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「先輩はあの幡仲って教授が犯人だと思います?」  幡仲を訪ねてた帰り道、運転する伏見からそう問われ、藤永は首を左右に振りながら「さあな」と一言だけで返事をした。 「俺にはどうも違うように思えて。あんな真面目で紳士な人が性行為した後、人を殺すとは思えないっす。しかも、相手はウリ専ボーイですよ。それだけでも似つかわしくないのに。第一、ホテルを出た後、教授はその足で京都に行ってます。翌日に学会へ参加するために」  伏見が力説し始めると、藤永は黙って聞いていた。彼の放つ言葉の中に、解決を見出せるモノがあるかもしれないからだ。 「今回の殺害だって教授には無理ですよ。事件のあった日は実家に行ってたんですよ。姪っ子さんの結婚式で。無理に決まってるじゃないですか」  信号が赤になったのが伏見の熱弁を煽り、藤永は大人しく傾聴していた。 「けど……人は見かけによらないな。立派な職業でもやっぱり男なんですね。それに……その、いわゆるゲイって人なんですから」 「それがどうした。今どき偏見を持った考えだと時代についていけないぞ。——おい、青だ」  横顔にぶつけたと同時に信号が青に変わり、伏見が前方に視線を戻してアクセルを踏んだ。  横顔を一瞥するとまだ言い足りないのか、唇を真一文字にして言葉を飲み込んでいる。  夕暮れ色に染まる街並みの中、手近なコインパーキングに車を駐車すると、奥ゆかしげに灯る縷紅草の看板を視界に捉え、二人は中へと入った。  木目調のドアを押し開けると、真鍮のベルの音色が優しく迎い入れてくれる。それが客でも、刑事でも。 「いらっしゃ——と、これは藤永さん達……でしたか」  カウンターの奥から顔を出した八束に会釈され、藤永も応えるよう「こんばんは」と声をかけた。すぐ横からは、伏見も笑顔で手をはためかせている。 「この間は來田君がお世話になりました」  営業用の微笑みを向けながら、言葉に刺のある物言いの八束に対し、藤永は悠々たる態度で微笑を返した。 「いえ。彼の貴重な時間を潰してしまって恐縮でしたね」 「……今日は何の用事でしょうか? ここへ足を運ぶ必要性はもうないと思ってましたけどね」  涼しい顔で牽制してくる八束を冷静に交わすと、藤永は店の中を見渡しながら「今日、彼は?」と尋ねてみた。 「來田君は今日、横浜駅の店で勤務中です」 「横浜? 彼は今日は縷紅草(こっち)の勤務じゃなかったかな」  前回の任意同行で來田のことはもちろん、両店舗のことも調べ上げていた藤永は、訝しげに八束を睨んだ。  疑われたことで來田を匿おうと、八束が狡猾にシフトを操作したのかと頭によぎった。 「……向こうのスタッフが一人病欠になったんで、來田君に行ってもらったんです。こっちの予約は少なかったんでね」 「なるほど……」 「まだ來田君を疑ってるんですか」  あからさまに敵意をぶつけてくる八束を無視し、視線で伏見へ合図を送ると、スマホを片手に伏見が店の外へと出て行った。 「一応確かめさせてもらいますよ。嶺澤さんが嘘を言うとは思ってませんけどね」 「どうぞご自由に。それがあなた方の仕事でしょうから」  直球の嫌味が八束から放たれ、藤永は疎ましく思われていることを自覚しながらも、縷紅草に来たもう一つの目的を探していた。 「こっちも仕事ですからね。横浜駅にはこの後寄らせてもらいますよ。それよりもう一人いるでしょう、スタッフが。彼は?」 「千乃ですか。います——って、まさか千乃まで疑ってるんじゃ——」  ずっとカウンターの中で対応していた八束の体が反応し、耐えていた怒りを曝け出すよう藤永の目の前に立ち塞がってきた。 「嶺澤さん、言ったでしょう、仕事だって。それに形式状のことです。彼にだけ話を聞いてないのも違和感ありますから」 「——刑事ってだけで人の心に土足でズカズカ入ってくるんですね。その事で相手が傷つこうがお構いなしに」  八束が憤怒するのを無視し、藤永が冷静に会話を進めようとしていると、 「八束さーん、明日の撮影会に使うカメラどこに置きま——」  一触即発しそうな二人の空気を払拭するよう、廊下の奥から千乃が現れた。  目を釣り上げている八束を見た後、藤永と視線を絡ませてくる。 「……千乃」 「真……希人さん」  心算(しんさん)のないまま千乃を目にし、藤永は狼狽かけた。  警察署で千乃を見た時、まさか縷紅草で働いているとは思わず、驚いてどう声をかけるべきか迷った。  刑事の自分が個人的な理由で、態度に出すことはできない。ましてや容疑者のひとりと同じ職場だとわかっていて、親しく声などかけられなかった。  藤永は千乃から目を逸らすことで、平静を保とうとしたのだ。  千乃もそれを察したのか、何も言わずそのまま帰ってしまった。  今日、ここへ来たのは來田の様子を見るためではあったが、千乃の顔を見たかったのが理由の大半だった。  警察署では無視した形での再会になってしまい、千乃が自分に対してどう感じたのかを知りたかったのだ。  職権濫用と言われればそれまでだが、藤永は、どうしても千乃の顔を見ておきたかった。   「……まあ何とでも。これ以上犠牲者を出さないよう警察も必死ですからね。多少の協力は市民の義務だと思ってるんで。それと千乃──いや、當川さん。君にもお話しを伺いたい──」  藤永の言葉を遮るよう真鍮のベルが荒々しく鳴り、伏見が慌てた様子で店に駆け込んできた。  張り詰めていた空気が、ぷつっと切れた音がしたような気がした。 「先輩! 凶器が見つかったそうです」 「凶器? 麻縄か」 「はい。でもそれが——」 「何だ、いいから言え」  八束や千乃を前に、捜査情報を報告することに躊躇する伏見に、藤永は回答を促した。 「三人目の被害者が見つかった、パールホワイトホテルの従業員が持っていました。詳しくはまだ分かってませんが……」 「ホテルの?」 「はい、ロッカーに入っているのを他のスタッフが見つけて、署に連絡してきたそうです」 「そうか。で、その従業員はしょっぴいてんだろうな」 「これからホテルを出て署に向かうそうです」 「わかった、俺達も戻るぞ」 「はいっ」  藤永は「また来ます」と八束に言い残すと、ドアを開け、店をようとした。だが、一瞬その手を止め、はっきりと感じる千乃の存在を背中で味わっていた。  今、千乃はどんな顔をしているのか。『藤永真希人』を憎むように、仲間を疑う刑事としての藤永も睨みつけているのではないだろうか。  悲劇にも似た気持ちを奮い立たせ、藤永は足早に店を出た。  
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