合同会社 《憧れのおじさん派遣サービス》

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合同会社 《憧れのおじさん派遣サービス》

 俺は伯父。正確には、|《何の仕事をしているのかわからなくて他の親戚からはちょっと煙たがられてるけどやたら物知りでかっこいい武勇伝をたくさん持ってていろんな遊びを教えてくれるのに「オジサンみたいな大人にはなるなよ」が口癖で気づいたら消えているまるで夏の幻のようなボクだけがその魅力を知っている30〜40代くらいのホットな伯父》──それが俺の仕事だ。  核家族って言葉ができて久しいこの国じゃあ、同時期から家庭内小子の数も減って、必然『両親に兄弟姉妹がいない=(叔/伯)(父/母)がいない』って子どもが増えてきた。これは問題じゃない。そう、問題じゃない。起こるべくして起こることの全てがやっきになって悪者を探すほどの問題じゃないってことは頭がちゃんとしてるやつならみんな知ってる。そういうことだ。  ただ、問題じゃないってことは時に味気なくもある。  味気ない少年時代。  問題はそっちの方だ。  いくら両親がまともで健全な家庭でも、親と子っていうあまりにも近すぎる上下関係だけじゃ誰だって息苦しくなるもんだし、同年代の子どもと群れてるだけじゃあ広がる世界も広がらねぇ。  親が子どもに見せたい世界のスケールと、親が子どもに見せられる世界のスケールとは必ずしもイコールじゃねぇんだ。  親や近場の友だちって日常から、少しハミ出た存在がいねぇと物語は始まらねぇ。ちがうか?  お子どもさんが広い世界へ巣立つのに必要なもんを(あつら)えるにゃ、ほどほどに距離があって、ほどほどに甘えられて、でも親ほどは身近じゃなくてダチよりは上位の存在ってやつが必要になる。  ゲームのキャラみてぇに、身近で魅力的だがいつも一枚画面挟んだ向こう側に居るみてぇな、そういう存在がホットな少年時代(チャイルドフッド)にゃ必要なのさ。  いつでもは側にいないが、盆や法要なんかの先細りしていく家系図のおさらい行事のタイミングで不意にあらわれ、退屈な一日に強烈な印象を残して、そしていつの間にか思い出の彼方に消え、折に触れ人生のスパイスになるような存在。  そういうのにぴったりなのが、『両親どっちかの兄弟らしいけど正体不明な親類』っていう、人生で最初に出くわす親以外の未知の大人──伯父(伯母)の存在であって、それこそが俺たち《合同会社_架空親族紹介派遣》、通称:憧れのおじさん派遣サービスのタレントたちの仕事だ。  合同会社_憧れのおじさん派遣サービス  架空親族紹介派遣は、読んで字の如く『架空の親族の紹介または派遣』を商いにしている。  両親ともに一人っ子、あるいは兄弟姉妹は存命中だがあまりに悪辣すぎて親族として子どもに会わせられない──しかし子どもには、国から表彰されてたり外国語ぺらぺらだったり色んな資格持ってたりウィットに富んだジョークが肥えてたり、そういうスパイシーな親族との交流を通して刺激のある幼少時代を送ってほしい。──そしてあわよくば、できれば大いに、その手の尖った親族に憧れて、勉強や習い事に自ら(・・)打ち込むようになってほしい。  そんな親たちの邪な願いを叶えるために、両親(クライアント)から要請を受けて、ユニークな親族を持たなくてかわいそうだと思われている子どもの〝おじ・おば〟の代理として家系図にちょ〜っとお邪魔するのが俺たちの仕事だ。  契約期間は子ども(ターゲット)の満三歳の四月から小学校卒業までの全期間、あるいはその間のごくわずかな期間。俺たちはターゲットの親の兄弟、あるいは姉妹としてターゲットと交流する。  あらゆる誤魔化しが利くとされている物心つくかつかないかの内にしれっと家庭に入り込んで(=クランクイン)、あらゆることに勘づき始める第二次性徴期を前に、海外に行くだか国から密命を受けただか言って姿を消す(=クランクアップ)。そしてその間に、親や友だちとでは味わえない日常的で特別な体験や、保護下におけるちょっとした冒険、子どもが自ずと真似したくなるような模範的英雄行動なんてものをやって、少年期に彩りを添えるのが主な事業内容だ。  具体的には月に何度か、もしくは数ヶ月に一度、あるいはオンラインで日に日に顔を合わせて一緒にゲームをやったり、田舎のおじさんの家に子どもだけで泊まりに行かせたり、年賀状を送り合ったり、夏休みの工作を子どもの代わりに作らされる親の代わりに一緒に作ってやったり。時には『顔と名前だけ貸してくれ』なんてパターンもある。  依頼ジャンルが様々なら、ウチが提供するタレントの方も様々だ。学校の勉強やニッチな教養を与えることを専門にしたほとんど家庭教師みたいなタレントもいれば、有名人やレアな施設とのコネクションを売りにしたタレントも居る。見た目や言動がとにかく派手で、まるでフィクションの登場人物みてぇな挙動でワクワクさせるのが得意なタレントに、何もしないけどただただ話しやすいことが存在理由なタレントも居る。  依頼人がターゲットにどんな幼少時代と余生を送ってほしいかで派遣される伯父のキャラとやることが決まるから、これは本当に、派遣先家庭のシナリオによるな。  親でもダチでもねぇ、でも身内だっていう内と外の狭間の存在である、おじだからこそ導いてやれる世界がある。  子ども(ターゲット)をその入り口に立たせてやるのが俺たちなんだ。  歳食ってできた気心の知れた友人たちと酒の肴に幼少時代(チャイルドフッド)を語り合う時、自分も他の奴と似たり寄ったりな台本通りのあらすじを喋りたいか?  自分だけひょっこり「得体の知れない伯父がいた」なんてアドリブが放り込めたら。そいつはさぞスカッとしそうじゃないか?  誰とも違う思い出を持ってるって優越感は、いつかそいつが冴えねぇ人生に飽き飽きした時、そいつの一番の友人になってくれるのさ。そういう意味じゃ、この仕事は人生の保険でもあるな。  ここで大事なのは、ウチの会社が抱えてるタレントおじには色んな設定のおじがいるってことと、そのどれもが子どもにとって必ずなんらかの形で憧れと特別な思い出をもたらすということ。  俺たちはその〝憧れ〟を提供することを商いにしていて、そして俺はその中でも特にレアな《妖怪おじ》を担当している、ベテランの妖怪おじだってことだ。  《妖怪おじ》とは何か。  一昔前は妖怪おじと言やぁツー・カーでツーツートントンに話が進んだもんだが、最近じゃあすっかり前口上が必要になっちまった。  なあ、実際に居るのを見たことはないが、噂には聞いたことがあるんじゃないか?  盆や法要の時にだけひょっこり現れる、何を仕事にしているのかわからなくて他の親戚からはちょっと煙たがられてるけどがやたら物知りでかっこいい武勇伝をたくさん持ってていろんな遊びを教えてくれて散々憧れをほしいままにするくせに「オジサンみたいな大人にはなるなよ」が口癖で気づいたらどこかに消えている、もう何かそういう妖怪みたいな正体不明の中年の伯父。あれこそが世に云う《妖怪おじ》だ。  【どっから来たのか、どこのなんて奴か、どこに消えたか。】  【D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où Allés-nous?】  そういうのがまるでわからねぇ親族が記憶の彼方に居たら、あんたの人生は間違いなく上等だ。  なんたって、《妖怪》すでに絶滅したって話だからな。  来歴は不明だがひとまず身内ってことだけははっきりしてて、やたら知識と〝空気〟を持ってる両津勘吉(敬称略)みたいな中年が、昔も昔、大昔には市井のあちこちに居たもんだった。そうなると自ずと、一家系に一人は必ずそういうのらりくらりとした伯父が居ることになって、田舎のあちこちで聞こえる「オレみたいになるなよ」の声は盆正月の風物詩だったんだ。  子供からすりゃあ、世の中のあらゆることに変に詳しくて、口うるさくあれしろこれしろを言わず、むしろちょっと危ないことにも挑ませてくれて、加えて自分に親切でおとなげなく相手してくれる大人って存在は、自走式のイマジナリーフレンドみたいな都合のいいもんだったのさ。