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 ——手負蛇(ておいへび)か……。  蛇を半殺しにして捨ておけば、その日の夜に家まで復讐しに来る……。    教訓めいた昔話のような一小節を、柊はどんな意味を込めて口にしたのか。   藤永は計画的に柊へ会いに行ったあの夜、試しに『蛇』と言う単語を口にしてみた。  明らかな反応を見せた柊は、自分の意見を肯定してくれる人間の登場に喜んでいるように見えた。  彼から感じる一種異様な雰囲気。あの目はどこか薄ら寒く、それこそ蛇のように陰湿な場所を好み、人の温もりから遠いところで生きているように思えた。  連続殺人事件の真相に未だ手探り状態の藤永は、何か手掛かりでもないかと非番の日を利用し、再びマレフィセントを訪れ、二杯目のウィスキーを注文していた。    ——今日は来ないのか……。  時折入り口を意識しながら、藤永は改めて店内を観察してみた。  苫田の言っていた、テンションの高い男はきっと柊のことだろう。他にそれらしい客は、以前来た時もそして今日も見た感じいない。  呪文のような単語にあいつは反応した。それが藤永の煽情を掻き立て、確信に近い直感へと繋がっている気がする。 「魔女の店で呪文か……。なんかあいつに相応しい——」 「何が相応しいって?」  声と同時に肩に重みを感じ、斜め上を見上げると髪を束ねた柊がニヤけて立っていた。ガラス玉みたいな目で笑い、その本心は光って見えない。  巻き付けられた長いリーチを首元から剥ぎ取ると「盗み聞きか」と、藤永は一蹴した。 「いいおっさんが一人で呟いてっから、ヤバいやつかと思うじゃん。あ、ママ俺も同じのね」  当然のように藤永の横に座り、柊はグラスを受け取ると、喉が乾いていたのか、一気に琥珀の液体を空にしてしまった。 「水じゃないんだ。もっと味わって飲めよ、悪酔するぞ」 「あれー、心配してくれんの。ヤサシイネ、マキちゃん」  払ったはずの腕が再び頚部に巻き付いてくると、馴れ馴れしく絡んでくる柊を一瞥しながら、藤永は今夜この男に出会えたら、実行しようと決めていたことを頭によぎらせた。 「救急車でも呼ぶ羽目になったら厄介だからな」 「へー、厄介か……。ま、確かに」  どこか含みのある言い回しに、一瞬誘導された気分になった藤永は、取り繕うようグラスを口にし「今日は休みか」と尋ねてみた。 「いや、ひと仕事した後だよ。俺、絵描きさんだからさ」 「絵描き?」 「そうそう。結構その業界では有名なんだけど、知らない? 由元柊って名前。あんたになら格安で描いてもいいぜ」 「へー。知らなかったよ、悪いな。生憎、俺は芸術ってのには疎くってね」 「だろうねー。絵なんて興味なさそうだもんな、マキちゃんは。ね、ママペン貸して」  隣のカップルと話し込んでいるママに声をかけ、柊がグラスを外すと、コースターの裏面に何やら文字を書いている。 「それは本名か?」  差し出されたコースターを受け取り、藤永はかざすように見ながら聞くと、そうだよーと、軽い口調で返ってきた。  密かに口角を上げた藤永は、柊の前にコースターを滑らせると、ペンを手を片手に、柊の鼻先へ触れそうな距離まで顔を近づけた。 「なに? キスでもしたくなった」  いわゆるいい男二人の、今にも唇を重ねるような素振りに、周りの視線はその続きを期待して騒めきたっている。 「いや……。なあ、お前さ——」  意識して色香を纏わせた低音を柊の耳へ注ぐと、藤永はペンを持ったまま肩に手を回した。 「——なんだよ……」 「連絡先……教えろよ」  その言葉で喜悦を与えることができたのか、柊の目が欲情の色に変わった。   してやったりの藤永は目を見つめたまま、束ねている柊の髪に引っ掛けるようわざと角度を付けて、ペンを差し出した。 「痛って。何か髪に引っかかったっ」 「ああ、悪い。ペンが髪の毛に絡まった。すぐ取るから動くなよ」  藤永は飄々とした様子で髪ゴムを外すと、柊の手にペンを握らせた。 「もー、マキちゃん、髪を解いて何やってるの。折角キス出来るいい雰囲気だったのに。それに何でまたペン持たせてんのさ——って、痛いっ。もっと優しくやってよー」  解けた柊の髪を元に戻しながら「早く書けよ」と、藤永は再び耳元へと甘く囁いてみせた。 「あんた……俺を抱きたいの? それとも抱かれたくなった?」  隠微な誘惑をチラつかせる柊が、無防備に髪を藤永に預けたまま卑猥な笑みを口元に覗かせている。 「残念だがまだその勇気を持ち合わせてないな。ただ、飲み相手にお前は愉快な奴だと思うけど」 「ふーん。あ、そう。あれ? 俺もしかしてフラれた? やばっ、初めてかも。あーでもそっか。マキちゃんにはユキちゃんがいるからか。けど、一回くらいの浮気は蚊に刺されたようなもんだよ?」  こじつけの理由をヘラヘラと笑いながら柊が言うから、藤永も一緒になって笑ってやった。 「よかったな、初めての体験ができて。それにママの話じゃ、お前はここでナンパされれば、来る者拒まずらしいじゃないか。俺じゃなくても相手に困ってないんだろ」  嘲笑を掠めながら藤永は、ターゲットにもう一歩切り出してみる。 「——ママはお喋りだな……。ま、いっか。俺もあんたと飲むの嫌じゃないしね」  会話に集中しているママの背中をひと睨みした柊が、名前の下につらつらと携帯番号を書き足している。 「ヒイラギみたいに刺々しいかと思ったけど、案外丸いのかもな、お前の性格は素直そうだ。字に表れている」 「俺を何だと思ってたんだよ。ってか何だ、ヒイラギって。漢字がそうだからって人間性まで尖ってると思うなよな」  柊の悪態に笑って返しながら、藤永は頭の中で安堵していた。  今日の目的を手中に収めたことに。
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