27人が本棚に入れています
本棚に追加
/35ページ
「あ、ここか。ようやく辿り着けたな」
小料理屋で食事を済ませた千乃達は、藤永の案内で多少迷ったが、何とか目当ての店に辿り着いていた。
「わあ、おしゃれな店ですね」
流行りのカフェらしく、ドア越しに覗き込んだ客層は若者に溢れ、千乃は藤永がこの中に入るのに抵抗があるのではと横目でチラッと確認した。
「ここは遅い時間まで開いてるらしい。明日は土曜だから平気だろ」
「はい、バイトも夕方からなんで」
「……そうか。なら少し遅くなっても大丈夫だな」
藤永が微笑んで言うから、千乃の脈が呼応するようトクトクと速度を増してくる。ドアを押し入る藤永の背中すら優しげに見え、スーツの腕を掴んで甘えたくなった。
千乃が甘いものが好きだということ。
大学生の千乃が好みそうな店。写真に映えそうなメニューが置いてあることなど、藤永が前もって調べていたのだろうか。
聞きたいけど、聞いてはいけない気がして、千乃は想像だけで満足することにした。
店の中に入ると、写真映えする装飾が店内のあちらこちらに飾られてあった。
明るさをギリギリ保つ照明や、壁にかけられているハートをモチーフにしたフォトフレーム。店の奥にはバラで囲まれているカップルシートもあった。それだけでも気後れしそうなのに、若い女性客がひしめきあい、あちこちのテーブルから囀っているから、ますます男二人だと場違いなのでは顔を見合わしてしまった。
溶け込めない状況に二の足を踏む二人へ、スタッフが明るい声で、席まで案内してくれた。
「……やっぱ女性が多いですね」
「まあそうだな。ちょっと流行りを選びすぎたか……。でも店の照明も薄暗いし、男二人でも平気だろ」
「俺は全然平気です。でも——」
「でも?」
「真希人さんみたいな、大人の男の人には居辛くないですか。俺に合わせて選んでくれたんですよね」
「……千乃。俺がおっさんだって言いたいのか」
「そ、そんなこと言ってません。真希人さんは——」
「いらっしゃいませ。ご注文お決まりでしょうか」
言いかけた千乃の言葉は、オーダーを尋ねるスタッフの言葉で遮られてしまった。既にメニューを手にしていた真希人から、
「千乃は何する? ケーキ好きだろ、種類がたくさんあるぞ」と、色とりどりのケーキが載ったページを見せられた。
まだ動揺する千乃は、慌てて受け取ると、美しいデコレーションのラインナップに目を奪われてしまった。
「お客様、チーズケーキはいかがですか? 当店のベイクドチーズケーキは甘過ぎず、しっとりとした生地で人気なんですよ」
饒舌に商品を勧めてくるスタッフの機転に救われ、千乃は勧められたケーキとカフェオレを無事注文することが出来た。真希人が付け加えるように、ブレンドと注文する。たったそれだけのことなのに、惚れ惚れする相好はもはや罪だとさえ思える。
「チーズケーキ好きだもんな、千乃。あの店員は見どころある。イケメンだったしな」
「ですね。真希人さんと同じくらい背も高かった」
他の人と比べるとき、無意識に藤永を基準にしてしまう。けれどまだ誰も、藤永を抜く人材は現れていない。
「まあ、俺の方がいい男だけどな」
「……です……ね」
「何だ、その間は。でも店の中が暗くてよかったな、周りから顔が見えにくい」
「照明が暗くても真希人さんはかっこいいです。俺がいなければ、あそこのテーブル席の人みたいに、きっと女性に囲まれてますよ」
真希人の放つ笑顔に耐えきれず、視線を逸らした千乃の目に、一人の男性を数人の女性が席を囲む賑やかなグループが目に留まった。
「へえ、男ひとりに女性陣があんなに——あ、あいつ——」
「どうかしました?」
「あ、いや……」
見ていた男性に対し、知った風を見せる藤永が気になり、藤永が目を逸らした男性を盗み見た。すると千乃の視線に気付いたのか、男性がこちらを見据えたかと思うと、笑顔でテーブルへと近づいて来た。
「やあ、こんなとこで会うとはな。やっぱあんたとは縁がある」
