ひかりのなかへ

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ひかりのなかへ

 吉高の万年筆は後悔の涙で滲んだ。目の前に広げられた緑枠の離婚届には仙石明穂の名前が並んでいた。明穂の離婚届の代筆、委任状は田辺の両親が印鑑を捺した。 「羨ましかったんだ」 「なにがだよ」  明穂は幼い頃から行動的な大智の後ろを着いて歩いた。その姿を家の中から眺めるしかなかった自分が歯痒くそれはやがて大智への嫉妬に変わった。 「おまえが海外に行ってホッとした」 「なら明穂を大事にすりゃ良かっただろ」  吉高は指先を震わせながら印鑑を捺した。 「毎月おまえから手紙が届くたびに不安になった」 「不安?」 「明穂が離れて行きそうで怖かった」 「それがなんで浮気になるんだよ」 「どうかしてた」 「それで離婚してちゃ意味ないぜ」 「後悔してる」 「不倫してた奴は大体そう言うよ」 「そうか」  その隣には退職届の白い封書があった。 「なんで辞めるんだよ、お(とが)め無しみたいなもんだろ」 「気が弱い僕には無理だ」 「なにが」 「同僚の視線が痛い。それに廊下ですれ違う度にナースや医局の女性から嫌な顔をされる」 「当たり前だろ、そんなん最初から分かれよ」 「そうか」  寂しそうに苦笑いをする吉高の目は落ち窪み、見る影も無くやつれ果てていた。 「で、どうするんだよ」 「白峰(しらみね)診療所に問い合わせた」 「いきなり白山麓(はくさんろく)かよ、山ん中だぞ?おまえ極端なんだよ」 「そうかな」 「おまえ村で不倫すんなよ」 「しないよ」 「不倫した奴は大体そう言うよ」 「そうか」  階下から「素麺が茹で上がったわよ」と母親が叫んでいる。麺が伸びないうちに食卓に着かないとまたどやされる。吉高は離婚届をクリアファイルに挟んだ。
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