち雑煮〉の具がどうとかあんな真剣になって……。〈餡もち雑煮〉なんて食ったって勝てるはずない実際そうだっただろ?」
「まだ〈餡もち雑煮〉の本当の力を引き出せてないだけだ」
「なあ、負けたらどうなるんだ? みんな死ぬのか? みんな、死ぬって分かってないのか? オレが諦めるなって言い出したから、だからみんな本気で勝つつもりでいるのか? オレが、夢ばっか語って、みんなをこんな、取り返しのつかないとこまで……、オレが……」
「叶わない希望を持つ皆が可哀想か?」
「……オレみたいに、なってほしくない」
ず、と啜った鼻の奥で、ケンは父の胸元から立ち昇る焦げた服の匂いを思い出していた。
「あんたたちにも」
ライメイが倒れる度に身を裂かれたように叫ぶミケの声を、きっとライメイは知らない。
絶望は避けられない。
理不尽な死に直面して絶望するのは、するなと言う方に無理がある。
皆、きっと最後に絶望する。
けれどそこに、無闇に希望を抱いて、希望を抱いた自分を憎む苦しさを抱えてほしくない。
せめて最後の絶望くらいは安らかであってほしい。
「オレがみんなを焚き付けたから……」
今日に限ったことじゃない。
今日に至るまでのあらゆる場面で、企業に勝とうと自分が皆を焚き付けてきた。
企業に和解案を示された時、丘のみんなが選んだのは企業じゃなく、そんなの誰が信じるかと跳ね除けた自分の方だった。
濃霧の向こう。
破壊神の砲口の先にみんなを立たせたのは他でもない自分だ。
あの霧の壁の向こうで、コトシロが自分にそう語りかけているようだった。
「今日だけじゃない。オレが最初から企業の条件を聞いてたら……」
──あの時、俺が企業の和解案を飲んでいたら……。
──あの時、俺が人柱になっていたら俺一人の分だけで……。
「企業に勝つだなんてバカなこと言って、オレが、オレがみんなを死なせるんだ」
言葉には責任が伴う。
自分がこの星の人々の心に丁寧に撒いてきたのは希望ではなく破滅の種であったことに、ケンは改めて気付かされた。
その証拠に、〈餡もち雑煮〉を語る人々の声はこれが勝利に届くと信じている。
企業の言いなりになるより、最後まで反抗しようとしている。
きっと間もなく信じた自分を恥じるのだろう。
──誰のせいで?
「皆を虚言で導いたと?」
電子音めいたライメイの声を、ケンは神判の日のように聴いた。
「……」
「それが罪だと思うか?」
「……」
俯くと、つむじのあたりにライメイの視線を感じた。
そしてそのもっと向こうからコトシロの存在を感じる。
目の前に居るのはライメイなのに、霧の向こうの脅威は彼よりももっと近く、もはや自分の内側に在るように錯覚するのをケンは妙に納得するような気持ちで感じていた。
「……そうだよ」
吐き捨てるように答えると、金属の擦れる音が間近で聞こえた。
ライメイが自分を覗き込んでいるのを察してケンは顔ごと逸らす。
現実から逃げるほど、コトシロは自分の傲慢が連れて来たのだと強く感じた。自らが招いた厄災と自分は今繋がっているのだという奇妙な絆をも。「だからアンタも、もういいよ……」
自分とコトシロとの間に割り入るように腰を落としたライメイが憎らしくさえ思える。
もうこれ以上何かをもたらされるのが怖かった。
「何を信じるかは自由だ。他の者たちは企業の好きにされる未来より、お前が見せてくれる希望に満ちた未来の方を信じて選んだ。人に言われるがままではここまで来れない。みんな、お前の信じる未来の方を信じたいと望んだから選んだんだ。必ず企業に勝つ。勝ちたい、でなく、勝つという意志があったから、みんなお前についてきたんじゃないか?」
「だから……、それが間違いで……」
ぐ、と肩に金属の重さを感じた。
温い金属の温度に自分の体が冷え切っていたことに気付いて、ケンは水を吸った蕾のように顔を上げる。
自分を見つめるライメイの洞穴ばかりの黒い空洞と初めて目が合うと、今度はそこに答えを探すように見つめ返した。
ほんの数秒に過ぎない時間。
しかしケンは長い間じっとそこを見つめていたように錯覚した。
「間違いじゃないって言うのか……?」
ようやく絞り出した言葉を、ライメイがゆっくりと確かに首肯する。
「お前はこの星に〝意志の光〟を作ったんだ。誇っていい」
「いしのひかり……?」
何かの符牒めいてライメイが口にしたその言葉はケンの知らないものだった。
けれど、知りたい。今知りたい。きっと、何か自分の光になる言葉だから。
まだ自分を信じてくれる、ライメイからもたらされるものなら、きっと。
「〝いし〟って、気持ちとかの話だよな? それも〝星の味〟みたいな、特別なやつなのか?」
それもニンジャミームなのかと問うケンに、ライメイが、ん? と首を傾げる。
「この銀河の言葉ではなかったのか? この星を勧めてくれた者が一緒に教えてくれたのだが……」
ふむ、と顎に手をやって、そうしてすぐにライメイは差し当たった。
「ああ、そうか。セツゥチは新幹船が通っていないんだったな」
「あ゛あ゛⁉︎」
新幹船──主要星系とコロニー間を繋ぐ超時空ワープ航路とそこを周遊する公共交通機関の一種だ。個人で宇宙船を持っていなくとも、公共の船が道中の有人星やコロニーに運んでくれる。
安全で便利で高速。中でも航行域の広いSUN4船は特に人気の航路だが、渦潮星団や大型惑星諸島に囲まれた複雑な海域を持つセツゥチ銀河の開拓は難しいとされ、セツゥチ銀河の民はソセスシ独自の〈マリンライン〉で最寄りのB'zen星系まで出ないと新幹船・SUN4船を利用できない。それはセツゥチ銀河に住む者たちの密かなコンプレックスでもあった。それに言及すると、
「今それ言うことかよ⁉︎」
無論ブチ切れられる。どんなに打ちひしがれていようと『でも新幹船通ってないじゃん笑』はソセスシ民の闘志を一発で叩き起こす大和言葉なのだ。「好きで不便やってねぇんだよ!」