それが《妖怪おじ》がこの国から姿を消しても、その存在がまことしやかに語り継がれてってる所以だな。原始、《妖怪おじ》は守護精霊のイデアであった、ってやつさ。  ところが、そんな里山の風景にも転機が訪れた。  少子化に核家族化、都市への人口流出に始まる資本主義のあらゆる家系図への介入によって人々の在り方は様変わりし、気づけばどの家系のオジにも定職と己の所在を明らかにする必要性が社会から付与されるようになったんだ。  簡単に言えば、正真正銘の何してるのかわからないちょっとグレーな中年は、たとえ親族であっても教育上、子どもから遠ざけられるようになった。  そうして幼少期に妖怪おじとの交流を持つことなく、順調に資本主義的キャリアパスを駆け上がっていった今の親世代は、妖怪おじって生き方を知らねぇから自分もそう成りようがねぇ。一念発起して自分がそういう幻の存在になろうとしたって、何をどうしたらそういう生き方になるのかてんでわからない上に、そんな風体たらたらな生き方、恐くってできませんってこった。  そうでなくたって、だ。この国に消費税が導入されて以降、順調に個体数を減らしていった妖怪おじはその習性として『自分みたいな大人を量産してはいけない』という自戒があるから繁殖しない。むしろ親戚の、それもかわいい甥っ子姪っ子が自分なんかに憧れて自分みたいになりそうだったら心から心配して説得する。時には経済的な支援と親御さんへの聞き取りも行う。本気で何の稼ぎも無いけど飄々としてられるおじなんて、そうそう居ないんだからよ。  こうして、宿命的かつ経済的な自然淘汰の一環として、妖怪おじは里山から姿を消した。  どっちが良い悪いの話じゃねぇ。そういう時代があったってだけの思い出話さ。  しかし、どれだけ科学が進歩しても存在の証明が不可能な幽霊や都市伝説の存在が現代でも語り続けられているように、未知のものへの憧れが妖怪おじの概念を今日(こんにち)まで永らえさせた。  それどころか〈叶うなら自分の親戚にもそういうUMAじみた魅力を放つおじに居てほしかった。叶わないなら、せめて自分の子どもだけでも〉そう願う依頼人のために俺みたいな擬似《妖怪おじ》の存在が生まれ、商売として確立されるまでになったってわけだ。  おかげさまで俺はもう三十年ほど、売れっ子の《妖怪おじ》をやってる。  余談だが、《妖怪おじ》には親の弟の方を指す〝叔父〟じゃなくて、兄を意味する〝伯父〟しか存在しねぇ。  なんでかって?  考えてもみろ。  兄貴がのらくらしてて将来像がおぼつかない半生送ってんの見たら、大抵の弟は『自分はこうはなるまい』ってちゃんとしそうなもんじゃないか?  兄貴が真面目過ぎる反動で弟がぷらぷらするってこともあるが、そういう弟はなぜか〝兄型〟の妖怪おじとは全く違う、独自の進化系統(ルート)に進んで《消息不明おじ》になっちまうから、結局のところ妖怪おじらしい妖怪おじは兄だらけってことになる。まあ、だらけって言っても母数がそもそも少ねぇから、全ては推論の範囲ってところだけどな。  というか、基本的にウチの会社が派遣する〝おじ〟はみんな〝伯父〟であって、わざわざ〝叔父〟を派遣することはまず無い。  弟願望のある奴ァNGとまでは言わねぇが、ちょっと工夫が必要になるな。  正体の知れない不思議なオジってのはいつだって、〝親の兄〟じゃなきゃなんねえ。  なにより、親の弟だったら名前が要るじゃねえか。  その点、兄ってやつは便利なもんだ。  頼んでもねえのに下の子が生まれた瞬間からそいつは《兄ちゃん》で《兄貴》で《兄さん》で《アイツ》なんだから。兄弟同士名前で呼び合う家もあるだろうが、少なくとも伯父仕事中の呼ばれ方はさっき挙げた中のいずれかで十分だ。これは家庭(現場)に入る前に依頼人たる両親との打ち合わせで決める。  両親どっちかの弟にあたる〝叔父〟を役にした場合、両親が〝叔父〟をなんて呼ぶのか、命名とその由来を考える手間がかかっちまう。  それに事故だって起こりやすい。  俺たち吸血鬼は偽名を使い回すのくらい十八番だが、クライアントの方はそうじゃねえ。  呼び慣れてないその名前が咄嗟に出てこなかったり、うっかり俺らの源氏名を呼んじまったり。  リスクは数え出したらキリがねぇってくらい出てくる出てくる。  だからこそ、俺は依頼人(クライアント)には必ず俺のことを《兄ちゃん》か《兄貴》か《(義)兄さん》て呼ばせるようにしてる。  名前が消える現象は、兄ならではの特権だ。  やっぱりおじは伯父に限る。 「なあ、そう思わねぇか?」 「そこまでお考えになられているとは、勉強になります」 『おじさんのなまえはなんていうの?』なんて訊かれたら?  そん時ゃこう言うのさ。 『おじさんは生まれた時から〝おじさん〟ていうんだよ』  これだ。  こういういい加減なことを言ってターゲットを煙に巻くのも俺の仕事だ。  『そんなわけないじゃん!』てターゲットが食ってかかってプンスカ帰ってくのは更にいい。  『オジサンみたいにはなるなよ』に拍車がかかるってもんだ。  妖怪おじは掴みどころがねぇのが大事だからな。  ちなみに、今入ってる家庭(現場)では俺は片っぽの親の「兄貴」ってことになってる。  言いたかったんだろうなあ、兄のことを兄貴(・・)って。  なに、珍しいことじゃない。  子どもに魅力的な伯父を与えたいって願望を持つ依頼人たちの中には、同時に自分もそんな物語に出てくるような兄が欲しかったって大人がごろごろ居る。  今さら子ども時代に遡ってちまちま思い出を作るんじゃなく、効率良く既にパッケージ化されてる架空兄貴との思い出の中に浸りたいって人間は珍しい話じゃない。  第一、仮に俺がクライアントの弟をやれたとしても。兄弟姉妹のいない一人っ子育ちのクライアントが、いきなり赤の他人の兄貴ヅラを演じ切れるとは思わねぇ。兄貴ヅラはボロが出やすいし、逆に疲れちまうだろう。  俺たちはターゲットに夢を見せるのと同時に、クライアントにも夢見せてんだ。  だからやっぱり、おじは伯父に限るってなもんよ。  その点じゃあホストクラブとかに近い業界な気もするが、そんな建て付けを表に出すと客足がグッと減っちまうから、俺らは俺らの商売を説明する時、決まってこう言うことにしてる。 『動物カフェとか、ふれあい動物園みたいなものですヨー』  ──ネコやウサギと戯れてみたいって気持ちは疾しいもんじゃないですよね?  って。  なんでか知らねぇが、こう言われると人間は大体納得してくれる。  多分よくわかってねぇだろうが、こういう子供騙しな言葉遊びで大人はなんとかなるもんだ。  納得いかない奴は、そもそもうちに相談になんて来ねぇんだから。  こんな得体の知れねぇ業界に足突っ込んでくる時点で、親の方も何かしら魔法にかかりたい──共犯者が欲しいって思ってんのは明らかで、俺らはその心意気を買ってる。  そういう商売だ。  依頼が完了する頃にゃあ、大体どこの家の依頼人も『あなたのような兄の居る幼少時代を過ごして、あなたのような伯父の居る家系に生まれたかった』なんて言ってくる。  あまりにもお決まりの文句。あまりにもちんけな言葉。  それに対する俺のお返事もお決まりで、いつだってctrl+vでこうやるのさ。 『お兄ちゃんなんて、金払ってでもやりたくないね』  もちろん、こんなのは軽口であって本心じゃない。わかるだろう、兄弟──?  そんな風な表情を浮かべて、無意味に無言で頷き合い、依頼人たちの前から去る。  そして、二度と会わない。  どこに消えたか、今どこで何をしているのかさっぱり検討もつかない。  ただ強烈な印象と数々の思い出、そしてほのかな憧れを少年時代(チャイルドフッド)のAメロに刻んでいく。  それが俺たち、妖怪おじなのさ。  楽しいか? ああ、楽しいぜ。  そんな濃いキャラずっとやってて飽きねぇか? ──アゝ! 飽きないネェ!  子どもは毎年生まれる。毎年成長する。卒業したって次から次へと新しいクライアント家族が俺の元に来る。  ターゲットごとに好みが違うから、覚える技術も知識も毎回イチから習得になるのが大変だが、でも一旦覚えたらどんな技能も無駄なく使える上に、幅広いジャンルの知見を蓄え続けることが『どんな仕事をしているのかわからない』妖怪おじの魅力に磨きをかける。  