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「いらっしゃいませー」  ドアベルの音と共にハスキーな声で迎えられ、上品な光沢を放つローファーが店の奥へと突き進んだ。  キャメルのポロコートの下にVカットのニットが奥ゆかしく見え、人目を引く身長と容姿に店内にいた客は、初めて見る秀麗な男性にそこかしこで騒ついている。  非番だった藤永は、苫田から聞いたミックスバー、マレフィセントを訪れていた。  周囲から視線が集まるのを気にも留めず、店内をゆっくりと見渡していた。するとカウンターから注がれるママの視線と絡まり、藤永は彼女に手招きされると、カウンターの空いたスペースへと案内された。 「こんばんは。お客さん、ここ初めてね」 「ああ」  営業スマイルで差し出されたお絞りを受け取りながら、藤永は既に二組のカップルが戯れているのを横目に、ロックのウィスキーをオーダーした。  琥珀色の中で、丸氷が瑞々しく輝きを放つグラスが前に置かれると、フリーの客を気遣うママが身を乗り出し、品定めをするかのような視線を向けてくる。藤永はそれを甘んじて受け入れるよう微笑んでみせた。 「お客さん、男前ね。ほら、周りのお客からの視線感じない?」 「そりゃどーも」 「ううーん、その素っ気なさもいい感じ。私の好みだわ」 「ママも美人さんだよ。でもそんなお世辞はみんなに言ってるんだろうね」 「うふふ、美人さんかー。いい響き。でも私、お世辞はあまり言わないのよ」 「へー、——ね」 「もー、お客さん揚げ足取りなんだから。でも男前だから許すっ」  そう言うと、ママは他の客から呼ばれ、その場を離れて行った。  一瞬、藤永は本性を彼女に見透かされた気がし、内心ヒヤリとした。刑事だと言うことを悟られないようにしても、こういった夜の商売をしている人間は、客の僅かな言動にもアンテナが反応するのかもしれない。ただ、夜の世界には暗黙のルールもあるのだ。  彼女のような水商売人は、あけすけに名前や職業を訪ねて来ない。干渉しない空間を客は居心地いいと思い、日常を忘れて癒しを求めに来るのだから。  それらしい男は——いない……か。  苫田が言っていたロン毛のイケメン。何故か藤永はその男が気になり、こうやって店を訪れるに至ったのだ。  手負蛇(ておいへび)なんて、不気味な言葉を口にする男。  蛇を半殺しにして捨ておけば、復讐に来る──なんて、一度聞けば頭に残るフレーズを吐くくらいだ、過去に嫌な目にでもあったのだろうか。  藤永はウィスキーで唇を潤すと、もう一度店内をゆっくりと見渡していた。  仄暗い照明の中、店内には出会いを求めるものが大半だ。  藤永も数人に声をかけられ、体よく誘いを断る羽目になっていたくらいだ。 「いらっしゃ——、あらあ、こんばんはー」  来客を知らせるドアベルが鳴り、弾んだママの声が店内に響く。藤永も思わず入り口の方へと目を向けた。 「やあ、こんばんはママ。ウィスキーをロックでくれる?」 「はいはい、すぐ用意するわね」  常連らしき男はオーダーを済ますと、カウンターの空きスペースを見つけ、煙草を咥えながら視線は何かを探している。 「どうぞ」  藤永は側にあった灰皿を、笑顔のおまけ付きで男に差し出した。 「どーも」  藤永の隣に落ち着いた男は、旨そうに煙草とウィスキーを交互に楽しんでいる。  その様子を藤永は密かに観察していた。  グラスをコースターへ戻しながら、こちらを見る男の視線を感じ、その行動を待っていた藤永は「同じですね」と、男へグラスを掲げて見せた。 「本当だ。気が合うのかな——ってかお兄さん男前だね。いっぱい声かけられたでしょ」 「まあね……。あなたこそ、イケメンで長い髪も似合ってる」 「髪? ああ、これ切りに行くのめんどーでさ。気づいたらこの長さになちゃってね」 「お仕事、お忙しいんですね。きっと」 「まあ、それなりに。お兄さんは? こんな平日に飲みに来るなんてサービス業? それとも仕事帰りかな」 「……帰りですよ。ちょっと飲みたくなってね」 「酒飲みに? それだけでミックスバー(こんな)とこに来んの変わってるね。それとも羽目を外しにかな。お兄さん、どう見てもノンケだし」 「ハハ、どうだろ。でも以前からこういう店に興味あったってのが理由かな」 「ふーん、好奇心ってことか。でも残念、ノンケかー。それに俺はタチ専門だから、あんたに万が一その気があっても無理だろねー」  男は肩にかかる程の髪をクシャリと掻き上げ、試すような視線を向けてきた。  藤永の情動を煽ろうと、攻撃を仕掛けてくるように思える。 「まあ、いきなり掘られるのも……ねえ」 「だよな。俺ノンケは好物なんだけど、残念だ。お兄さんが善がるの見てみたかったな。割とタイプなんだよ、あんたみたいな顔」 「顔……か。ゲイの人は相手を顔で選ぶのか?」 「そりゃそうだろ。こんな場所での出会いに、愛だの恋だのは求められないからね。そいつがいくら善人ヅラしてても、人ってのは簡単に裏切る生き物だからな。信用していい事なんか何もないよ」 「確かにな。俺もマジになる事には無縁だ。なんせ信用してたやつに裏切られたばっかなんでね」 「へえ……。あんた裏切られたことあるんだ」 「培った長年の情も、崩れる時は一気だからな。けど、向こうは何事もなかったように、俺に執着してくる。ほんと、ストーカー、いや蛇みたいなやつだよ」 「蛇……。へぇ、お兄さん、面白いことを言うね。うん、気に入った」 「そんな理由で俺は気に入られるのか?」 「まあまあいいじゃん。今日は欲望は置いといて飲もうぜ」 「そうだな、じゃ健全に」  どちらからともなく互いのグラスを合わせると、空気が漏れるような笑みが自然と生まれる。藤永はこの警戒心のなさそうに振る舞う男のことを、監視するようひっそりと(すが)めて見ていた。
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