「あぁ、その、すまない、そういうつもりで言ったんじゃないんだ、本当にすまない」
ライメイは心から詫びて、ケンを宥めた。
ケンはというと、久しぶりに腹の底から出た声に、ライメイには悪いが幾分スッキリしている。
この楽観的なニンジャも狼狽えることがあるのだと思うと、吸い込んだ息に笑みが混じった。
──なんだよ、アンタってほんとにさ……。
「もう、さ、じゃあなんで今言ったんだよ。関係なかったら本気で怒るからな?」
ケンは自分でも不思議なほど、親しみを込めてライメイに釘を刺した。
そういうところが〝救星主〟っぽくないんだとむくれつつ、だからこそ、彼の言葉を〝お告げ〟でなく等身大に受け取っている自分がいる。
「ちゃんと関係ある。と言うより、この銀河に来る前、新幹船が通っている星で聞いた有名な慣用句なんだ。それを思い出してな」
ケンが続きを促すと、ライメイは何かの碑文を誦じるように口にした。
「『音より、夢想より速く、意志の光は彼方に届く』」
悔しいことにな、とライメイは自らの名を皮肉って笑う。
「聞こえのいいだけの虚言は一時の慰めにはなっても、戦い続けるための支えにはならない。大切なのはその場凌ぎじゃない、最後まで共にある、やり抜く意志を持った言葉だ。意志を持った言葉の輝きが、誰かを奮い立たせて希望の先まで歩かせるんだ。いいか、お前の言葉は企業の虚言などとは違う。いいか、お前は口先だけでも夢見がちでもない。必ずやり遂げる、戦い抜いてやるというお前の意志の光が、皆をここまで連れて来たんだ。お前の光に魅せられたから、皆立ち上がり、今もその目に光を宿していられる。誰にでもできることじゃない」
説法めいて語りかけられる言葉の一つ一つが、魂の抜けたようだったケンの体に入っては腹の底に満ち、体の隅々に響き巡っていく。
染み入るような灯火の熱。
血管の内側を温かな光が走る。
久方ぶりに血の通った唇が、懐かしい光の味を思い出して震え出す。
「で、でもっ、それが間違いで──」
「間違いじゃない」
きっぱりとライメイは言った。
「間違いにしない」
そして、より強く、己に誓うように言う。
「言ったろう? 信じる力が、俺の力になると。お前が信じるものに俺は賭けた。お前が《星の味》を信じれば、それが俺の力になる。だからお前も、叶ってほしくない未来じゃなく、叶えたい未来の方にお前を賭けろ」
その言葉の一つ一つを、ケンは無意識に口の中で反芻した。
そのうちに、虚脱感に塗れていた胸の奥からふつふつと湧き上がるものを感じる。
それは見失っていた希望が生まれるための一つ前の段階、根源的な生命力だった。
自分をもう一度信じるのは、まだ怖い。
けれど、叶ってほしくない未来にばかり期待するのをやめることならできる。今なら。
自分もみんなも死ぬかもしれないという恐怖に浸るより、明日も生きて、星の味が紡いできたこの星で生きていたいという意志が、思い出したように息を吹き返し、新芽を伸ばす。
「何度疑ったっていい。だが忘れるな。お前の意志には力がある。お前の言葉には力がある。信じろ、自分の力を。お前が信じるものを」
「……本当に、そんなものあるのか?」
不安を隠すこともなく、思うまま口にした言葉をライメイに投げかける。
相変わらず少しも動かない彼の重金属の表情筋は、それでもケンには微笑んだように感じた。
ライメイならきっと『ある』と言ってくれる──そんなあどけない打算を彼は自分に許した。
「もちろん」
ほら。
喉の奥がカッと熱くなるのを感じて、ケンは急いで唾を飲み込む。
「不安なら証拠があるぞ?」
「しょ──証拠?」
腕で額の汗を拭うふりをしたかったが、ライメイの手が肩に乗ったままでかなわない。
仕方なく顔を目一杯逸らしてケンは鼻から大きく息を吸った。
「俺もお前の意志の光に魅せられた一人だ」
「あはは……、ほんとかよ」
笑えば一層平気に見える。
ライメイの機械めいた音声による、慰めでなく事実を淡々と口にするような口調がありがたかった。
自分はまだ哀れまれる立場じゃないのだと思うと、不思議とまだできることがあるような気がするのだ。
「お前が企業のエリアマネージャーに立ち向かう声が聞こえてな。まさか和解案を蹴るとは」
見事だった、とライメイがしみじみ言う。
エリアマネージャーの和解案を蹴り上げた時のことが、随分昔のことに感じる。
あの時はこんなことになるなんて──いや、過去のことなんて言っても仕方ないんだったとケンが薄く笑って首を振ったのを、ライメイは謙遜と理解した。
「あんなのすごくもなんともない。あれはアンタが来るって打算があったからだよ。きっとアンタたちが来てくれるって、強いやつをアテにして、オレは……」
「それでも、この星の人々が見ていたのはお前の姿だ」
俺たちじゃない、とライメイが言い切る。
──オレを。
ライメイの感情の読めない瞳が、真っ直ぐにケンを見据える。
──オレを見ていた。
どくん、と自分の心臓が目覚めるのを感じる。
「お前は必ず『勝つ』と言った。お前の声に、意志に魅せられて、他の者たちも立ち上がった。あれには痺れた。あれを見て、俺もミケに怒られてもお前たちの代わりに戦うことに決めたんだ」
「……怒られる?」
やけに平和な響きに耳が引かれた。
「ミケは、俺と企業が交戦するのが嫌なんだ。管理職クラスはとくにだ」
「そうだったんだ……」
「コトシロも、ミケから『目当てのものだけ抜いてこの星から逃げよう』と言われていてな」
「えっ」
気まずそうにライメイは頬を掻く。
救星主と言うにもニンジャと言うにも人間臭いその仕草に、ケンは思わず目が吸われた。
「恨まないでやってくれ。ミケだって、なにもお前たちを見捨てようとしていたわけじゃない。戦況的に、一度撤退した方がお前たちも安全と踏んだのだろう。手段が互いに異なるだけで、目的は同じだ。何より、お前たちの叫びに最初に気づいたのはあいつなのだから」今思うとあれはお前の声だったな、とライメイが顎に手をやる。