飽きる暇なんてねぇ、最高の仕事さ。  『耐陽等級:二級以上(日中でも損壊なく活動可能)の吸血鬼であること』ってのが、ちとハードル高ぇが、こんなナァ気にしなくていい。一昔前はともかく、今じゃ陽避けグッズも充実してるし、吸血鬼の瞳の色だとか牙だとか、そんなのはいくらでも誤魔化しが利く。  依頼は純粋な人間からしか受け付けない上、最近じゃ子供の方が大人より忙しいから、土日や日中に呼び出されるリスクも無くて、これ以上ないってくらい俺たち(吸血鬼)ファーストな職業だ。  両親(クライアント)に顔の雰囲気を似せられる程度の変身能力がありゃ、もう言うことねぇ。 「だからどなたでも大歓迎だってのに、なんで応募が来んかね」 「貴方が仰る以上に、簡単にできるものではないからでしょう」  ブハァ、とため息を吐く俺に、《合同会社_架空親族紹介派遣》のエージェント・MID.U(ミッド・ユー)は苦笑した。  黒いガラス越しに聞こえる加工音声の笑い声は相変わらず不気味だが、そういうラジオか何かだと解釈すればそれはそれで味わいがある。  怠い面談室での打ち合わせも、ラジオの収録だと思えば自然と口が回り出すってもんだ。  実際、この新人エージェントの聞き上手っぷりときたらラジオパーソナリティーのそれだった。  もしかしたら前職は本当にラジオ関係者だったのかもな、なんていい加減なことを考える俺をよそに、奴は俺がつらつら話す内容を【やりがい】だとか【企業理念】だとか【応募要項】だとかの項目に振り分けながら、キーボードをコチャコチャ叩いて記録していく。  ほんとにこんな俺の愚痴みてぇな話で新しいタレントが増えるのか甚だ疑問だが、簡潔な文章で見栄え良くまとめられた【求人要項】の素案を見てみると、よくわからねぇが上手くいくような気もしてくるってもんだ。悪い気はしねぇな。「ヘヘッ」  せっかくなら、コイツみてぇなのが入ってきてくれると、張り合いもあるんだけどな……。  このエージェントはつい最近入ってきた事務方の交代要員(人間)だが、どうやら仕事はめっぽうできるタイプのようで、こいつが来てからというもの、面倒な経費清算だとか契約書の取り回しだとかに不自由したことがねぇ。  ある種の裏家業なもんで事務方の顔や声は俺たち吸血鬼にはわからねぇようになってるが、きっとあの暗幕の向こうじゃ、涼しい顔で仕事をバリバリこなしてるんだろう。  そういう小慣れた雰囲気が嫌味にならねぇ男だった。  何より、俺はこいつが気に入ってる。  このエージェントときたらここ以外にも仕事をあっちこっちで掛け持ちでもしてるのか、俺が知りたい情報はどんなジャンルでもすぐに取り寄せてくるし、こいつが持ってくる情報の何がいいって、ネットに載せられてる上っ面の知識じゃなくて、本当にその業界に関わったやつじゃねえと話せない〝生きた情報〟を仕入れてくるってとこだ。  《妖怪おじ》には、幅広くてユニークな知識と技術が欠かせねぇ、ってことをこいつはよくよく理解してる。  悔しいからもうやらねぇが、こいつに貰った業界話を子ども(ターゲット)に聞かせると、みんなヒャアヒャア笑いながら耳を立てるんだ。 「それは貴方様の話し方が巧妙だからですよ」 「どうだか」  こういう人間こそ、吸血鬼になった姿を見てみてぇもんなんだけどなぁ。 「アンタがタレントの方もやってくれりゃあ、求人なんて出さなくて済むんだけどなァ?」 「フフフ……、お褒めに預かり光栄です」  恭しくオジギして、エージェントは用の済んだ画面を閉じた。 「では、今日のインタビューはこのへんで……。ご協力、ありがとうございました」 「いーえ、これで店がデッカくなって、共生局様のご認可を頂けますならお安いご用ってな」 「また身も蓋もないことを」  くくく……、とエージェントの笑う声は、変声期を介すと砂嵐みたいに聞こえた。  笑う時、手元が動いて見えるのは、口元に手をやってるからだろうな。 「で? 次の用件は」  ズゴッ、とストローをいななかせながら、夜食用の補血パックを飲み干す。  今日はこの後ターゲットに会う予定があるから、腹は満たしておかないとな。 「ええ、今月のクライアント評価ですが、今回も〝最上〟をいただきましたよ」 「お! いいねェ! どこだい? A邸の坊かい? B邸の嬢ちゃんかい? それともC邸か? あそこはクライアントが気難しいんだがよ」 「そうですね……、強いて言うならその全て(・・)です」  したがって、インセンティブがこのように……。  澱みない動作で提示された報酬額に、ヒュウ、と口笛が出る。  契約中の親御さん(クライアント)には月に一度、おじとしての俺たちを評価してもらう契約になっている。  俺が一番気にしてるのは子ども(ターゲット)がどれだけ俺に満足してるかだが、金を出すのは親御さん(クライアント)だ。まさか子ども(ターゲット)本人に、「あのニセモノの伯父さんは気に入ったかい?」なんて訊くわけにもいかねぇから、親御さんの方に俺たちの働きぶりを評価シートに入力してもらって、その評価シートを見ながら俺たちも期待に応えられるよう《おじ力》をブラッシュアップしていく。  そしてその評価レベルが俺たちの報酬の計算式に当てはめられるんだが、どうやら今回も良き伯父であったらしい。  正直金には困ってねぇから報酬額には興味ねぇが、比類なき(りょう)伯父であれたことに俺のプライドが満たされる。  プライドのねぇやつに、伯父は務まらねぇ。これも、【応募要項】に載せてもらわねぇとな。  俺は今、それぞれ異なる学区の六つの家庭で伯父をしている。  兄弟が居る世帯も含めると都合八人の子どもの伯父を同時にしているわけだが、その八人の子ども一人一人にとって、伯父は俺一人きりだ。  子ども(ターゲット)にとって、伯父との邂逅は人生で一度きり。  その一度きりの瞬間を、その後の日々をとびきりにするために俺たち(タレント)は居る。  幼少期のあらゆる邂逅はターゲットのその後の人生に良くも悪くも必ず影響を残す。  あの時は未熟だったからやり直させてくれなんて通用しねぇ、それが架空親族業の世界だ。  だからこそ俺は〝最上(テッペン)〟であることにこだわる。  〝最上(テッペン)〟だからこそ見せてやれる世界がある。  〝最上(テッペン)〟だからこそ痛いほどに憧れられる。  憧れのない世界ほどつまんねぇもんはないからな。  俺たち職業おじは、ターゲット(子ども)に〝憧れ〟のきっかけを与えるために生まれた。  ターゲットより長生きしてきた俺たちは、ターゲットに色んな世界の入り口を味見させてやることはできる。  でも最終、そこから先を歩いていくのはターゲット自身だ。  俺たちは、ターゲットが選んだ世界を自力で進むための力として〝憧れ〟を頼る。  拓いた世界を信じて歩いて行くには、〝憧れ〟の力が必要だ。  躓いた時にもう一度歩き出すには、〝思い出〟の癒しが必要だ。  この無責任な世の中でターゲットが世界に飽きずに生きていくためには〝憧れ〟への渇望と、 〝思い出〟による精神の潤いが必要なんだ。  だから俺は、とびきりの一発屋として〝最上(テッペン)〟を目指す。  出会ってからの数年間、俺はずっとターゲットにとっての〝最上〟で居続ける。  いつどんな時もその子に〝最上(テッペン)〟を与えられる伯父であること。  それが、俺が伯父をやる意味で、伯父としての俺の存在意義だ。 「さて、これをもちましてそろそろ本題とさせていただきたいのですが……」 「おいおい、本題って、評価面談のことじゃねぇのかよ? てっきり俺ァ、求人インタビューが前座で、報酬の話が真打だと思ってたぜ?」  頭の中にポップアップさせた予定表の記憶には、確かに【求人要項聴取・月例評価面談】と題されていたはずだった。  打ち合わせルームの予約時間もそろそろ……、というタイミングで、エージェント・MID.U(ミッド・ユー)はおもむろに話題を変えた。  いつも時間配分ぴったしに話を進めるこいつにしては珍しく、五月雨式だ。 「急ぎじゃねえなら、また今度にしてくんねぇか? A坊との約束に遅れちまう」  演出上の理由なく約束に遅れる伯父は〝最上〟じゃない。  A坊はいま受け持ってる六世帯八人の子どものうちの一人だ。  