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「すいません、捜査一課の藤永さんをお願いできますか」
神奈川県警本部の窓口に着いた八束と千乃は、受付カウンターにいた女性警官に声をかけた。
「藤永ですか。失礼ですが、お名前を」
訝しげな表情で見返す女性警官の態度にかまってられない二人は、「嶺澤です。縷紅草のっ」と、切羽詰まった表情で八束が前のめりになり、千乃は慌ててダウンの背中を引っ張った。
「ちょ、ちょっと落ち着いて下さい。藤永にどんな要件が?」
「さっき電話もらったんです。あ、いや直接、藤永さんからじゃないんですが、あの、うちの店の従業員がここにいるって聞いて迎えにきたんです」
「はあ。で、こちらに来てると言う方のお名前は——」
「來田だ! 來田蓮一だ。早く会わせて下さい」
女性警官の言葉に被せるよう叫ぶ八束を、千乃は心配げに見守っていると、薄暗い廊下から、スーツ姿の男が近づいてくるのを目の端で捉えた。
向こうもこちらに気付いたのか、遠目でも千乃達を見ているのがわかる。
躯体の輪郭、醸し出す凛とした空気と態度。一重で切れ長の目をこちらに向けている藤永が軽く会釈し、こちらへゆっくりと歩いてくる。
「どうも、嶺澤さん。ご苦労様です」
藤永がチラリと千乃を一瞥してくる。その視線にドキリとし、なぜ自分の心臓がそんな反応をしたのか千乃自身も戸惑った。
「藤永さん……これは一体どう言うこと——」
「まあまあ、そう身構えないでください。彼はもう帰れま——ああ、ほらやって来ましたよ」
薄暗い蛍光灯の下に現れた來田の表情は疲弊しているのが一目瞭然で、千乃は咄嗟に駆け出し伏見に付き添われる來田の側に寄り添った。
「來田君……」
「八束さん……すいません、俺……」
「話は後だ。大丈夫、一緒に帰ろう」
冷え切っている來田の腕を支えるよう歩き始める千乃を、藤永がジッと見ている。確認しなくても彼の射抜くような視線は感じる。
ふと、藤永と知り合いなことを八束に言うべきか迷ったが、向こうが知らん顔をしているのに千乃の方から言うべきではない。
千乃は振り返ることもできず、來田の影になって警察署を出た。
憔悴しきっている來田を目にし、警察署に連れてこられて精神的にどれだけまいっているか、千乃には十分理解できた。
昔、千乃も訳もわからない状態で、警察官から質問攻めされたことがあった。まだ小学生の子どもに捜査のためとはいえ、彼らが容赦なかったのを今でも覚えている。
駐車場に向かう途中、八束が着ていたダウンを來田の肩にかけていると、走ってくる足音が聞こえた。振り返ると、伏見が手に持っているものを掲げて、千乃達を引き留める声を発している。
「八束さん、伏見さんが……」
千乃が呟くように言うと、八束が不快な顔を浮かべた。一緒に働く人間が任意とはいえ警察に連れて行かれたのだ、八束が怒るのも無理はないと千乃もムッとしてしまった。
「八束さん……これ彼のカバンです」
伏見が差し出すトートバックを荒々しく受け取ると、八束が「もういいだろ」と、伏見を睨みつけている。
「あ、はい……。あの、八束さん」
口腔内に言葉を溜め込む伏見が、それらを放出させようか迷っている。
子犬のような明るい伏見が鳴りを潜めていることを不憫に思い、八束の袖を掴んで諭すような目線で伏見の方を指し示した。
肩で溜息を吐く八束が、「伏見さん、何か言いたいことでも?」と、ぶっきらぼうな言い方をした。
「いえ、これはあくまでも任意です。それに來田君以外にも嫌疑がかかっている人物がいます。なので——」
「伏見! 余計なことは言うな」
叱責する声と、こちらへ歩いてくる藤永が目に入った。
萎縮した伏見が口を噤むと、ペコっと会釈だけ残し、藤永の横を通り過ぎて署内へと戻っていった。
「嶺澤さん、來田さん。またお話しを伺いに店に行くと思いますので、その時はよろしくお願いしますよ」
威圧するよう語気を強める藤永に対し、八束が車に乗るこに少しの余白を作ったが、何も言わず運転席へと体を沈めた。
千乃の視線は藤永だけを見ていたが、それは無意識のことで、八束がクラクションを鳴らすまで、千乃は視線を藤永に置いたままでいた。
昔と同じように……。
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