そういえば、とケンも一刻前を回想した。
そういえば、ライメイたちが最初に自分とエリアマネージャーの間に入った時も、ミケは彼がエリアマネージャーの前に出ることに全身で反抗していたのを思い出す。
たしか、空きっ腹でエリアマネージャーは無茶だとかなんとか言っていた。
その後ご飯で回復しながら戦っていたのを見るに、食べて強くなるということは逆説的に空腹だと十分な力が出ないということなのだろう。その食事で得た力さえ消耗品なのかもしれない。
戦闘車両を撃退した後のライメイはエリアマネージャーのパルス砲に屈していたし、自分とエリアマネージャーとの間に割って入った時点ではすでにライメイは不利な状態だったのかとケンは記憶を辿りながら理解した。
それから、〈餡もち雑煮〉を食べたライメイが敗北した時のミケの「話が違う」の意味も。
──あの『話が違う』はそういう意味だったのか……。
ケンはその言葉を、自分の記憶から生まれた〈餡もち雑煮〉に救星主に力を与えるだけの力がなかったという意味で半ば理解していた。昨日までの自分ならむしろ『オレたちの〈餡もち雑煮〉を食べたのに話が違う』とさえ言っただろうにと、いつの間にかすっかり弱気になっていた自分に気付く。知らないうちにまるで何かに化かされていたかのように、恐ろしさの沼底に自分は居たのだとわかると、やにわに遠くで未だ賑やかに議論しているみんなの声が聴こえ出した。すっきりとした肌触りの霧。耳の横を通り過ぎる風。遠くで起動再開の時を待つバケモノの威圧感。好ましいものからそうでないものまで、あらゆる感覚が自分の元に帰ってくる。
「そろそろヤツも動き出すだろう」
少し薄らいできた霧の向こうをライメイが気にする。
さっきまでは、霧で覆われたまるで巨大なバケモノが放つ恐怖という引力に吸い込まれているようだった。
いつの間にか見えない潮流に足を取られ、そこから掬い上げられるならたとえ破滅でも救いの手のように感じて縋っていた自分が居た。
まるで水底に足が着いたかのような今、あんなに肉薄して感じていた脅威との距離は心で感じていたよりも遠く、理性の内に処理できる。
恐怖は依然変わらない。
脅威は去ったわけでない。
けれども、地面の重さを足で、全身で感じている今は、追うも逃げるも自分の意思で体を動かせる。
それがわかると、自分にライメイのような力が無いとしたって少しずつだが不思議と力が湧いてくるようだった。
その感触を確かめるようにケンは自分の手を見る。
開いて、握る。まるで一日中畑仕事を手伝ったあとのような、ふわふわと頼りない手応えに拍子抜けしてしまうが、それでもほんの少しなら何かできるのではないかと思える自分がいた。
フッ、と笑う気配がして顔を上げる。
「ケン、お前に仕事を頼みたい」
「え、お、オレに?」
「次で決める。だが、その前に力を溜める必要があってな。ヤツの気を引きながらではお前たちのことを気にかけている余裕も無いだろう」
「そ、そんなに大がかりになるのか……?」
「ああ、〝とっておき〟というやつだ」
ニヤ、と動かないライメイの口が笑みを作ったような気がして、ケンは彼の能面を覗き込んだ。
「すまないが、お前はあの者たちを率いて丘の向こうへ逃げてくれないか?」
「あの者って……」
てっきり、向こうでまだあん餅雑煮の具について会議している面々かと思いきや、ライメイはケンの後方を指差した。
その動きにつられて、ケンもぐい、と首を捻る。
「え?」
ライメイの指差した先。そこには市場の方から丘を上がってくるソセスシ民たちの姿があった。
皆、商売に使う車やバスで互いを呼びかけながらこの丘に集っている。
「は⁉︎」
驚いて体ごと振り向くと、何人かが自分に気づいて手を振り上げ、何事か叫んだ。
いつものケンなら手を振り返して励ますところだが、混乱でとてもそれどころではない。
「なっ、なんでこっちに……⁉︎」
「一箇所に集まってくれたのならむしろ助かる。その方角にはヤツの手が及ばないようにしよう」
頼んだぞ、とライメイはケンの肩を一押しした。
「うそ⁉︎ まっ──、もう行くのか⁉︎」
「ヤツはもう、待ってくれない」
戸惑うケンをライメイは丘を登る者たちの中に促して、自身は未だ賑やかな議論の続くミケたちの居る後方へ振り返る。
「必ず勝つ。お前は皆に呼びかけてできるだけ遠くへ、星の反対側を目指してくれ」
「オレが⁉︎ うそだろ⁉︎ それって……っ、簡単に言うなよ!」
ライメイの言わんとしていることは撤退戦ではないか。
その指揮を自分に任せると言っているのだ。
「ぁ、アンタが言ってくれよ!」
「ハッハッハ、こればっかりはお前じゃないと意味がないんだ」
健闘を祈る、とライメイは拳を掲げてどこか揚々と去っていく。
カチャリ、カチャリと迷いなく離れていく金属の足音と反対に、丘を上がってくる人々の声は次第に大きくなってくる。
「まってくれよ……」しばらく経って、ケンは口の中で呟いた。
突如任せられた大役のその責任の重さに、息を吹き返しつつあったケンの芽はすっかり萎れた。
だって、ライメイを信じるのとこれとは別だ。
今さら自分に何ができると言うのか。
ライメイが自分の声がみんなを導いたと言ってくれたが、それができたのはこんなことになるなんて知らなかったからだ。
議事録係に、市場の者たちも避難するよう呼びかけたのは自分だ。
議事録はプロパガンダではない。
会議で起きたことを包み隠さず公開する。
それが幼馴染の彼が代々引き継いできた使命だ。
故に皆、すでに自分があの厄災を招いたことは知っているだろう。
そんな自分の言葉など、誰が聞くと言うのか。
ライメイたちの名を借りようか?
