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「ここの焼き鳥旨いだろ」  こぢんまりした店内には、所狭しにテーブルが数席配置され、立ち込める煙に対抗しようと、換気扇たちがフル活動している。  店内の隅にある二人掛けのテーブルに座っていた千乃は、向かいに座る藤永に勧められるまま料理を堪能していた。 「すいません、真希人さん。また食事に誘ってもらって。この間も眞秀と一緒にご馳走になったばかりだって言うのに……」 「遠慮すんな。俺はこうやってお前と飯食えるのが嬉しいんだから。それにお前が望んでくれた事だろ。ほら、もっと食えよ」  空いた皿に香ばしく炭の香りを纏った肉が次々と置かれ、質素な生活を重きに置く千乃の表情は、その光景に気後れし戸惑っていた。 「俺、嬉しいです。真希人さんとこうやってまた話せるようになって。でもいいんですか、事件まだ捜査中でしょ? 忙しいんじゃないんですか」 「ああ、まあ正直現場は煮詰まってるんだ。詳しくは話せないけどな」 「……あんまり無理しないでくださいね」  焼き鳥を頬張りながら、千乃は微笑みながら言った。 「千乃は相変わらずかわいいな」 「か、かわいいってなんですか。からかわないでください」  聞いたことのない甘い言葉を言われ、反応に困ってしまう。取り敢えず目の前の焼き鳥を平らげよう。千乃はタレの滴る肉にかぶり付いた。 「こう言うところが可愛いってことだ」  唇の際に付いていたタレを指で拭い取られ、藤永がそのままペロリと舐めた。予想していなかった行動に目を奪われ、千乃は串を持ったまま固まってしまった。  ——な、舐めた……。真希人さんが俺のタレを……指を……。  「も、もう真希人さんみたいなイケメンにこんなことされたら、落ちない女子はいませんよ」  精一杯の虚勢で言ってみたけれど、本人は何事もなかったように涼しい顔で「女子だけか?」と言ってお茶を啜っている。  藤永と和解したあの日から、二人で食事をする機会が増えた。  千乃が望んだことではあったが、この一ヶ月の間で食事を共にするのは今日で五回目で、その度にご馳走してもらっているからさすがに心苦しい。  今日、千乃は間隔を開けてはどうかと提案する気持ちで来ていた。 「あ! そうだ、俺、真希人さんに話すことがあったんだ」  心臓が煩くて、千乃は話題を変えようと前のめりになった。 「嬉しい内容なら大歓迎だよ?」 「えっと、嬉しいこと……かな? ほら、この間ケーキをご馳走してくれた店で会った柊って人。真希人さんの知り合いの人に俺、この間偶然会ったんですよ」 「え! 会ったって、柊とか! ど、どこで」  藤永が腰を上げて瞠目し、千乃はそれ以上に驚いて口をポカっと開けていた。 「こ、この間の美術館で……です。真希人さん、あの柊って人がどうかしたんですか、そんなに慌てて——」 「あ……いや。何でもない……。そう言えば、あいつは画家だったな」  急に沈んだ顔になった藤永が気になりながらも、柊が名の知れた画家で、眞秀の好きな作品の作者だと、嬉々として説明した。 「でね、あの人凄いんです。絵を描いては売れるし、あちこちの美術館やギャラリーから、展示会の引っ張りだこらしいですよ」 「あ、ああ。そうか……。俺もあいつとは最近知り合ったばかりで、詳しいくは知らないんだ」 「そうだったんですね。てっきり俺、昔からの知り合いなのかと……。あ、でね。柊さんって、偉い人達からも依頼されてるみたいで、作品を手に入れるまで何ヶ月も待ってたりするんだって。あの日も——」 「あの日も?」 「あ……いえ、何でも……ないです」  表情を強張らせ、千乃は口を噤んでしまった。柊と一緒にいた人間が自分の父親だったことを藤永に言う必要はないのかもと。 「言いにくいことを無理強いして聞こうとは思わない。けれど、俺で出来ることなら千乃の助けになりたい。眞秀だけじゃなく、俺はお前も大事なんだよ」   「……ありがとう……ございます。俺、幸せですね。