大智

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 珈琲と紅茶どちらが良いかと尋ねると大智は炭酸飲料が欲しいと言った。やはりニューヨークでは不摂生をしハンバーガーショップでコーラの飲み放題でもしていたのかと思ったが肌艶も良く全体的に引き締まった身体付きをしていた。 (吉高さんって太り気味だったのね)  こうなると日頃見慣れていた吉高が中年太りの域に達していた事を思い知らされた。 「ねぇ、帰国は明日じゃなかったの?」 「帰国ぅ?俺、昨日まで東京に住んでいたんだぜ」 「ええっ!」  大智は眉間に皺を寄せた。 「返事もねぇし電話もねぇしおかしいと思ってたんだよな」 「おかしい?」 「どうせ吉高がおまえへの手紙、隠したんだろ」 「そ、それが」 「やっぱり、あいつのする事はいちいち細けぇんだよ」  神経質そうな眼鏡を外すと3年前の面影があった。その面立ちを見ていると逆に大智に凝視され思わず顔が赤らんだ。 「おまえ」 「なに」 「老けたな」 「酷っ!」  右の眉を吊り上げて悪戯な笑みを浮かべる大智はあの頃のままだ。 「俺はどうよ」 「大智は、変わった気がする。雰囲気が大人っぽくなった」 「そりゃあ28歳にもなりゃ落ち着くわ」 「それに、スーツなんて珍しい。いつもTシャツにジーンズだったのに」 「そりゃそうだ」  大智は明穂の手を握った。 「や、ちょっと」 「良いから黙って静かにしろ」 「な、なに」  大智の指先は明穂の指先を持ち上げスーツの肩に置いた。 「そのまま降ろしてみろ」 「降ろす?」 「スーツの襟、触ってみ?」 「こう?」  上質なスーツの襟元には金色に輝く物があった。 「ボタン?」 「残念、ハズレ」 「ピンバッジ?なんだかゴツゴツしてるわ」  凹凸の細かな線が放射を描いている。 「そ、向日葵(ひまわり)のバッジ」 「これ、向日葵なのね」 「記章(きしょう)ってんだ」  その小さなバッジからはなんとも言えない重みを感じた。 「記章というのね」 「そ、弁護士記章、弁護士バッジ」 「弁護士!弁護士のバッジ!」 「そ」 明穂は目を見開いた。 「本物なの!」 「本物だよ!」  大智はニューヨークで算数ドリルではなく弁護士事務所の雑務をしながら秘書試験を受けた。弁護士秘書から弁護士をサポートするパラリーガルになるには並大抵の苦労ではなかった。 「英語は苦手だったじゃない」 「一緒に暮らしてりゃ覚えるさ」 「誰と」  大智は目を逸らした。やはり女性の部屋に転がり込んでいたのだろう。 「ふーん」  そしてアメリカではなく日本で弁護士資格を取得し半年前に日本弁護士連合会に登録した。 「そ、それでスーツに眼鏡」 「かっこいいだろ」 「別人みたい」  明穂の手を握った大智は自分の頬に手のひらを付けその窪みに口付けた。 「ちょっ」 「言ったろ、おまえを奪いに来るって」 「そんな事できる訳ないでしょ」 「吉高と離婚させりゃ良いじゃん」 「り、離婚」  相変わらず突拍子のない事を言い出すものだと呆れたが、不意に物置の中の段ボール箱を思い出した。 「明穂、どうした顔色が悪い」 「大智」  明穂は唾を飲み込んだ。 「吉高さんに彼女がいるみたいなの、助けて」 「まさか吉高が」 「名前を呼んだの」  品行方正な兄に限ってそんな事は無いと大智には俄かに信じられない告白だった。 「紗央里って呼んだの」 「まさか」 「呼んだの」  大智は暫く考え込んだが「あっ!」と手を叩いた。 「なに、どうしたの」 「吉高とその女から慰謝料がっぽり頂いて新婚旅行に行こうぜ!」 「誰と誰が」 「おまえと俺に決まってるじゃん」
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