けれど、いくら議事録で知ったからといって、彼らがあの奇跡を起こしたと目の当たりにしていない者たちに、どう彼らを信じろと言えばいいだろう?
「なんで、みんな……」
なぜも何も、この星で想定される災害と言えば、この度の水不足を除いてはマンノウ池の崩壊くらいだった。
万が一マンノウ池が溢れれば、平らなこの星のほとんどは水に沈む。
その避難地として周知されているのがこのマンノウ=ザ・パークの高台なのだ。
他の土地が平坦である以上、異常事態が起こればこの丘を目指すのは頷けた。
だとしても、その異常事態が起きている場所こそがこの丘であることは、ここに居ない者たちにも明らかなはずだった。
だとすれば、むしろ星を捨てて交易用の船で星の外に逃げるべきだ。全員が乗れなかったとしても。
最悪に備え、いつでも星を出られるよう、みんな訓練ができている。
ケンはてっきり市場の者はすでに星外へ出ているものと思っていた。
その想定がこうして大きく外れたとわかった今、やることは一つだ。
「やるのか、ほんとうに……?」
もしもに備えて、撤退戦の基礎や星を一時的に離れる術は学んでいた。
だからこそわかる。自分が今それに最もふさわしくない人間だということが。
最悪の状況下での撤退において最も大切なこと『統率の取れた集団行動』だ。混迷した場では、一人一人の判断に依存するのではなく、絶対的な指導者によって民──個人の意味を剥奪し、〝撤退〟の文脈を為す一つの記号として機能させなくてはならない。作戦の実行ただそれだけに身を捧げさせなければならないのだ。もし誰か一人でも、生きたさ故に文脈を逸脱する迷いを見せれば、その時点で撤退は成立せず、座して死を待つことが最善になる。
企業に反抗し、あまつさえ敗走に失敗した星では星の味どころか民同士で内乱が起きたとも聞くのだ。
これはまとめサイトで見たことじゃないから本当だな? とケンは場違いに笑う自分に笑った。
ケンの恐れは決して大げさではなかった。
〝以下はケンもまだ知らないことだが、企業は大型プロジェクトを仕掛ける際、平社員の自由思考を停止させる。コトシロのような絶大な暴力を有する企業でさえ統率の乱れを、個人の意志の力を恐れるのだ。服従に仇なす意志を。◾️の力を。〟
この丘には今、生きたいと願う者たちが集ってきている。
その中にはきっと、完全に絶望している者もいれば、まだどうにかなると思っている者もいるだろう。
皆に等しくあるとすれば混乱だけだ。
ここに来れば何か救われるのではないかと渇望する者たち。
だからこそ、だからこそなのだ。
──今ここに立つべきは自分じゃない。
途端にケンの体を緊張が走り、怯える心臓が吐き出す血液は耳鳴りみたいに耳の中でごうごうと鳴り出した。煮詰められた不安が胆汁のような収斂味を伴って喉奥に込み上げる。
少し前まではコトシロによってこの星が潰えることが最大の恐怖だと思っていた。
しかし、もし内乱になればこの星の者たち同士で破滅が起こる。
守りたかった者たち同士が互いの生きる道を奪い合う、人災が起こる。
輸送トラックの荷台に乗っている者同士が何やら大声で話している様子が見えた。
暴風みたいな音を立てる耳鳴りがうるさくて何を喋っているのかはわからないが、街宣車の音割れした音声まで聞こえる。
ケンにはそれが、嘆きの応酬に見えた。自分が叫び出したかったから。
目眩を堪えながらケンは間も無くこちらに到着する星の民の列を眺めた。
みんなは知っているのだろうか?
なぜあんな化け物が現れたのか。
なぜこの星が未曾有の危機に陥っているのか。
その中心に誰が居たのか。
それを知っても、まだ自分の声を聞いてくれるだろうか。
こんな自分に皆を導くことなんてできるだろうか。
余計に混乱を招きやしないだろうか。
自分に、何ができるだろうか。
「オレに……、……っ!」
だが、やるしかない。
これ以上誰も失いたくない。
ならやるしかないんだ。
ライメイだって言った。
信じろって。
信じるしかない、オレじゃダメなら、オレじゃダメだから、奇跡が起きることを!