四歳〜十一歳までの八年契約(フルパック)のクライアントたちと違って、A坊のとこは最長八歳まで使える短期契約(ショートステイ)を毎年更新している。  A坊は今年度で八歳になる。  受け持ちのターゲットの中じゃあ一番俺に懐いてくれてるが、もし親が今年度、契約を更新しなかったらそこでA坊とはお別れだ。  無理もねぇ。  架空親族派遣そのものがカタギにゃ眉唾モンの業界だろうし、A坊の親は慎重派だ。  ウチのタレントは吸血鬼だけだって聞いた時、一瞬だが怖気付いてたのを覚えてる。  何より……、普通に金がかかるからな。ウチは。  住宅ローン払うようなモンだ。  住宅ローン払うようなモンって言っても、ウチは未だに共生局に認可されてねぇ吸血鬼事業所だから、ウチもクライアントも銀行から金を借りられねぇ。  つまり、ある程度以上の経済的余裕のある家庭じゃねぇと架空の親戚は雇えないんだ。  嘘を突き通すには金が要る。  その点でもA坊の親は慎重だった。  A坊は俺に懐いちゃいるが、親に似て慎重なのかあんまり外には出たがらねぇ。  俺が見せるモンにはそりゃあいい反応をくれるが、自分から興味のあるものを探しに行ったり求めたりにはまだ抵抗がある。  俺の決めセリフ『オジサンみたいになるなよ』を言うまでもなく、まだ〝憧れ〟が無い。  今年で最後になるなら、今のうちにホットな思い出だけでも作っておいてやりたかった。 「ご安心を。それほどお時間はいただきません。貴方が『YES』を言うだけですから」 「あア?」  そう言うとエージェントは端末を閉じ、黒い手袋に包まれた長い指を意味深に組み交わした。 「先方の都合で正式な申し込みは師走となるので、まだ内々の話なのですが……」  その前置きに、ほのかな期待が首をもたげる。  業務的な口調の合間に少しだけ息を吸ってエージェントは、 「来月、八月三十一日で契約満了となるA様邸から、長期契約の打診が来ています」  それだけを言う。  問うことはしない。  俺に答える義務はない。  だが、何かしら言わないとこの会話は終わらないし、俺はターゲットとの約束に間に合わない。  それなら俺が言うことは一つ。  「『YES』だ」  部屋を出る。  打ち合わせ終了時間ぴったし。  やっぱりあのエージェントは、おじに向いてる。   ◆ ◆  八月は、人間だった頃のことを妙に思い出しちまう。  吸血鬼になったのが盆の時期だったせいか、昼が長いせいでちょっとセンチメンタルになっちまうせいかはわからねぇが、大して面白くもねぇのになんだって思い出すかね。  理由はいつもぼやっとしてるが、今日に限ってはこの【この職業についた経緯は?】って質問のせいだな。  Q:新卒? 中途?  A:オイオイ、さすがに新卒はねぇよ! 中途だ。  Q:この仕事を知ったのは吸血鬼に転化する前? 後?  A:後。ハッハッハ! まさかこんな業界があるなんてよォ!  Q:転化後のいつ?  A:あ? 覚えてねぇ。人間の三十は過ぎてたな……?  Q:誰の紹介で?  A:先代の社長。  Q:その社長とはどこで?  A:そりゃあ……、あれ? わかんねぇけどあの時代だし飲み屋じゃねぇか?  Q:社長は人? 吸血鬼?  A:吸血鬼。  Q:話しかけてきたのは向こう? 貴方?  A:えー……、と……  Q:周りに人は居た?  A:居たんじゃねえか?  Q:社長は人?  A:吸血鬼。  Q:この仕事を知る前は……  A:オイオイ、いくつ質問すんだ? 悪ぃが、この後エージェントと打ち合わせなんだ。 もし手前さんが新しい求人担当ってんなら、残りの質問はまた今度時間取って……、    いや、他の……、残るやつに訊いてくんねぇか。悪いな。 「それはそれは……、身内が粗相をいたしました」 「アンタが謝ることじゃねぇ。それに、ウチの社員ってことは俺も身内だろ? 新入りにゃあ粗相はつきもんだ。目くじら立てるほど野暮じゃねぇよ」 「寛大なお言葉、感謝に堪えません」  なんて言って、エージェント・MID.U(ミッド・ユー)は顔隠しのガラスがあるってのに、恭しい一礼をした。  もしかしたらちょっとその顔が見れるかも、なんて思ったが……、生憎いまはそんな気分じゃねぇ。  プロおじともあろう俺が、こんな気もそぞろじゃあな……。  盆休みの前に定例打ち合わせで事務所に来ると、事務所は珍しく他のタレント伯父やタレント伯母たちが居た。  夏休みはターゲットとの信頼関係や特別な思い出を作るのに最適な時期だ。  俺たちの技術にもさらに磨きがかかって、この時期の伯父・伯母にはいい脂が乗ってる。  言ってみたら、夏休みは架空伯父・伯母の旬だな。  あと、大体の仕事のボーナス後でもあるから、新規契約の掻き入れ時でもある。  どいつもこいつも新しいクライアント確保のために、エージェントと綿密な打ち合わせをしたがるから、夏休みの事務所は人手が多かった。  いつもは対して気にも止めねぇが、今日に限っては周りの奴らのギラギラした顔がやけに目について、つい視線を逸らしがちになっちまう。  そんな所在なさげな俺を気の毒に思ったのか、新しい事務方らしいエージェントが俺を例の職業インタビューの回答役に選んでくれたが、どうもパリッとした答えができなかった。  粗相は俺の方だぜ……。 「あのよ……」 「ええ、なんでしょう」 「あー……」 「……」 「……」 「フ……、どうされました?」  ついぼーっとしちまった俺に、エージェントが柔らかな声で訊く。 「え? あ、あぁ、なんでもねぇ。やっぱり……、ほら、時間は決まってんだ。そっちの用から話してくんねぇか?」 「よろしいですか? では、お言葉に甘えて──」  そうしていつものクライアントからの評価を聞いて、それで……、あァ、どうすっかなあ……。  ◇ ◇ 「『心ここにあらず』といったところでしょうか」 「……あ?」 「あまりに毎回〝最上〟評価ばかりで、飽きてしまわれましたか?」  くくく……、とエージェントが喉を鳴らすのが変声機越しに聞こえる。  今日の声は随分低い、年配のジジイみてぇな声だった。  だからか、兄貴分たる伯父気分のいつもの俺よりも、随分腑抜けた頭のまま話しちまった。 「失敬、今日はどうも他にご心配ごとがあるようでしたので……」  躊躇いがちなエージェントの言葉だが、答えを促してる。  時間を見ると、あぁ、そうだな、そろそろ俺も腹を括る時間だ。  椅子にどっかり腰掛けて、ふぅー……、と大きく息を吐く。  ここで紙煙草でも吸えば随分とサマになんだろうなァ、なんて考えて、 「引退を考えてる」  煙を吐き出す代わりにそう言った。 「引退、ですか」 「おう」 「……理由を伺っても?」  動揺を欠片も見せない落ち着き払った調子で、エージェントは柔らかな声で俺に問う。  ちょっとはこの飄々した坊ちゃんの度肝でも抜けるかと思ったが、バレちまってたか。  悔しいが、こいつもプロってこったな。  ああ、しゃあねぇなァ。 「《αおじ》が現れた」 「……アルファおじ……?」  なんだ、知らねェのか?  ……ま、無理もねぇ。俺だって、《αおじ》なんてそれこそ正真正銘・妖怪みてぇなモンだと思ってたんだからよ……。 「後生だ。録音してんだろ? これから話すこたァ、俺の人間(ひと)の身内の個人情報も入ってる。今だけそいつを切っててくんねェか」 「……ええ、承知いたしました」  きっかけはA坊だ。  A坊がきっかけじゃなけりゃ、俺も引退までは考えなかっただろうなんて、弱気なことを考えちまうようじゃ、ハッ! 遅かれ早かれこうなってただろうな……。  俺が受け持ってる八人のターゲットの中で、一番俺に懐いてる、臆病で何やるにも慎重な、まだなりたいもんが見つかってねぇ七才児のA坊。  課題はあったが、間違いなく、俺たちの関係は最高だった。  A坊は俺が帰る時間になると俺を帰さねぇよう、俺の膝の上に座ってどかなかったし、俺が訪問する日には二階の窓から俺が玄関に入るまでをガラスに鼻がへばりつくほど見てた。  俺だってA坊のことが可愛かった。  こいつに、他の誰とも作れない特別な思い出を作ってやりたい。  ずっとは覚えてなくてもいい。ただ、いつかふと思い出した時にテメェの人生が少しマシに感じるような、そういう息抜きのための特別な一コマを作ってやりたい。  