10.ばれた覗き見*

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「……のめり込ませ過ぎたな。本当は結婚なんてまだまだしないんだが、どうしたものかな」  エレナが去った後、男が何かつぶやいていたが、ペトラには聞こえなかった。だがその後すぐに突然はっきりした声で話しかけられ、ペトラは仰天した。 「そこに隠れているんだろう? 出てきなさい」  仕方なく、おずおずとペトラは男の前に出た。目の前で見ると、ペトラにはなぜか男に既視感があったが、彼をどこで見たことがあるのか思い出せなかった。男はブルネットの髪で鼻筋の通った美丈夫だが、薄暗い部屋の中でも灰色の瞳が酷薄に光っていてペトラは恐ろしく感じた。 「人の情事を覗き見するなんて、中々いい趣味しているね」 「私が先にここに来ていたのに、貴方達が後から来て勝手に盛ったんでしょう?」 「強気なのも中々いい」 「何言ってるんですか?」 「訓練を受けた訳でもないのに、結構うまく気配を消してたよ。褒めてやろう。でもエレナは誤魔化せても私は誤魔化されない」 「私に気付いていたのにあんな事を続けたんですか? 訳が分かりません」 「分からなくていいよ。明日から下女の仕事はしなくていい。エレナについて侍女の仕事と読み書きを覚えるように。ああ、それからこの布巾を片付けて壁も拭いておいてくれ」  男は床に落ちている布巾と精液で汚れた壁を指さし、言いたい事だけを言ってリネン室を去って行った。  ペトラは仕方なく新しい清潔な布巾を棚から取って壁を拭き始めたが、精液の染みも青臭い匂いも取れなかった。それどころかその辺りの壁に古い染みをいくつも見つけてしまってそれが何なのか想像できて寒気がした。その後、ペトラは顔をしかめて鼻をつまみながら、青臭い匂いのついた布巾を渋々拾い上げ、リネン室を出て行った。  翌日からペトラはエレナの下で侍女見習いを始め、夕方はエレナから読み書きを習った。だが、親切だったエレナの態度は徐々にとげとげしいものに変わっていった。しかも突然侍女見習いに格上げされたペトラにかつての下女仲間達も嫉妬して陰険ないじめを仕掛けてきた。 「どうして貴女が若旦那様に目をかけられるのよ!」 「若旦那様ってあの男性ですか?」 「貴女、仕えているご主人様のご家族の事も知らないの? 全くなぜこんな子を気にされるのかしら……忌々しい」 「そんな事を言われても……」  辛く当たられる日々を送る中、やっと分かってきたのがあの男性がマンダーシャイド伯爵嫡男アントンだということだった。
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