ケンはスゥ、と震える体をふいごのように唸らせて息を大きく吸い込むと、押し寄せるスセスシの民全員に向かって全身を捧げて叫んだ。
「みんなぁあー! 頼む、聞いてくれぇー‼︎」
「なんだい?」
「ぅわあア⁉」
突如、脇の下から聞こえた声にケンは余っていた息全部を使った悲鳴とともに飛び上がった。
びっくりしすぎて瞬間的に浮いた体は受け身を知らず、どちゃ、と間抜けな音と一緒に泥の中に尻から落ちる。
「あらあらヤだよ、坊ったら。肝が小さいのは親父さん似かい?」
唐突に出現した砂糖売りの老婆にケンは悲鳴を上げつつ咽せ返る。
不意を突かれたのはもちろんだが、こう言っちゃああれだが事態が事態で彼女の歳も歳なので、瞬間的に化けて出てきたと考えたのである。
「あれが噂の救星主サンかい? ただの旅人さんにしちゃあいい男だとは思っちゃいたが……、まさかニンジャたァね……。アタシも老いたもんさ」
「砂糖屋の゛っ──︎⁉︎ っゲッホ、なんでここに……⁉︎」
「なに、花見見物でもしたいのサァ」
老婆は水の染みた泥の中に手頃な腰掛け石を見つけてどっかり腰を下ろすと、本当に花見でもするかのようにコトシロの沈黙する霧の向こうを眺め始めたではないか。「花に霞たオツだねェ」
「な、何してんだよ! こんなとこで──ッそうだ! これからみんなで逃げるんだ! 早く、安全なとこに! ほ、ほら!」
「安全な場所などありゃせんよ、ケン坊」
ハッ、と砂糖売りの老婆は鼻を鳴らすと、カチンッ、と懐のジッポを鳴らして葉巻を呑んだ。「慌てなさんな」
「ば、ばあちゃん……?」
フゥー……、と口の端から煙を燻らす彼女の姿は、おむつを替えてもらった頃から付き合いのあるケンでさえ知らない姿だった。話し方さえあの穏やかな彼女のものではない。「えぇ……?」
人差し指と親指でつまんだ太い太い葉巻から、甘い匂いのする煙がたっぷり漂って、ケンの鼻腔にまで入り込んでくる。不思議と落ち着く香りだった。落ち着いている場合じゃない。
ケンは記憶の中の彼女と目の前の彼女とを見比べることをやめて、荒れた呼吸と速すぎる心拍数のクールダウンがてら今目の前にあるものだけを見ることに努めた。
幻でも見ているような気分で風に吹かれる煙の彼方を目で辿ると、続々と丘に集うソセスシの民たちの顔の一つ一つが見えてくる。
皆、緊張を顔に浮かべている。
しかし、誰も下を向いていない。
未曾有の事態に混乱を萌しながら、それでもどこか何かを待ちかねているような顔をしている。
それどころか、さっきケンに気づいた者たちは他の者にもケンの存在を伝えたのか、さらに手の数を増やして言葉の通り、大手を振って走ってくる。
その顔もやはり厄災から逃れる窮地の悲壮でなく、まるで宴の輪に向かって走るような、希望が頬に艶やかな輝きを施しているのがこんなに離れたところでもわかる。
「……なんで?」
皆が近づいてくる。
避難民を誘導する先頭の軽量トラックがケンの間近に迫り、眩いハイビームにぎゅっと目をつぶった彼の横を「泥かけたら、アごめーェンンッハッハッハッハッハー!」と車載拡声器の晴れやかなドップラー効果を吹き付けながら車窓から身を乗り出したかつての遊び仲間が風のように通り抜け、雑煮会議の集団の側にスライドブレーキで駆け付ける。
この星の民はみな特殊な訓練を受けているため車の窓から顔や手を出すことができるが、それにしたって平時はあんなにはしゃぐものではない。有事においてはなおさらだ。今日は最初から子連れを世帯ごとB’zen星系に避難させているからとは言え、この状況下で良い子の前では決してできないはしゃぎ方をすること事態が不可解だった。
ケンは混乱した。
砂糖屋の老婆の出現や皆の振る舞いはもちろんだが、迫る車体に瞑ってた目を開いた時、軽トラの残像の中に見えた荷台の中身に見覚えがあったことが彼を一層困惑させた。無論、避難物資の類ではない。
ここまで来ると、ケンにもいよいよこれがただの避難行動でないことが直感り出した。
「みんな孫から聞いたのさ」
トラックの横風で消えた葉巻の吸い殻を膝で揉み、二本めを呑みつつ問わず語りに彼女は謡い出す。
彼女の言う孫とは、ケンの幼馴染でもある議事録係のことだ。
先代・議事録係を長く務めた彼女がその代を孫に譲ったのは、マンノウ池が埋め立てられた頃だった。
実際の孫である現・議事録係の彼とともに、自分も本当の孫のように可愛がってくれた砂糖売りの老婆は、企業闘争において主張を異としながらも、己の守るべき者として、ケンの密かな心の支えとなってくれた一人だった。
「マンノウさんが戻ったのはケン、アンタのおかげさ」
「ッ!」
それは違う! オレがしたことは、と身を乗り出すケンを老婆はスッ……、と皺の刻まれた古木のような手で制した。
「言ったろう、慌てなさんなと。それから……、みんな聞いたとね」
マンノウ池に顔を向けたまま、使い古した黒目だけケンに寄越して老婆は告げる。
「アンタが人柱を願ったこと、救星主さんが現れたこと、あの化け物が現れたこと、みぃんな」
スウゥウ、と甘い葉巻の半分ほどを灰にして、口の中で煙を味わいながら老婆は〝みぃんな〟の中身を咀嚼した。
ゆっくりと紡がれる言葉の、その行間の語られざる部分までもを全て、星の皆が聞いた。
知ってほしくないこと。
知ってほしいこと。
後ろめたいこと。
情報に貴賤をつけず、客観的な事実を漏らさず伝えることが彼女たち議事録係の末裔の役目だった。
この星が今どんな状況に晒されているか。もしかしたらケン以上に、外で議事録を読んできた市場の皆の方が的確に把握できているのかもしれない。
「ごめん、ごめん、ばあちゃん、やっぱりオレじゃ……」
今日。市場に残っていた老人の多くは元々は企業との摩擦を望まなかった人たちだ。自分が企業に勝つことを声高に叫び続けたから、真っ向から反対こそしなかったものの、こうなることをずっと前から恐れていた人たち。その筆頭がこの星の歴史に誰よりも詳しい、前議事録係の彼女だった。