それから、〝憧れ〟を教えてやりたい。  憧れは人生の希望だ。  親でもダチでも見せてやれねぇ世界を見せてやって、人生に飽きる暇なんてないくらい、叶えるのに必死になれる夢を掴ませてやりたい。  そんな俺の思いが通じてか、A坊は今まで受け持ってきたどんな架空甥よりも、俺という妖怪おじとの時間を求めてくれた。  このペースなら、三十一日の短期契約終了までに、俺たち妖怪おじ最大の誉れ『おじさんみたいになりたい』が聞ける日も、そう遠くない──。  そんな風に思ってたんだ。  おじさんみたいになりたい、を言う無邪気なターゲットに、『オジサンみたいになるなよ』を言うその瞬間こそ、この仕事のクライマックスだ。  憧れさせておいて、でもそれを辞退される。  憧れ辞退なんてティーンには納得できねぇ言動だが、不可解ゆえに記憶に残り、名状しがたい感動の余韻はターゲットを少し成長させる。 『オジサンみたいになるなよ』  この最高に痺れる一言が、ターゲットの人生のいいアクセントになる。  いつかターゲットが自分の過去を振り返る時、自分にはこういう妙な身内が居て、何やってたのかわかんねぇけどあんな奴でものらりくらり楽しくやってた、って見聞が、ターゲットの力になったりするんだ。  そして、憧れを辞退されたからこそ、より強く憧れるようになる。  叶えてやろう、って本気になる。  それが生きる力になる。  俺はその瞬間のために、何十年も伯父業をやってんだからよ。  だが……。 「《αくんのおじさん》……?」 「そう!」  思わぬ強敵が現れた。  どうやら、そいつも俺と同業らしい。  仮に、その同業者のターゲット甥をαくんとしておく。  αくん自体はA坊の習い事先で出会った友だちらしかった。  涙が出ることに、A坊は仲良くなったαくんに、俺の話をしたんだとよ。  今日このあとオジサン()に会うんだってな。  そしたら逆に向こう方の伯父自慢をくらったって、こういう話だった。  ニクイことしてくれるじゃねぇか二人ともよ。おじ冥利に尽きるってモンだ。  ところが。 「でね⁉︎ 《αくんのおじさん》ってすっごいの!」  のっぴきならねぇ言葉に、ついうっかり聞き返しちまったのが運のツキだった。  それもしゃあねぇ。  俺たち妖怪おじってのは、親に代わって子どもの要領を得ない話をコンコンと聞くことで信頼を得る。傾聴は伯父に欠かせない大事なシーケンスだ。  どんな話題だって、子どもの話を最後まで聞く。  こいつは職業病みてぇなもんで、子どもが喋りたがってることはどんなに支離滅裂だって、何度も聞かされた話だって、伯父は決して水を差さねぇもんなんだ。俺みてぇなベテランの〝どこで何やってるかわからない伯父さん〟なら特にそうだった。  子どもがぽろっと言ったもんは残さず拾って必ず次会うまでに攫っとくのがプロおじだ。  そして、常にプロであることがトップ妖怪おじである俺のプライドだ。  そういうわけで俺は、ターゲットの目の前で他所の同業者がいかに素晴らしいかを滔々と聞かされるハメになったんだが、こいつがまあとんでもねえポテンシャルを秘めたライバルだったなんて、そん時はまっるで思わなかったのさ。 「……するってぇとあれかい? その《αくんのおじさん》ってヤツ……、人は、ゲームが強くて公務員でお医者さんで狩人で漫画家で役者で《αくん》には隠してるけど実は体におっきな傷があったりする戦隊モノでいう正体不明のブラック枠とかストーリー終盤で一瞬仲間になるけど主人公たちを守って死ぬ元敵幹部みたいなキャラで身の丈五mもあってその上足も速いって言うのかい?」 「うん‼︎‼︎」  なわけねぇだろ。  反射的にそんな言葉が胸中にこだましたが、どうにかおくびにゃ出さなかった。  比喩が大袈裟になったり話に尾鰭背鰭に手足までつくのは子どもの話にゃよくあることさ。  そのどれもが子どもにとっちゃ真実ってこともあるんだからしょうがない。  だとしても、その《αくんのおじさん》とやらはあまりにもでき過ぎだ。  ゲームが強い──わかる。  身の丈五m──わかる。  足が速い──わかる。  と言うより、体が未熟でまだ自分の手足を使いこなせない年代からすると、相対的に大人の大抵はゲームがプロ並に強くて背が学校みたいに高くて足がチーターみたいに速い、に該当するもんだ。  だが、公務員で医者で狩人で漫画家で役者ってどういうことだ?  公務員は副業禁止だろう?  戦隊モノのブラック枠とストーリー終盤で一瞬仲間になって死ぬ敵幹部は似てるようで違うじゃねぇか。軽率に語ると石が飛んでくるってのに、そいつは一体全体どんな了見でそのキャラを兼任してやがんだ?  どれがフィクションで、どれが本当だ?  その他にも、《αくんのおじさん》は吸血鬼の病気──吸血鬼は人間の病気にはならねぇが……──を気功で治せるだとか、学校に侵入してきた悪い吸血鬼を粉塵爆発で撃退しただとか溶鉱炉の中に親指立てて沈んでっただとか霊感があるだとか……。  ◇ 「ハッハッハ! いえ、溶鉱炉といっても廃坑の溶鉱炉なので実際には火は点いてないんですよ。吸血鬼を気功で治したのも、数え酔いした吸血鬼に心臓を貸しただけですし……」  とエージェント・MID.U(ミッド・ユー)。 「あ? なんでわかんだよ? もしかしてソイツの情報、もう上がってんのか?」 「え? ああ、いえ、失礼。予想です。だってその、燃え盛る溶鉱炉に沈んだらさすがに吸血鬼と言えどお亡くなりになるでしょうし、吸血鬼の病を気功で、っていうのも、昔のドキュメント番組でやってた数え酔いの治し方がまるで気功に見える……、からきているものと思われますし」  だから全然、大したことじゃないんですよ、とエージェント・MID.U(ミッド・ユー)は俺を勇気づけてくれた。 「だとしても、子どもだって丸っきり嘘を吐いてるわけじゃねぇと思うのよ。確かに尾鰭背鰭が付きがちなのは間違いないが、何もねぇところにヒレはつけられねぇ。それに、実のところ、俺も吸血鬼だからな。ゲームは大会出てるし身の丈五mくらいになら変身できるし足も子供から見たら速い方だしいわゆる気功によくある物浮かすとか、軽く溶鉱炉でしゃぶしゃぶされるくらいのことはできるんだがよ」 「できるんですか?」 「問題は、そこじゃあねぇのよ……」  ◇ 「ね⁉︎ すっごいでしょう⁉︎ 《αくんのおじさん》‼︎」  A坊はすっかり興奮した様子で俺に仕入れ立てホヤホヤのその話をしてくれた。  間違いない、そいつは幻の《αおじ》だ。  しかも、ああ、ちくしょう、やられた。  ソイツ、やんちゃな子どもが一番に憧れるもんを持ってやがる。  |隠してるけど実は体におっきな傷があったりする《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》──だって?  こいつが一番いけねぇ。  だって体の傷なんて、フィクションに夢見る子どもにとっちゃ何より輝く勲章だからだ。  誓って俺は体に傷跡が残るような外傷なんて、注射針の細っこいのだってごめんだが、漫画のキャラたちがこぞって身に纏ってる意味ありげな傷に憧れねぇキッズはいないんだからよ。  俺だって多感な頃には、ある日起きたら突然目に十字の傷跡がついてりゃしねぇもんかと思ったもんだよ。左目にな。  しかも、その傷、見えない場所(・・・・・・)にだって?  オイオイオイオイオイオイオイオイオイ。  頼むよ。  そんなセンシティブゾーンに傷こさえられちゃあ探索好きなキッズたちは一目で心奪われちまうだろうが。  エロ、グロ、ホラー。危険の香りはいつだって、人の本能を手軽にくすぐって百割増しで夢中にさせちまうんだ。  子どもってのはキケンな香りのするもんにどうしたって惹かれちまう。  子どもっていうよか、人間(・・)は、だな。  血とかホラーとかセックスとか、あとトラウマみてぇな。良いにせよ悪いにせよ本能が脅かされるドキドキを魅力的って勘違いしちまうんだ。  だからこそ、子どもが危険に首突っ込まねえように隠してたんだろうが、おんぶか抱っこの時にでも見えちまったのかね。  そんなキケンの象徴みてぇな『体の傷跡』に、さらにそれを『隠してる』なんざちょっとでき過ぎてるってくれぇでき過ぎてる。