明穂

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「10分で戻りますから待っていて下さいますか?」 「あぁ、料金メーター止めておきますわ」 「ありがとうございます」  明穂がタクシーを降りると玄関先に柑橘系の香りが漂っていた。それは玄関扉のドアノブ辺りから匂い立ち、鼻先を近付けるとシャネルのチャンス オー ヴィーヴ が(私は此処にいるわ)と自己主張した。 (ーーーまさか)  明穂の心臓は昂り呼吸が乱れた。音を立てないようにゆっくりと鍵を回して解錠し玄関扉を開いた。白いダウンライトの下には自分の物ではない白いサンダルが揃えられていた。こめかみが脈打ち全身の血が逆流するのを感じた。 (そんな、まさか)  明穂はリビングのチェストからデジタルカメラと大智の名刺を取り出した。名刺はショルダーバッグのポケットに入れ、指先は自然とデジタルカメラの電源ボタンを押していた。微かな起動音に口腔内が乾いた。 (オートフォーカス、フラッシュはーーー無し)  もし、もしその場所に誰かが居たとして、それがどんなに衝撃的な場面であっても迷わず撮影ボタンを押す。けれど相手に悟られてはならない。明穂の手のひらには汗が滲み、手摺りから指先が滑り落ちそうになった。裸足の足裏が階段に貼り付いて気持ちが悪かった。
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