きっと誰よりも過去を知る彼女には、こうなる未来が見えていたのだ。
だからこんなに落ち着いていられるのだ来るべきものが来ただけだから。
今さら詫びても仕方がないのにそれでも言葉にせずにいられない自分の弱さに、ケンはせめて情けない顔は晒すまいと、ギュッときつく瞼を噛み締めて俯いた。
「アァ? なにスットボケたこと言ってんだい?」
「だって……ッ、オレが……っ! オレのせいでみんなが、っし、っぐ、うぅ……っ!」
「アンタら父子はほんっと、先のことばっかり見て、振り返ることを知らないよ。アタシらが自分の店ほっぽって、わざわざ説教垂れにでも来たと思ってんのかい? 年寄りを暇人と思われちゃ堪ンないね」
ハッ! と快活に鼻を鳴らして、老婆は「ふぅー……」と煙を吐く。
「あれが何に見える?」
しばしの沈黙の後、静かに投げかけられた老婆の言葉に、ケンは恐る恐る目を開く。
そこには数分前よりもさらに賑わいを増した雑煮会議と駆けつけた市場の皆が居る。
「議事録でね、流れてくんだよ。『ケンがまだ諦めてない』、ってね」
「違う! オレは諦めたんだ! オレが言い出したのにっ、どうせダメだって……!」
「でも、あの子にはそう見えなかった」
あの子、と老婆は賑やかな雑煮会議の面々の中で、必死に記録を取り続ける孫を顎で差した。
「アンタが心ン中で何を思ってたのかは知らないさ。それがわかったところで、客観的に見た事実を残すのがアタシら議事録係の仕事さね。──誰よりも前向いて、アタシらの分まで勝つことを信じてたアンタだったから、きっと内心負けてても、あの子はアンタに光を見たんだろうよ。議事録はイマを未来に残すもんだ。未来が来ないなら、アタシらは筆を取りゃしない。あの子が今も黙って自分の仕事してンのは、アンタが言い続けた勝つって意志に光を見たからさ」
「オレに、光……?」
その言葉に、ケンの目の内でチラ、と聞き覚えのある言葉が瞬く。「オレの、意志が……」
「それがアタシらをここまで連れて来た!」
パン! と膝を手で打って、老婆は立ち上がる。
「逃げるって言ったかい、ケン坊? 逃げる結構、星の果てでも海の果てでも、どこまでも行ってやろうじゃないのサそうやってソセスシは生まれたんだ! トンズラかくならどこまでも、今度こそアンタと一緒に行こうじゃないのサ! けどネェ、ケン坊! アンタに魅せられたアタシらは、仕事ほっぽってただ命乞いに来たんじゃないよ!」
「……え?」
「魂を賭けに来たのさ」
その瞬間、ワァッ! と湧いた声にケンは弾かれたように顔を上げた。
まだ霧が晴れ切らない中、コトシロが発射した砲撃をライメイが防いだのだ。
その手にキラリと雑煮のお椀の朱塗りが光る。
停止していた制御系統が復旧し、いつまでも攻撃してこないライメイに痺れを切らしたのか、コトシロは二発、三発、と続けざまに威力も方向も気まぐれな迫撃砲を放った。それは星を絶やすためのものでなく、こうすれば力を持たない自分たちは恐怖に狼狽えるだろうと嘲笑うための戯れだった。
当たるかどうかはコトシロに──エリアマネージャーにとってはどうだってよいのだ。
また、次、次、と試すように放たれる砲撃をライメイが、ミケの厨の火が防ぐ。
やられてばかりを良しとせず、ライメイとミケは目配せすると、次のやや大きめの砲撃はすぐに弾き返さず、力を溜めるライメイに代わってミケが一点に集中させた厨の火で受け止めた。ミケは撓んだ朱色の火の重心を矢羽のように捕まえると、砲身を孕んだ火の帯ごと限界まで引き絞る。そこにライメイが放電するように白い雷を纏わせた瞬間、ミケは指を放した。
ライメイの雷とミケの火の帯を纏った砲身が、ビョゥ、と鋭い音を立ててコトシロの胸部を射る。
その反撃の鏃がコトシロに着弾したことが爆発音とエリアマネージャーの驚いたような声でわかった。しかし、それもヤツには大したダメージではないらしい。むしろその応酬さえ楽しんでいるような声色をしている。
何がおかしいのか、高笑いするエリアマネージャーの不気味な笑い声が星を揺らす一方で、発射される度に反射的に上がる悲鳴は、徐々に喜色を帯びつつあった。
「ほんとに雑煮で強くなったァ⁉︎」「だから言ったろ、ワシらの雑煮が力になるってェ!」「て言ってもこっちも初めて見たんだけど!」と、その奇跡を誰もがどよめきの内に期待に変える。
「聞いたよケン坊! 〝救星主〟さんはアタシらの〈星の味〉で強くなるんだってェ⁉︎ そんなバカなことがあるかい! どこの議事録にも載ってやしない! けど、アンタだったから信じた! アンタを信じて、救星主さんにアタシらの〈餡もち雑煮〉を食べてもらいにここまで来た‼︎」
ブォオオオオオン‼︎
唸るオフロード仕様のネオ・ハイエース。
迫るエンジン音に肩を鳴らせばお待ちかねだと言わんばかりの警笛音がお囃子めいて真横を過ぎる。
一台、二台、その横っ面に『ヤコリイの汁出』『糖砂シスセソ』『店穀米・ウノンマ』『ヤオヤ噌味』の輝く屋号を湛えた働く車たちの群れがブォンブォンとケンたちの横を通り過ぎ、ヘッドライトを爛々と輝かせて雑煮会議にやはりスライドブレーキで馳せ参じる。
それらは全て言うまでもなく〈餡もち雑煮〉に欠かせないサムシングフォーを担うソセスシ民ご用達のイカした小売店のメンバーに他ならない。
「一体、何が……」
直感以外の間が惜しい。続く商工会の旅客用バスの車窓からは「ケン! 先に行っとるぞ!」「早よ来ぃな!」と特殊な訓練を受けた者たちが老いも若きも期待に赤らんだ顔や声を出して、丘のてっぺんへ物資と人とを届けに行く。