肩にかかる髪をクシャリとかき上げながら、男性——柊は藤永を見下ろして笑いかけてきた。
「——偶然だな。でも、君は甘いものを食う人種じゃないと思ってたけどね」
意表をつく相手の登場だったらしく、僅かな動揺を見せる藤永を目で追い、大人の男性のやり取りに千乃は心を騒つかせた。
「ああ……これは——まあ、仕事の延長? かな」
自然と同じテーブル席に着く柊に牽制するよう、千乃は少し椅子を移動させようとした。
ちょっとした仕草だったのに、故意なのか無意識なのか、肩が触れそうな程の距離まで、柊が寄り添うようように座り直してくる。せっかく作った距離がもとに戻り、それが少し、気になった。
「なぜ当然のように座ってくるんだ。向こうでお仲間が待ってるだろ」
さっきまでいた場所を、顎で指し示す藤永と柊のやり取りとの間に挟まれ、千乃は初めてみる妖艶な柊の横顔に魅入っていた。
「別にいいんだよ、あんな女達。で、何、こいつ。あんたの男? 異国っぽくて可愛いネコちゃんだね。やっぱあんたノンケじゃなくお仲間じゃん」
意識的に作り上げる乾いた笑顔の柊に頬を触れられ、千乃は咄嗟に身体を離した。
「おい、やめろ」
柊から壁を作るよう藤永に庇ってもらった千乃は、払われた手をはためかせながら冷嘲している柊を目で追っていた。彼の眼光は輝きを増し冷たく感じたて、掴み所のない男だと思った。
「はいはい。手なんか出さないよ、あんたの男だもんな」
両手を軽く上げ、柊は降参ですといった素振りで戯けてくる。
「……真希人さん、あの……」
無意識に真希人の席へ身を寄せた千乃は、本気なのか演技なのか分からない柊を藤永の肩に隠れるようにして観察した。
「どうした、千乃」
「あれ、もしかして恐がらせちゃった? ごめんねーってか、君ユキノって言うの? かわいい名前だね。それって苗字?」
「い、いえ! し、下の名前です。そんなことより……すいません、失礼な態度で……。俺、人見知りで……」
初めて会う、しかも藤永の知り合いの人間に対し、失礼な態度を取ってしまったと焦り、千乃は慌てて謝罪した。
「平気だよ。慣れてるからさ。それよりユキノって君にぴったりだね。で、あんたはマキトか。俺は柊って言うの、よろしくな。あの日はひたすら飲んで喋って、お互いの名前すら明かしてなかったもんなー」
「……まあ、そうだったな」
さっきから柊の顔を見ようともせず、必要最小限の返事しかしない藤永を不思議に思いながらも、千乃は二人の関係が気になっていた。
「お待たせしました、ご注文のお品コチラに置きますね」
タイミングよく現れたスタッフが、テーブルに注文の品を置くと、藤永と柊の醸し出す空気に気圧されたのか、早々に去って行った。
「それじゃ俺はそろそろ戻るよ。あんまりデートの邪魔しちゃ悪いもんな。また飲もうな、マキちゃんにユキちゃん」
手をひらひらとはためかせ、あっさりと引き揚げて行く柊の後ろ姿を凝視しながら、千乃は無意識に真希人の腕を掴んでいた。
「——きの。おい、千乃。どうした、気分でも悪いのか?」
「あ、いえ。すいません、ボーッとしてました」
藤永の声で我に帰り、千乃は紛らわすようにカフェオレをひと口含んだ。
「それよりさっきの男、千乃は初対面だよな?」
「あ、はい。全然知らない人ですけど……。え、何でですか?」
「いや……あいつ見た時の態度がおかしかったからな。それにお前は人見知りじゃないだろ」
「す、すいません、咄嗟にそう言っちゃって。あの人にどんな態度とっていいか混乱して。こんなの失礼ですよね、ごめんなさい」
失敗した。つい、二人の関係を勘繰ってしまって感じ悪い態度になっていたのかもしれない。柊と言う男と藤永が二人でいたと思うと、胸が苦しくなる。
「いや、気持ちはわかるよ。あいつの態度は馴れ馴れしい」
どこか思慮深い藤永の横顔に、その理由を聞きたくても言葉に出来ず、千乃は声を閉じ込めるように唇を結んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!