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「眞秀? こんな時間に珍しいな」 『ゆき、今日電話くれてただろ? ごめんな、実習で手が離せなくてスマホ見れなかった。何か急用だった?』  風呂上がりの濡れた髪を拭きながら、眞秀からの電話に声を弾ませた。 「やっぱ、実習だったか。いや、急用って程じゃなかったんだけど、今日個展に誘われたから、眞秀も行かないかなって思ったんだ」 『個展? へー、誰に誘われたんだよ』 「ほら、この間一緒に行った美術館で出会った画家さんだよ、柊さんって言う、かっこいい画家さん。眞秀が好きな絵を描いた人」 『え、マジで? いいなー。でも、何で柊さんとそんな流れになったんだ」 「いや、俺もびっくりしたんだけどさ。柊さんが俺の大学に来てくれてて、そっから二人で出かけたんだ」  胸を突き上げてくる興奮を抑えきれず、千乃は突如目の前に現れた柊の話を、眞秀に言葉を挟む間も与えないほどの勢いで捲し立てた。 『そっか、それで俺も誘ってくれようとしたんだ。マジ、ごめんな。でもゆきがそんなに興奮してんのって珍しいよな」 「そ、そうかな……俺、そんなにテンション高い?」 『高い、高い。喜んでるゆきは新鮮だな、直で見たかったわ」 「な、何だよそれ。そんなの見てどうすんだよ」 『だってお前が心底喜んでる姿、俺には貴重だからさ。大学でもちゃんと友達作って、楽しくやってんのかなって心配だし』  高校の時から、眞秀以外にはあまり素の顔を見せなかった。見せたくても、自分の生い立ちやゲイだと言うことが足枷になり、眞秀以外の人間と打ち解けて会話することなどほとんどなかった。  最初は真希人にさえ緊張の方が勝り、眞秀だけが唯一心を許せる人間だった。  それが今日は違った。  柊と過ごした時間は、初めは身構えたものの自然と打ち解け、心の底から楽しんでいた自分がいたことを改めて気付いた。 「そ、そうだ。柊さんがまた美術館巡りでもしようって。今度は予定合わせて眞秀も一緒にって柊さんがって、聞いてる?」 『聞いてる、聞いてる。でも、何か悔しいな。今日みたいな千乃を俺は見れなかったなんてさ。ま、でもちょっと安心したよ。俺以外の人とでもそうやって打ち解けられるんだから。いやー、よかったよかった』 「茶化すなよな。今度は絶対一緒に行こうな。柊さんめっちゃいい人だったし」 『ああ、わかった。じゃあ、また連絡するよ。バイト、無理すんなよ、ゆき』 「うん、わかってる。眞秀も実習頑張れよな、おやすみ」  親友とのたわいもない会話を終えると、千乃は気が抜けたようにベッドの上へ突っ伏した。  ──疲れたな。でも……。  有名人と共に過ごし、緊張で疲弊したものの心は満たされていた。  初対面の時に感じた違和感は知らぬ間にどこかへ消え、初めはビクついていた千乃に、柊の強引さは心地いいものだった。 「帰りも送ってくれたし、本当にいい人だな」  電気の傘が天井に影を作り、垂れ下がる紐が少し揺れている。細くてケバだった紐に回顧を重ねえながら、後頭部に腕を回して溜息を吐いた。 「もう少し自分からも人に歩み寄らないとな」  元々の性格に加わり、幼少期の経験がコミュニケーションに壁を作ってきたけれど、周りにいる人達が気にかけてくれていることを今日、改めて自覚でき、初めてささやかな決意を誓った。
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