こりゃハートをがっちり掴まれても仕方ねぇな。今ごろ、その『αくんのおじさん』てやつにクラス中の、もしかしたら学校中の若ぇのや教頭や校長までが首ったけだろうよ。  そんなわけで、なんでもできてミステリアスで訳ありげな《αくんのおじさん》に、俺のターゲットはすっかり夢中になっちまってた。  いつもは習い事が終わったら、ここのファミレスでメニュー裏の間違い探しに夢中になってるってのに、今日は間違いを一つも捜そうとしねぇ。そんな時間はもったいねぇって言うみてぇに、ずぅっと《αくんのおじさん》の話をした。  だが、俺はそれもいいと思ったんだよ。  A坊がそんなに夢中になれるもんが見つかったんならよ。  それに、だ。  そいつは結局他人様のとこのおじだ。  A坊には接触しねぇし、側に居て、一緒に過ごしてる俺の優位は揺らがねぇと思ってたんだ。  ……まあ、言っちまえば奢りだな。  俺は、最後には必ず俺がターゲットを落とせると思い上がっていた。  だってこっちには、最高にホットな『俺みたいになるなよ』があるからだ。  このドラマチックなセリフに勝る伯父なんて、俺の何十年て経験上、ありえなかった。  俺とA坊の関係は最高だった。  だから、俺とA坊が過ごした時間が、一瞬でひっくり返るなんてそんなことあるはずがねぇ、って思ってたのさ──。 「あれェ⁉︎ 《αくんのおじさん》⁉︎」 「え?」  え?  驚く俺の真後ろを指差して、A坊はファミレスのソファの上に立った。  ──危ねぇよ、ヒトを指差しちゃいけねぇよ、靴は脱いで……、脱いでるな、ヨシ。  それだけ伝えて、俺はまずお冷を一口飲んだ。  どうやら、例の《αおじ》は、《αくん》の送迎を終えたあと、偶然にも俺たちがいつも使ってるファミレスに連れと来たみてぇだった。  それも、俺の真後ろのテーブルに案内されたらしい。  顔を見てみてぇが、他人様をジロジロ見ちゃいけねえってA坊に言った手前、俺が振り向いてヤツの顔を確認できるはずもねぇ。  俺はもう一度お冷を飲んだ。  こうなりゃせめて声だけでも聞いてみてぇが、どうやらヤツは聞き手役らしくてな。  連れの男がずぅーっと早口で今期のアニメがどうとかこないだ観た映画の監督がどうだとかって話をするのを、うん、うん、て聴くばっかでロクに声も聴けねぇんだ。  だが俺はそれで確信したね。  やっぱりヤツは同業者(α)だ──。  傾聴は伯父に欠かせない大事なシーケンスだ。  どんな話題だって、相手の話を最後まで聞く。  その点、ヤツはあまりにも完璧な聞きおじだった。  ゾクっとしたよ。  ヤツはプライベートでも〝最上〟を張ってるんだってな……。  俺と来たら、ターゲットとの対面中だってのに、どうも気が散っちまって、店内をキョロキョロ目で彷徨ってた。  すると、天井に付けられたトイレの順番待ち表示が、フッ……、と消えたんだ。  俺たちが店入った時からずーっと点いてたんだが、ようやっと出てきたらしい。  シメた。 「A坊、トイレは大丈夫かい?」 「ううん、だいじょうぶ!」 「そうかい。じゃあちっと、おじさんトイレ行きてぇから、ついてきちゃくんねぇか?」  トイレ行くついでに、ヤツの顔が見れる。  そう思ったんだ。  ああ、待て勘違いすんじゃねぇ。ターゲットに嘘を吐いたわけじゃあねえ実際にトイレには行きたかったんだ何せお冷を何杯も飲んだからな。 「いいよ!」 「ありがとうな」  いざ、と立ち上がろうとした瞬間、すぐ後ろの卓から声がした。 「あ、ちょっとトイレ〜」 「ああ、いってらっしゃい」  喋った‼︎  ついに《α》の声だ!  声は低め。三十代くらいか?  おお、なんだよ、ちょっと嬉しくなっちまったじゃねぇか……。  なんだこの気持ちは……。  ここの店のトイレは一つしかねえ。  トイレのすぐ外で順番待ちしようにもそのスペースがねえってくらい、トイレ前の空間は狭くて、廊下を切り取るアーチの形と相まって、まるでピザ釜みたいに見えた。  仕方なく俺はA坊に次の順番で行くよう言って、その間、間違い探しでもやろうって持ちかけたんだが──その時だった。 「ヒャッハア! 動くんじゃねえ! 動いたらこいつの命はねぇぞォ‼︎」  キャー! ナンダー! アイエエエ! 「ンヒィぃいいいい‼︎」  店内に響き渡る怒号、悲鳴、絶望の声。  反射的に声のした方を見ると、パーマ(ヘッド)の長身の男が吸血鬼の人質にされていた。  あとで知ったことだが、あの時、薬の売人から逃げていた吸血鬼がずっとあのファミレスのトイレに立てこもってたらしい。で、どうにも自分の足じゃ逃げられねえとわかって、人質取って車を確保しようとしたらしい。馬鹿だよな、ああ、つくづく馬鹿だよ。 「動くんじゃあねえ‼︎」  亜人型の吸血鬼は頭が天井にくっついちまうんじゃねえかってくらい体を肥大化させて、折り畳みナイフを振り翳して俺たちを威嚇した。馬鹿だな、そんなデッケエ図体でどう逃げようってんだ。そう思ったが、この店の全員を恐怖で竦ませるにゃああまりにも効果的だった。全員その場で犯人のお望み通り、ぴくりとも動けなくなった。俺たち二人と、他一人を除いてな。  俺とA坊の席は、幸い犯人から少し見えづらい場所にあった。  俺はA坊に目配せすると、これ以上できねぇってくれえ小さい声で、テーブルの下に潜って、俺の方に来るよう頼んだ。A坊はすげぇよ。怖くて堪んねえだろうに、黙って俺の言う通り、慎重に、慎重にテーブルを潜って俺のそばに来てくれた。タレントはターゲットの体に触れちゃ行いけねぇ決まりがある。──知るかよ。俺は夢中でA坊を抱え込んだ。何があっても、A坊だけは傷つけさせねえ。そのためなら、ハハっ、悪いがあの人質のニイチャンや他の客がどうなっても、いいって思ってた。俺も体デカくするくらいはできるからよ。盾になるだけならできるかもしれねぇと思ってた。  犯人はすぐ、厨房や控室にいた店員をフロアに出て来させた。  見事な指揮だったよ。拡声器みたいな怒号が響くと誰も逆らえねぇんだ。  これからきっと、長い籠城に巻き込まれる。無事にここから解放されたとしたって、この状況が長引けば長引くほど、A坊には傷を残す。最悪だ。せめて絶対助かるから大丈夫だって伝えてやろうとA坊を見ると、A坊は何か確信めいた目で俺を──いや、俺の後ろを見ていた。 「ッ、なんだ⁉︎」  音がした。  突如響いた軽快な拍手の音に、店内全員の視線がその男に集まる。  ──ヤツ(α)だ。  俺たち以外の、もう一人が動いた。 「いいな。手際はともかく、いい発声だ。出所後の就職先はダムの放流ベルなんてどうだ?」 「だッ、動くなァッ‼︎」 「これはこれは、お楽しみのところ失敬。ところで、取引に有効な人質の人数は知ってるか?」 「黙れェッ‼︎」  耳が張り裂けるような罵声を上げる吸血鬼をよそに、ヤツは依然穏やかで軽妙な語り口で続ける。そうだ、あれはまさしく語りだった。手品師や役者が舞台で披露するような。 「諸説あるが、逃走手段を確保するための人質なら、見張りの人数マイナス三が妥当と言われている。だって、管理が大変だろう? 実際今も、店の裏や控室にまだ店員や客が隠れてるんじゃないか、気が気じゃないんじゃないか?」 「ッ‼︎ おいっ、黙れって言ってんのがわかんねえの──」 「倉庫は見たか?」 「な……ッ⁉︎」  犯人が硬直するのを見て、男はゆっくりと歩き始めると、まるで舞台の中心に立つように、犯人の直線上にあるテーブルの前でぴたりと止まった。  それから男は手を緩やかに広げ、武器など持っていないことを誰が見ても明らかに示す。  無防備をアピールする姿だと言うのに、しかし吸血鬼はその所作の端々から恐怖を汲み取っていた。店内の誰もが、今や犯人じゃなく、男の一挙一動に釘付けだった。 「話を戻そう。ここからが大事なんだ。人質は見張りの人数マイナス三。──ただし。いくら見張りがいようと、人質は五十人以上取らない方が身のためだ。──なんでかわかるか?」 「っハァ? しッ、知るか!」 「五十人超えたら、警察に突入される確率が十人二十人の時に比べてかなり高くなるんだ。突入先で撃ち合いになったとして、死ぬ人質と味方はせいぜい十人くらい。この死亡者の数は、人質がどれだけ増えても変わらないんだ。