「信じられるかい? アタシらの〈餡もち雑煮〉であの化け物を倒すなんて。アタシゃ誰より長く議事録係をやってきたが……、ハッ! そんなおめでたい話、聞いたこともないね! アタシが知らないくらいだ、星のだっれもそんな話、夢にも考えたことなかった!」
高らかに老婆は笑い、そして、
「でも信じた」
なぜ、は語る必要がない。
答えは目の前に在る。
後続車のテールランプが真っ直ぐ前に、前に向かう。
「アンタは知らないだろうが、アンタの父親はそれはデキた星長でねぇ。あの子が居なくなったんじゃあこの星も、ってみんな思ってた。アンタもそいつは感じてたろう? アンタが頑張ってくれてんのは知ってたが、アタシら年寄りみたいなのはネェ、もう期待すんのに疲れっちまって、変に猛って惨めな思いするくらいならこのままマンノウさんと一緒に枯れようか、って、本気でそう思ってたのサ」
それはいつかケンが己に投げた問いの答えだった。
皆、きっと最後に絶望する。
無闇に希望を抱いて、希望を抱いた自分を憎む惨めさに打ちひしがれるくらいなら、希望なんて持たない方がいいのではないか。
その答えが、ケンの前に在る。
「ケン、見えるかい、アタシの顔が! アタシたちの顔が‼︎ これから生きるか死ぬかって時に、アタシらは〈餡もち雑煮〉のことを考えてる! こんなバカなことがあるかい⁉︎ ないって言うたん!」
気づけば歩き出していた。
星のみんなが待つところへ。
自分たちの〈餡もち雑煮〉で勝つと叫ぶみんなの輝く頬の光に吸い寄せられるように、泥の上にできたみんなの轍の中を一歩一歩進んでいく。
ぬかるみに足を取られて膝をついても、また立ち上がって前に進んだ。
みんな、明日を信じている。
「ケン? 居ないと思ったらまだそこに居たのかよ。ほら、餅持ってきたぞ! 早く来いよ!」
自分たちを信じてる。
「許しておくれとは言わないさ。今までアンタにみんな励ましてもらっておきながら、アタシら年寄りはお前さんを助けることもできなかった」
星の味を、自分たちの歩みを信じる、みんなの光が呼ぶ方へ。
「ありがとうよ、ケン坊。アンタはアタシらにこの景色を見せてくれた。これから何が起こったって、アタシらはもう迷わないさ」
無駄な希望なんて、持たない方がいいんじゃないか。
最後の絶望くらい、安らかな方がいいんじゃないか。
いつか自分が抱いていた問いに、踏み出す一歩で答えていく。
〝否〟だ。
誰かが勝手に決めた自分たちの運命に、否と言うために、今日まで歩いてきたんだ。
オレが? いいや。
「揃ったな。さあ、ケン──」
オレたちで、だ。
〈第〇話 神の無い星〉
いつも、誰より前を自分が歩かなければと思っていた。
それが〝神〟というものだから。
◆
その時、ニンジャが現れて、彼こそが神なき星に現れた神だとケンは気づいた。
きっとこの星でただ一人、その存在を求めてきたから。
遠い昔。ある日荒野に越してきて、ひたすら土地の開墾と商いをしてきたソセスシの星には、祈る神も神話もない。誰も、必要ともしなかった。だって、人が拓いた土地だから。
ケンがこの星でただ一人それを求め出したのは、星長である父が企業との会議で家を空けがちになった頃からだった。
〝導くもの〟。〝ずっと先まで照らしてくれる、絶対的な光みたいなもの〟。
──ゼッタイテキっていうのは……、まあ、変わらないものってことだよ。
ある時、この星を訪れた商人と親しくなった折に、神とは何かを訊いたことがあった。
他の星にはあって、この星には無いという神がどんなものなのか。なんでみんな神に様まで付けてありがたがるのかちっともわからなくて、でもそんなすごいものがもしあったなら、その真似をすれば父の助けになるかもしれないとぼんやり考えていたから。いま思うとなんて恐れを知らない問いだったろうと、あの時の商人に申し訳なく笑ってしまう。
〝導くもの〟。〝ずっと先まで照らしてくれる、絶対的な光みたいなもの〟。
商人は少し言葉を選んで、神とは何かをそんな風に語った。あくまで自分にとって、と加えて。
一体どういう流れでそんな話になったのかは遠い記憶だが、でも、その答えを聞いた時の体中の毛穴が歓喜するように覚醒する感覚は昨日のことのように覚えている。
その時、自分は神を持たないのではなく、すでに持っていたのだと気づいた。
〝導くもの〟。〝先を照らす絶対的なもの〟。
それで言うと、この星では当時星長を務めていた父がそうであった。
ここは、神でなく、オレたちの祖先──人が拓いた星だ。
岩の塊ばかりの星で、岩を砕いて砂にして、コロニーから持ってきた少しの水と種とを砂に混ぜ、自分たちの故郷にした。それが、ソセスシの始まり。砂糖売りの老婆が話してくれる議事録の中で、子どもの頃のケンが一番好きな話だった。
もたらされたものは何もなく、全部全部、先祖が自分たちで拓いてきた轍。
そんな星の民と星との歩みを象徴したものが、自分たちの星の味〈餡もち雑煮〉だ。
みんなの星の味を守るため、みんなを鼓舞しながら企業と戦う父を誰より近くで見てきたケンにとって、父は星のみんなが意味づけるものよりも絶対的な自分の憧れで、何より強い光を放つ存在であった。商人が神を語った時、ケンは己の中に神を見つけた。
ああ、思い出せばそうだった。
あれから間もなく父を失い、父の意志を継がねばと勇んで若き星長になった頃。かつて神なき星の導きだった父。皆の絶対的な光であった父なきいま、自分がそれになるんだ。その純粋な意志がケンに無尽蔵に湧く力を与えた一方で、ぽっかり空いた不在の器を埋めるため、ケンは父が絶対的な存在であったように、誰にもその空隙の存在を打ち明けずひっそりと先人たちの情報漂うネットの海に潜った。その海底。
並ぶ鮮烈な言葉。根拠など曖昧に声高に叫ばれる苛烈な振舞いや恐れを揺さぶるエピソード。
無限の力を持つ企業の御神体・ロアに、奇跡の源泉となったという人柱たちの美しい生涯。
