雨上がり殺人事件

5/6
前へ
/6ページ
次へ
 坂下しずく。  赤ちゃんが出来て迷っていたようだ。結婚して出産することも考えただろう。彼女には女優の夢もあった。祖母の介護も放棄することが出来なかった。  彼女は最後まで後藤に産むとは言っていない。結婚も迫っていない。お見合い相手と付き合うなとも言っていない。調べると別れることを望んでいたようにも思える。  なのに、別れを迫ったり中絶をお願いする後藤に対してだけは冷たい態度をしていた。  会社やお見合い相手に妊娠をばらすと脅したり、帰りに会社のそばで待ち伏せしたり、後藤に復讐するように追い込むことをしていた。  やっぱり、結婚することは無理だと思いながらも、後藤を深く愛していたんだと思う。  事件を整理して時系列で話すと、後藤は坂下さんの妊娠は知り、都合が悪かった。中絶を迫ったがなかなかうんといってもらえず焦っていた。  後藤は明らかな殺意ではなかったかもしれないがいつしか犯行の計画を企てるようになる。  防災訓練は一年前も行われていて、その日は二人で祖母の部屋にいた。その窓から小学校の校舎に虹が掛かっているのを二人で見ていたらしい。綺麗だねって言いながら。  犯行当日は奇跡的な快晴の青空になっていた。  後藤は自分で早朝に洗濯をしてベランダに干した。そして坂下さんにメールでお願いをする。 「雨が降ったら洗濯物を部屋に入れておいてくれ」と。それにすぐに止んでまた晴れても一度濡れて乾くと黄砂などで染みになるかもしれないから必ず早めに取り入れてくれと頼んでいた。  坂下さんは2時間おきに祖母の部屋の窓を開けて空気の入れ換えをする。昼は12時と14時だ。  14時に窓を開けると、13時半に行われた消防車の実演の放水消火ショーの影響で小学校の校舎に虹が掛かる。  まるで、雨上がりのように。  そこで去年のことを思い出せば後藤が優しかったことも思い出して、彼を許して別れることを考えたかもしれない。  しかし、すべてに疲弊して余裕のなかった彼女は虹を見て反射的に後藤のアパートへ駆け出した。  雨が知らない間に降ったと思って。  坂下さんは根は生真面目て優しくて几帳面な人。  だからアパートも入ればきちんと鍵も掛ける。  別れたいと言われて喧嘩してる男の頼みも反射的に従う。  後藤はベランダにも細工をしていた。わざと不安定な高い踏み台を用意して置いておいた。踏み台の脚の1つを僅かに削って踏み台の端に立つとガタっと傾くように細工していた。そしてベランダの軒先の角の端に、二人が初めてのデートの記念に買ったお揃いのハンカチをわざと引っ掛けておいた。  彼女はそれを取るために踏み台に乗ったのだ。その踏み台の端に体重を掛けると倒れるように彼女はバランスを崩して落下したのだった。  どこまで殺意があったのかはわからない。もしかしたら転倒して流産すればいいと思っていただけかもしれない。  しかし、すべてが悪いシナリオを選んで進んでいったのだ。  実はあの日の午前中に、彼女は母子手帳をもらっていた。産む決心はしていたようだ。  それからシングルマザーの友だちにメールも送っていた。  いろいろ話を聞かせて欲しいって内容だった。 「如月さんがまだ知りたいことはありますか」  俺がそう聞くと、 「内二(うちふ)刑事は長い髪と短い髪はどちらが好きですか」 「えっ?」  いきなりそっちの質問ですかー!です。 「あいつはどっちでもいいと思いますよ。自分が好きな髪型をしていれば。嫌いなのは謙遜とか自己否定することかな。それは俺もよく怒られる」 「そうなんですか」  そんなことも真面目に手帳にメモしていた。 「あとは、思わせ振りとかはダメです。あいつは想像できないから気づかないです。何でもはっきりと伝えた方がいいですよ」  少し難しいなぁって顔をして下を向いて、それから吹っ切ったように頭を上げて、 「今日はありがとうございました」  そう言って笑顔になった。  気づけばガラス窓の外は陽射しがこぼれていた。  朝からの雨はすっかり止んでいて、雨上がり独特の陽射しが水滴に反射してキラキラ輝く現象があちこちで見られた。 「生きていれば、どんな涙もキラキラ光ることが出来るんですよね。だから殺人事件だけは、俺は大嫌いなんです。だから関わりたくない。だから刑事ではなく探偵になったのに耕介にはえらい迷惑をかけられています」  俺はつい、如月さんに愚痴をこぼしてしまった。   「わかります」  少し悲しい顔をしたけれど、 「だから私は犯罪を許しません」  そう目力の強い目線で俺を見つめて宣言していた。  俺は少しドキッとした。  この恋心がバレないうちに退散することにした。 「じゃ、また今度。残っているチーズケーキはきちんと食べてね。それから此処の食事代はおごってくれるんだよね?」  彼女はキョトンとし顔をしてすぐにうなずいて、 「はい!」と大きく返事をした。  ゆっくり俺は喫茶店を出た。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加