不思議だよな? 十人死んで、あとの四十人は助かる。 となると世間にはこうやって報道される。『英雄の死が十名、生存者四十名。死者多数の凄惨な事件にもかかわらず、人質の八割が生還した』。警察からすると、籠城戦は突入するタイミングが早ければ早いほどメリットがある。突入しないって選択肢はない。簡単に言うと、籠城は割に合わない。お前は一人だ。人質は……、二十四人ってところか? 警察が到着して、数十分とかからずお前は捕まる。生死を問わずにだ。吸血鬼だからな? 俺が何を言いたいかわかるか?」  男は鷹揚に広げていた手で観客たちの眼差しをわざと掻き乱すようにして空を切ると、そのまま鳥が羽をしまうように背中で手を組んだ。  アッ、と音にならない声でA坊が息を飲むのがわかった。俺も、それが決して犯人に伝わらないように微動だにせずにいる。すると、自分が人質ではなく、男が繰り広げる舞台の一員になったような、猛烈な使命感の直感に襲われた。俺は、俺たちは、犯人に怯えて動けずにいるのではなく、自分たちの意志でもって、この舞台をやり遂げようとしているキャストだ。その自負は、自己犠牲の盾なんて覚悟が薄っぺらいト書きに思えるほど俺たち人質役全員に勇気をくれた。 「取引をしよう、吸血鬼殿。取引が好きだろう、吸血鬼殿? その人質を今、無傷で、解放したら、警察には今夜のことは秘密にしておいて差し上げる」  男の背丈はずっと高く、俺の座っている位置からじゃあ角度の都合上、男の顔は天井の吊り下げ看板に隠れて見えなかった。他の客だってそれがほとんどだろう。けれど、誰もが無意識に、男が笑っているのを確信していた。 「いかが?」  その時の沈黙ほど、心が震えたものはなかった。 「ふっ、ふざけるんじゃアねエ‼︎ 何が取引だッ‼︎ メイレイしてんのはこのオレだああア‼︎」  絶叫! 耳を劈く歪な獣の咆哮が、入念に作られた静寂を引き千切るッ!  さながら舞台を台無しにせんと場外から闖入してきた不届き者に、待ち構えていたあの男がついに声をあげる! 「派手にやっちゃって、ミヅ!」  人質の男の嬌声に、幕が上がる──‼︎ 「任せて、リンジ」  笑った。  顔は見えないが、それがわかった。  開幕だ。  ピンポーン! 「ッ⁉︎」  突如響いた素っ頓狂なベルの音に、犯人の注意が刹那逸れる。  生理的な体の反射。表面張力ギリギリで張り詰め昂った緊張が、わずかに溢れたその瞬間、あっ、と誰もが息を呑む中で男は動いた。  初動。俺たちは何か閃くものを見て、それは果たして男が後ろ手に隠していたフォークだった。穏やかな曲線のテーブルフォークは男の手からクロスボウじみて放たれ、今や深々と犯人の腕に刺さっている。「ギャっ‼︎」という悲鳴は犯人のナイフが床に落ちる音と同時に鼓膜に届いた。このために俺たちは沈黙していた(・・・・・・・・・・・・・・・)‼︎  吸血鬼の檻から解放された人質は、一目散に男を目指す。男は彼を受け止めると、素早くテーブルの下に彼を隠して自らは天井につきそうなほどの巨獣に向かって飛び込んだ。  それから起こった事を正確に記憶するのは、男と同じ力量を持つものにしか為し得ないだろう。  まるでヒグマのような肉体を振り回す犯人の懐に男は潜り込むと、拾い上げた犯人自らのナイフで吸血鬼の急所を撫でるように切り込んでいった。あらかじめ決められた型紙通りに布を裁つかの如き手捌きは、まるで不気味な獣の体を美しく仕立て直すかのようだった。  致命の傷からは、血ではなく灰が舞い上がった。吸血鬼は絶命すると灰に還るのだ。  次々に己の体から吹き出す灰に、吸血鬼は混乱し、もはや防御は意味を為さないと悟るや、悲壮な決意でもって牙を硬化させた。どうにかその灰褐色の牙を剥き出し、男の胸板を食い破らんと差し違えるつもりで大顎で襲いかかるも、その上顎は既に首を離れ、呆然とした(まなこ)ごと床にぼとりと落ちている。吸血鬼は己の胴から離れたその両目で、自らの灰が便所の仄暗い行き止まりに吸い込まれ、吹き溜まるのを見た。  決着だ。 「ピザはお好き?」  ぱぢッ──!  瞬間、まず我々の目に飛び込んできたのは閃光だった。  次いで爆音。  男が吸血鬼の灰が立ち込める焼却炉めいた秘宮に火を放ったのだ! 「粉塵爆破だァ!」  キャッキャと犯人に抱え込まれていたはずのあのパーマ頭のひょろひょろが踊る。  吸血鬼は己が火葬される様をただ呆然と見ていた。  上顎のみではもはやなんの抵抗もできない。  つい十数秒前のように、やみくもに吼えることもできない。  情けか、それさえ演出かわからないが、あらゆる致命を獲られてもなお、最後の一撃だけは放免されたようであった。  吸血鬼には人権がある。吸血鬼相手でも殺人の罪は立証される。しかし、一命さえ取り留めていればあとは摂血で如何様にも回復できる吸血鬼に対しては、正当防衛は途方もなく認められる。それがこの、人と吸血鬼が混生する街・六松市の理だった。 「ちょっとカッコつけすぎたかな?」 「うん! 最っ高にカッコよかった!」  破裂音による耳鳴りが納まる頃、A坊はモゾモゾと俺の懐から自力で抜け出した。  ヤツは最初にフォークを投げた直後、明らかに俺たちに向けて『見るな』と手で合図してみせたのだ。これから始まるものを予感して、A坊や他のカタギが見ないよう、配慮したんだろう。だから俺はA坊がこれから起きる殺戮を見ないよう、胸元にしっかり抱き抱えた。見たくない奴には下を向く猶予があった。だから、あの場でしっかりと目を見開いていたA坊以外の人質は、みんな望んで観客になることを選んだ者たちだった。  ……まあ、だからってあんまり早すぎて何がなんだかわからなかったけどよ。  でも、あんなモンを見ちまったせいで、知恵熱に浮かされたように脳が痺れてる。  同胞の吸血鬼があんなブサイクな壁掛けの剥製みたいになっちまったからじゃねえ。  ただ黙っていただけの俺だったが、そこにしっかりと一つの舞台を演じ切ったような達成感と高揚感があった。  あの舞台を終えた俺たちは、誰ともなく顔を見合わせあって、拍手のような瞬きで互いを褒め称えた。 「オジサン!」  A坊が、いつの間にか到着していた共生局の車両に向かうヤツに駆け寄る。  その後を数歩追いかけ、それから、止まった。  煌々と白い電飾の灯る眠らない街の夜景の中で、A坊の横顔はどんな光よりも生き生きとした光を放っていた。  次の主役が舞台に立った。 「ねえ! オジサン!」 「え? ──っ! ああ、ボク! あそこに居たんだね……、無事でよかった。恐い思いをさせてごめんね」 「ちっともこわくなかったよ! おじさんがいたから!」 「そう、それならよかった……」 「ねえ、オジサン!」 「ん? なぁに?」 「あのねあのね!」 「ふふ……、どうかしたかい?」 「ぼく、オジサンみたいになりたい! ねえっ、あれどうやったの⁉︎ オジサンみたいになるにはどうしたらいいの⁉︎」  爛々と目を輝かせて、彼が問う。  それにヤツはしばし困ったように笑ったあと、穏やかな顔をして、全く演技ぶらず、きっと心の底からこう言った。 「オジサンみたいになっちゃダメだよ?」   ◆ ◆ 「これが……、すべてさ……」  語り終えた俺は、あの時の興奮の巻き返しでまるでフルマラソンを全速力で駆け抜けたような疲労感と充実感に打ちのめされていた。  あの痺れる一夜の出来事は、何度思い出しても打ちのめされる……。  俺に走馬灯があるとしたら間違いなく走馬灯のベスト・アルバムの四番に入る名盤だ。  あぁ……、もういっぺん頭から話してェ……。 「それは、その……」  脱力して椅子に伸びちまった俺に、エージェントは言葉を選びに選んでこう言った。 「ご無事で何りよりです」 「あぁ、全くだぁ……」  しばしの沈黙。  あれ(・・)があってからいうもの、俺の全ての沈黙はあの日の回顧に捧げられてる。  毛穴から滲み出るほど出たアドレナリンの味を脳が完全に覚えちまってる。  これが本物のエキゾチックでスパイシーな思い出なんだって、海馬が俺を躾けてるところに、エージェントはまたためらいがちに口を開いた。 「……」 「……」 「……一つ、よろしいですか」 「どうぞ……」 「その……、《アルファおじ》さんのお顔は、見られましたか?」  