ロアと呼ばれるものたちの即時的で中毒性のある味わいはすぐさま不在に取って代わった。気づけば息継ぎをするように潜り込んでいた逸話の海で出会ったものの中で、最も自分を惹きつけたのが、星を訪れ星を救うと云う救星主譚。その力の絶大さ。何者にもへつらう必要のない唯一無二にして不滅の存在は、まもなく企業との最終決算を迎えんとしているケンにとって二度めの神の発見だった。ライメイはその体現だと思ったのだ。
だが、違った。
彼はきっと、自分が描いてきたような絶対的な神とか、なんでも叶えてくれるような全知全能ってやつじゃない。
それで、自分は本当は、そのなのずっと求めてない。
求めてないはずなのにその影を探したのは、きっと自分の憧れだった父が急に居なくなったからで、自分が父が消えたソセスシに未来を切り開かなければいけないと、そのための道標みたいな、ばかりを求めて先の、先の、ずっと先しか見ていなかったから。だから、気づかなかったのだ。ずっと隣りにみんなが居たことを。
「ケン!」
議事録係の友が走ってくる。「やっとまとまった!」
そう言って、件の雑煮会議の議事録を差し出してくる。
それは会議と言うよりは、とりとめのないみんなの好きな〈餡もち雑煮〉話で、各々が各々のこだわりをただ楽しく話しているだけだった。議事録には誰が何について語ったか詳細に記してあるが、見なくてもケンにはどれが誰のウチの〈餡もち雑煮〉のことだかわかる。
結局〈ニンジンあり〉になったらしくて、なるほどだから八百屋のアイツがあんなにはしゃいでたのかと、ケンは一番槍を切って駆け抜けた軽トラと、その荷台にびっちり詰められていたニンジンのコンテナを思い出した。
みんなみんな、自分のウチの味が一番だって思ってる。一番っていうのは、他のウチのがダメってんじゃない。ただ、ウチのが一番好きっていうだけ。代えがきかないっていうだけ。だからこそ、みんなその話になるとなんだなんだって集まってくる。こんな生きるか死ぬかの時だって、自分たちが食べ継いできたこの星の名物の話になると途端に元気で、〈餡もち雑煮〉に欠かせない三盆糖はいつも胸のポケットに入れてる。和三盆を入れるための内ポケットが無い服は、きっとこの星に無いんじゃないか? それくらい、みんなこの星の味が大好きだった。
でも、これがオレたちなんだ。
それがオレたちの星の味なんだ。
これがライメイたちの力になる。
オレたちの〈餡もち雑煮〉が、星を救う力になる。
いつも誰より前を、その先を照らさなければいけないと思っていた。
全部の矢面に立つつもりで、そうやって父さんも闘っていたから。
だから企業と戦うことも一人で決めた。
誰も自分の前に道を付けてくれなくたって、自分がそうなればいいんだって、とにかく自分がみんなを導くんだって、それが星の長で、父さんの代わりで、〈餡もち雑煮〉を未来に残すために必要なんだって、信じて疑わなかった。
ライメイはオレの背中をみんなが見てたって言ってた。
でも、きっとその時にはもうみんな同じ場所に居たんだ。
気づいたんだ。
父さんみたいに導いてくれる人が居ないから、だからオレは一人で、みんなを導くんだって思ってた。
でも、違った。
ずっと一人だったんじゃない。
みんなずっと、隣りに居てくれた。
だからオレは、今日まで歩いてこれたんだ。
「さあ、ケン。皆を連れて──」
促すライメイを手で制する。
ずっと神様だと思ってた。
父さんも、ライメイたちも。
その光の後ろをくっついていればどうにかなるって。
でも、違った。神様じゃなかったってことじゃなくて、オレのやりたいことが、なりたいものがそうじゃなかった。
オレはもう、誰も一人にさせない。
導がない道を行くならどこまでも、その隣りで共に歩く者として、いつだってみんなの隣りに居たい。
オレたちがそうなら、ライメイたちだって同じだ。
だってさ、『お客さんたちに全部任せて、自分たちだけ逃げました』だなんて、この星の議事録に書けないだろ?
「みんな、聞いてくれ」
この星は、神の無い星。人が拓いて、人と人とが育ててきた星だ。みんなの意志が作った星だ。
今までも、これからも。
責任逃れ? 精神論?
違うね。
ここじゃそれが力になるのさ。
その証拠に、さっきまでちゃんと撤退のこと考えてたオレの前には、誰一人ここから逃げたいと語る顔がいない。
みんなこの星に新しい議事録が生まれるのを、オレたちの〈餡もち雑煮〉が企業に勝つのが見たくてここに居る。
「信じる心が、救星主サンの──ライメイの力になる」
聞いたよ! とどこからか景気のいい声がする。
だから来た! と応じる声がさらに調子を付ける。
「オレたちの〈餡もち雑煮〉がライメイを強くするんだ」
ライメイも言ってたよな? 量の問題だって。
信じる心がライメイの力になるならさ、量は多い方がいいんじゃないか?
そりゃ、多少は危ない目には遭うかもしれないさ。全員じゃなくたっていい。
でも辛いも甘いも餅に包んで、同じお椀で味わおうってのがオレたちのソセスシの星の味なんだから。
「必ず勝つ──そうだろ、ライメイ?」
「ああ」
力強く、ライメイが頷く。
「ならさ」
オレたちの想いが詰まった議事録を高く掲げる。
するとそこに刻まれた文字が眩い光になって、呼応するようにみんなの胸のあたりがほのかな輝きを帯びる。その光源はきっとオレたちの星の味を生んだ和三盆のお菓子だって、この星の人間なら誰だって気づいてる。驚かないさ。だって、これからもっとすごい奇跡をオレたちは見るんだから。神のいないオレたちの星の、新しいオレたちの物語を。
「見せてくれてよ、オレたちの〈餡もち雑煮〉の力を、オレたちが勝つのを──特等席でな!」
勝つために、ここまで来た。
オレが?
いいや、オレたちが。
続
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