そんな風に真希人さんに言って貰えて」  藤永が口にする言葉の数々から、嘘偽りのないことだと言うのが伝わる。  眞秀と同じように大事だと言ってくれた、そうれだけで十分幸せなことだ。 「何でも話してくれ。俺は千乃の味方だからな」 「……俺にそんなこと言ってくれたの、真希人さんで二人目だ」 「え、二人目? 一人目って誰なんだ」  心なしか口調がぶっきらぼうになったのは気のせいだろうか。千乃は小首を傾げながら、八束さんですよと答えた。 「ああ、縷紅草の店長の……」 「八束さんにはいつも心配させちゃって。いつか恩返ししないとって思ってるんです。あの店のバイトに誘ってくれたのも、八束さんなんです。他で働くより破格の時給で……。俺、ひとり暮らしだから、すごく助かってて」  八束がいい人なんだと無意識に強調して伝えたのは、來田のことがあったからかも知れない。  警察に縷紅草の店ごと否定された気がした八束が、藤永に対しお世辞にも善良な市民としてみてもらえなかったことを、どこか補いたかったのかも知れない。 「……そうか。それを聞いて安心した」  言葉では寄り添うように言ってくれていたが、藤永の顔はなんだかつまらなさそうな顔に見える。千乃はさっき、柊の話を濁してしまったことが原因かと思い、仁杉の話をやはり伝えておこうと思った。 「真希人さん、さっきの話の続きなんですけど……。柊って人が美術館に居たのは、絵を受け取りに来た人物と会うためだったんですよ」  唐突に続きを口にしたものだから、藤永少し驚いた顔をした。 「……その人間の存在が、千乃をそんな顔にさせてるのか」 「やっぱり真希人さんは凄い。よくわかりましたね。実はそうなんです、柊さんのお客は仁杉——俺の父親だったんです……」 「父親……高校まで一緒に暮らしてたって言ってたな。じゃ、久しぶりの親子の再会か」 「……はい、そうですね。久しぶりでした」  藤永はよかったなと言い、微笑んでくれた。仁杉と千乃の関係を藤永は知らないのだから仕方がない。    千乃はこっそり溜息を吐くと、仁杉の話題から離れようと、思い出していたことを口にした。 「そう言えば真希人さん、柊さんに会ったら誤解を解いといてくださいね」 「誤解? 何の」 「あの人、俺と真希人さんが付き合ってるって思ってるみたいで。美術館で会った時も、眞秀と浮気してる何て言ってくるし。眞秀は真希人さんの弟だって言っても、疑ってたから」  くすくすと笑いながら言っていると、藤永の顔が青ざめていくのを見て千乃は眉根を寄せた。 「千乃、お前、柊に眞秀が弟だって言ったのか」 「え、あ、はい。言い……ました。ダメでしたか」 「あ、いや。ダメじゃない……。悪い、気にするなよ」  口を手で押さえ、この話を口にするのは控えようと思った。柊との関係性もよくわからないのに、家族のことを言うのは不味かったのかもしれない。 「すいません、真希人さん。俺、余計なこと言った——」 「……いや、千乃の彼氏が俺か——って思ってね。うん、いいかもな」  顎に手を当てて文豪のように一人で納得しているから、千乃は声を出して笑ってしまった。 「もう、真希人さん何言ってんですか。俺、男ですよ。それに真希人さんには俺なんて不釣り合いです」 「そうかな。お前は可愛いから、俺はいつでも受け入れ態勢だ」  不意に真顔で見つめられ、千乃の心拍数が一気に上昇した。  さっきまで言葉がつらつら出ていたのに、喉が詰まって、どうやって声にしていたのかわからなくなる。   「も、もういいです、そんな冗談は。それよりお肉冷めちゃいました。せっかくのご馳走なのに」 「千乃はこっちの焼き立てを食え。冷めたの俺が食ってやる」 「い、いいですよ。俺がそっち食べます。真希人さんは熱々を食べてください」 「いいから、いいから」 「ダメですっ」  (むつ)み合い戯れつき、でもそこから我に帰った二人は、顔を見合わせて笑い合った。  心から楽しいと、幸せだと実感し、仁杉にあったことなどどこかへ吹き飛んでしまった。
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