一緒に居たというお連れの方も……、とエージェントが問う。 「んや、αの顔は結局見れてねえ。一緒にいたやつも、なんかヒョロってしてて、あんなのが人質になったら体折られちまうんじゃねえかってビビったのは覚えてんだが……。他の記憶が濃すぎて、覚えてねぇのよ……」  あの日の記憶は強烈すぎて、感光したフィルム見てぇにあそこに居た人間たちの顔にはモヤがかかっちまって思い出せなかった。  ただ最後、あのファミレスの客と店員たちと無言で頷きあった幸福感。  それさえあれば言葉も画も要らなかった。 「ではその……、〝引退〟と言うのは……?」  引退。  その言葉にやおら正気になって身を起こす。 「わからねぇか? あの本物の《αおじ》に会って、A坊は自分の〝憧れ〟を見つけたんだ。それに、一生色褪せねぇ勇気の〝思い出〟も。『オジサンみたいになるなよ』まで全部だ。全部。俺がA坊にあげたかったもの全部、A坊はもう自分で見つけて、自分で憧れに面通すっていう仁義まで通した。俺は震えたよ。あの慎重なA坊が俺の下から出てって、憧れを前にして『なりたい』を口にしたんだ。αに対する嫉妬なんてチンケなもんじゃねぇ。あの瞬間、俺は満足しちまったんだ。報わっれちまった人間が、いつまでも現場にしがみつくもんじゃねぇ」  情けねぇことだが、俺の代わり、いやそれ以上のことが起きたんだ。  俺はあくまでターゲットに〝憧れ〟と〝思い出〟を作るために雇われてる。  でもA坊はもうそいつらみんな手にしてる。俺の出る幕は無ェってこった。 「子ども(ターゲット)に〝思い出〟と、〝憧れ〟を提供するのが俺たちの仕事だ。でもあの坊やはもう外に自分の憧れを見つけちまった。俺はαを超えられねぇ。ならあとは、やれることは一つだ」  別れれば、日々は思い出として確定される。  ニセモノの伯父として、子どもにしてやれる最後の仕事が《お別れ》だった。 「A坊はちょうど今月で契約満了だろう? 元々あそこの家は、別に裕福って訳でもねえ。長期契約の話もそうだ。契約は新しく巻き直してぇが十二月まで待ってくれってつまり、ボーナス入ってやっとどうにか家計回せる程度ってことだろう? A坊が自分の殻に籠ったままならやる価値はあっただろうが、あいつは自分で自分の殻を破った。どうやったら憧れのαに近づけるか自分で探すとこまで行ってる。だとしたら、金は惰性の俺に使うより、A坊が求めるモンに使うべきだ」  ──せっかく進みたい道を見つけたってのに、それが金を理由に閉ざされるなんてこと、あっちゃあならねぇ。  そうだろ? と問うと、エージェントは、 「ええ、その通り」  と噛み締めるように答えた。 「では、長期契約についてはクライアントにターゲットの現状を共有した上で再検討していただきます。しかし、もしターゲット自身が貴方を望まれた場合はどうされるおつもりで?」 「そん時はありがたく伯父で居させてもらうし、俺も俺にしかできねェ方法でA坊との思い出を作るさ。けど、結局次の契約ができんのは十二月。それもクリスマスだなんだの物入りの時期を過ぎてだろう? 今じゃなく、その時に、A坊がまだ俺を求めてたら再契約といこうじゃねぇか」  子どもの時間は残酷だ。  大人からしたらたったの四ヶ月の別れでも、子供にとっちゃ一生の別れくれェの意味になることもある。  その間に忘れられちまうこともあるんだ。  とくに、俺みてェな正体不明の妖怪みてェな伯父なんざ、とっとと卒業しちまった方がいい。  妖怪おじの華は〝別れ〟にある。 「A邸以外の、他のクライアントはどうされます? 最長で三年の契約が残っていますが……」 「もちろん、やり通す。クオリティも落とさねぇェ。俺がヘマしてクライアントに切られねェ限り、俺はあいつらにとって最上の良おじであり続ける。──ただ、新規は受け付けねェ。今契約してるターゲットたちが巣立ったら、俺もそこで一度手打ちだ」 「……」 「なぁに、この仕事を完全に辞める訳じゃねぇさ。辞めるのは今までの俺のやり方の方だ」 「……というと?」 「俺ぁ今まで、言ったら一匹狼みたいなモンでよ。変な話、自分はカリスマってやつだと思ってた。伯父としてのあり方も、ターゲットの心の掴み方も、全部自分の勘と経験でやってきた。それでクライアントもターゲットも満足してくれてるから間違っちゃいねぇ、とな。……でも、あのファミレスの一件で思ったんだ。確かにカリスマになれるに越したことはねぇ。あの《α》みてェに、たった一晩でそいつの人生を塗り替えちまえるような夢を与えられたら、そんな伯父冥利に尽きることはねェよ。……けど、俺はあの日の他の人質や、怖ェのに勇気出して俺のとこまで机潜ってきたA坊の勇気を見てヨォ、与えることに固執すんじゃなくて、ターゲットやクライアントと一緒に()を作ってくってことも大事なんじゃねぇかってな。──いや、違うな。俺が俺が(・・)そうしてェ。ターゲットも、クライアントも、その周りのヤツも巻き込んで、関わったヤツらみんながターゲットの成長と一緒に祝福されるようにしてェ。それが俺の〝憧れ〟だ」 「……」 「ただ、それはこの会社の【経営方針】てやつと微妙に違ェとこもあるんだ。だから、俺はここを引退する。それで自分の商いをやる。俺だけ〝最上〟のワントップ伯父じゃなくて、〝最上〟のおじを何人も育てて、もっと広い世界を見てみてェ」  エージェントは珍しく言うべき言葉が見つからないようだった。  無理もねぇ。それなりに稼ぎ頭を張ってたヤツがテメェの都合でここを降りるってんだからよ。  急に言われて、こいつもいい迷惑だろう。  ただ、悪いな。俺も俺のために生まれてきたんだ。  俺の生きたいように生きるぜ。 「お前も来ねェか、MID.U(ミッド.ユー)。いや、〝ミヅ〟さんよ。歓迎するぜ? 〝タレントとして〟な」  机に身を乗り出して、衝立を睨む。  その奥にある、顔も知らねぇ相方の目をじっと覗き込むようにして、さらに畳み掛ける。 「……」 「答えねぇと、この話は終わらねぇぜ?」 「気づいたのか、調べたのかで答えが変わる」  それはもうほとんど答えみてェなもんだった。  引退話を言い淀む俺に、興奮して言葉につっかえちまうA坊に、穏やかに問い返す時の喋り方で気づいた。  ──フ……、どうされました?   ──ふふ……、どうかしたかい? 「俺が何年〝おじ〟をやってると思ってんだ? ガキの話聞く時の喋り方が一緒だ。声変えてもわかるぜ。──役者の割に、演じ分けができてねぇな?」 「……ふ、……っハハハハハ! やるなァ! あんた!」  ひとしきり笑ってヤツは「もしかして、人間(ひと)の身内の個人情報、ってこのことです?」と口調を改めて訊いてきた。「A坊の借りは返したぜ」 「心配すんな。面倒なことは全部俺が引き受ける。お前さんは『YES』を言うだけだ」  どうだ? と片眉を上げて見せると、ヤツはしばし逡巡した。 「それはつまり、私にいろんなクライアントの兄としての〝伯父〟をしろ、と……?」 「ン、まあ……、そうだな。おう、おじはやっぱり伯父の方が何かと便利ってのは答えが出ちまってる。なんだ? もしかして手前さんも、兄貴が欲しかったクチか? ハッ! なんなら俺が〝兄貴〟でいいぜ?」  そう問うと、ヤツは「え?」とやけに幼ぇ返事をしてそれから、 「ハッハッハッハッハ!」  そう景気良く笑った。 「アンタの弟なんて、金払ってでもやりたくないね」    もちろん、こんなのは軽口であって本心じゃない。わかるだろう、兄弟──?  衝立越しにそんな風な表情を浮かべて、俺たちは無意味に無言で頷き合った。  俺は近いうち、この会社を去る。  そして、二度と戻らない。  どこに消えたか、今どこで何をしているのかさっぱり検討もつかない新しい商いをする。  ただ全ての出会いと数々の別れ、そして少しの名残惜しさを俺の走馬灯のサビに刻んで。  そしてまたどこかで人知れず、俺は俺の  それが俺の〈憧れのおじ〉なのさ。  楽しみか? ああ、楽しみだ。  おんなじような商売始めて飽きねぇか?  ────アゝ! もちろん! なんべんやっても、飽きないネェ‼︎ 完
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