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「伏見、容疑者の男達のウラは取れてるのか」
早朝から電話で起こされた藤永は、後輩に八つ当たりするよう、大声で叫んだ。
「え、先輩。そんなのまだ無理ですって。俺だって臨場したの一時間前なんですよ。先輩がグースカ寝てる時にっ」
皮肉めいた口調で先輩に逆らう後輩もきっと安眠を妨害され、何とかスーツを着用し駆けつけたのだろう。その証拠に髪は寝癖が付き、普段はコンタクトなのが、眼鏡と言う出で立ちだったからだ。
「グースカ寝てて悪いな。伏見君」
「うわっ、気持ち悪っ。『くん』て付けないでくださいよ。ほら、鳥肌出ちゃったじゃないですかー」
袖をたくし上げた腕を、伏見にまざまざと見せつけられた藤永は、「はいはい」と彼を軽くあしらうと、革靴にカバーを付け、間引きされた街頭を頼りに足を進めた。
早朝の尖った空気は、これでもかと肌に厳冬を突き付けてくる。藤永は白い息を吐きながら、小枝をかい潜り、公園の奥へと進んだ。途中、物々しく行き来する制服警官達とすれ違うと、木々の隙間からブルーシートで覆われた現場が目に入った。
「また前回と同様の手口ですよ、でも先輩——」
「お、来たか藤永。もう鑑識は終わってる。中入っていいぞ」
「どーも」
鑑識班長の浦上がシートの中から出てくると、藤永達を被害者のもとへと導いた。
ほぼ全裸の状態で地面に横たわる遺体を見て、藤永は眉を潜める。
「また男……か」
「これまでと同じっす。ちょっと今までより歳は上ですけどね」
「ふーん」
手袋をはめた手で顎に触れながら、藤永は遺体を刮目した。
語る事の出来なくなった体は、必死で犯人から逃げようとしていたのが伺えるよう、地面を這うような体勢をしていた。両手は土を搔きむしり、踏み潰されたトカゲのように手足を広げ息絶えている。
藤永は遺体の側に屈むと、首元を注視した。
そこにはこれまで殺害された被害者と同様の絞頸の痕が残っていた。だが、微妙に違っている。それは遺体が腹這いになっていることだった。
これまでの被害者は、明らかに快楽の途中で絞殺されたことを想像させるものだった。
にも関わらず、今回の形状は今にも逃げようとしたところを、背後から首を絞められたと推測される。
「やはり絞殺か……」
「でもなんだか乱暴——いや、手抜きっぽくないですか?」
何気なく言ったであろう伏見から出た言葉。それに対し藤永は瞠目した。
一課に配属されてまだ一年ほどの浅い経験しかない割に、自分が感じた事と同じように考えてることに。
交番時代の伏見は、人の良い街のお巡りさんと言う印象だったが、刑事への熱い野望は彼の中にいつも存在していた。
捜査一課へ配属されたいと夢を語り、努力の日々を経て念願が叶い、こうして一課の仲間入りをしている。
多少の勇み足な部分はあるものの、当初から藤永より先に現場へ臨場することは、配属されてからこれまで皆勤賞並と言う大したものだった。
「成長したと言うことか……」
「はい? 何か言いました?」
「いや。それで害者の身元は分かってるのか」
「はい。名前は利倉彰宏。三十歳、アパレルショップの店員ですね。店の名刺と免許証が財布の中にありました。それと浦上さんが言うには、やっぱり殺害されたのは性行為の最中だったそうですよ」
「へえ、そりゃまた——」
「先輩、それ以上言ったら不謹慎ですよ!」
いち早く伏見に先読みされ、藤永は手で口を覆いながら、「お前、最近生意気だぞ」と、くぐもった声で言った。
「先輩にはまだこれでも甘いくらいです。それに俺も一課のれっきとした一員なんですから、これくらいは言わせてもらいますよ」
「はいはい。俺はいい後輩を持ったもんだ。頼もしいよ」
「もう茶化さないでくださいよ。それより今回も残してますね、例の置き土産」
「だな」
「今回は背中に精液が付着していますよ」
「背中か。まあ、バックを好む奴もいるしな」
「バッ、バックってまたそんな単語を口にする。けど先輩……今回は何か違和感を感じませんか」
男性の辛酸する顔を見ながら首を捻る伏見を一瞥し、藤永は露わな被害者の体をまじまじと見た。
「——違和感ね」
「何か、適当さを感じるのは俺の気のせいっすかね」
「どう言うところだ?」
「だって扼頸してないんですよ、絞頸で終わらせてる。それにこれまでは無かった吉川線もありますもん」
人の精液をガン見しながら真面目に話す伏見に感心し、藤永はほくそ笑んでいた。
事件を解決しようと細部にも目を配る後輩の言葉は、ほんわかした町のお巡りさんからは想像が出来ないものに進化していた。
「最初は同意だったんだのかもしれないな。ヤってる最中に殺されるとも知らずに──ってところだろ」
藤永は今まで殺害された男性達の、最後の姿を脳裏に蘇らせた。
鑑識の結果、精子がこれまでと同じ人間から排出されたものだとすれば、伏見の言う通り違和感を感じる。
藤永は殺害に至るまでの、ある種のこだわりを犯人から感じていたからだ。しかも、今回の犯行は今までと趣向を変えて、探せるものなら探してみろと警察に言わんばかりにも思えてしまう。
「今までの被害者に付着していたDNAは同一人物でしたもんね。今回も同じでしょうか……」
「——これまで任意同行した奴らをもう一度洗い直しだな。アリバイの曖昧なやつは特に……だ」
「わかりました。まず誰から?」
相変わらずの童顔の眸で覗き込まれ、藤永は敢えて厳しい顔を見せると目の前の頭頂部を掴んで軽く叩いてみた。痛いと訴えてきても、当然の如く無視を決め込んで。
「まず大学の教授様からだ。幡仲は三人目の害者の客だった。一番濃厚と言っても過言じゃない」
「けど先輩。この間、大学に行って話した感じだと特段変わったところはない、立派な先生に見えましたけど——痛って。また叩きましたね。もうDVで訴えるしかないっ」
泣きそうな顔を演出して藤永を睨んでくる伏見に、「お前は甘いんだ」と、腕を組んで見下ろしてやる。
「何が甘いんですかっ」
「見た目で判断するな。吐き出される言葉を鵜呑みにするな。一旦先入観を持つと、事実が見えなくなる。学校で習ったことを忘れたのか」
口をへの字に曲げて見せても半人前のデカで終わらせたくない。伏見のように真っ直ぐ仕事に向き合う刑事は貴重なのだ。
「……わかってます。頭の中、今、リセットしました」
スイッチでもあるのか、こめかみあたりに人差し指を押し当て、凹んだ顔をもう無邪気な笑顔に変えている。藤永が伏見を買っているのは、彼の切り替えの良さもそのひとつだった。
「よし。じゃ大学へ行った後はあの店に行くぞ」
「店——縷紅草ですね……」
「ああ、もう一度あの男達と話したいからな」
言葉の意味に首を傾げる伏見をよそに意気軒昂し、逸る鼓動を自覚していた藤永は、踵を返すと早々に現場を後にした。
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