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そうこうしているうちに馬車は、リーゼロッテのファベック伯爵家のタウンハウスがある方向ではなく、貴族向けの店が立ち並ぶ地区に差し掛かっていた。リーゼロッテはそれに気付いたが、アントンに聞きづらくチラチラと彼を見た。彼女の侍女も気が付いているはずであるものの、さっきアントンに言われた事が効いているようで黙っていた。
アントンはある化粧品店の前で馬車を停めさせ、少し待っているようにリーゼロッテに言って自分だけ降りた。リーゼロッテ達に見えないように御者に何か言うと、アントンは店の中に入って行った。
馬車の扉が閉まった途端、それまで大人しくしていた侍女が再び口を開いた。
「お嬢様、手袋はどうしたんですか? マンダーシャイド伯爵令息はお嬢様を庇ってましたけど、お嬢様が粗相したんでしょう?」
「ご、ごめんなさい……」
「何があったか話して下さい。場合によっては旦那様に報告させていただきます」
「そ、それだけは……勘弁して……」
リーゼロッテはすっかり怯えていた。いくら侍女が打ち明けろと言ってもリーゼロッテは勘弁してと言うばかりだった。そうこうしているうちにアントンが戻ってくる姿が見えたので、侍女は聞きだす事を諦めて口を噤んだ。
アントンは馬車に戻って来ると、手にした容器を開けた。
「ロッティ、手を出して」
いきなりリーゼロッテを愛称で呼んだアントンにリーゼロッテも侍女も面食らい、リーゼロッテは驚きのあまり咄嗟に反応できず固まっていた。アントンは彼女の手をそっと持ち上げ、容器の中からクリームを掬って彼女の手に塗り始め、リーゼロッテはもっと驚いた。
「マンダーシャイド伯爵令息様?!」
「僕の名前はアントンだよ」
「アントン様?」
「うん、何?」
「アントン様にそんな事していただく訳には……!」
「君は僕の婚約者になる女性だから、このぐらいさせて。君が喜んでくれるなら、なんてことないよ」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。これは、肌荒れに効くクリームだよ。遠慮なく使って。なくなったらまた買うから」
リーゼロッテも侍女も『婚約者になる女性』と聞いて目を瞠った。
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