初恋の芽生え

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 リリーは、不貞腐れている。  茶色のブーツで畑の脇道に転がる石を蹴飛ばすと、巻き起こった強い風によってスカートが翻った。 「なんで……なんで、この町の学校じゃなくて、王都の学校に行かなくちゃならないの?」  好きで魔法師の家に生まれたわけではないのに。  好きで高い魔力を持って生まれたわけではないのに。  なぜ生き方を定められなければならないのだろう。  魔力なんていらない──なんて言わないし、言えないけど、普通の家の、普通の子になりたかった。    領主専属の魔法師の家に生まれたリリーは、町娘にしては華やかな服を着せてもらっている。白いブラウス。黒地に色鮮やかな刺繍を施した編み上げベスト。紺色のスカートの上に、裾に花の刺繍をした白いスカート。  銀色の髪と紫色の瞳は、高い魔力をもつ血統の証。リリーは何不自由なく育てられた。    延々と続く小麦畑は、太陽の光を浴びて緑色に輝いている。  その向こうに、どっしりとしているようにも、ゆったりしているようにも見える、まるで壁のようにこの町を守っている山々。  ところどころ雪を冠っていて、その雪は真夏でもなくなることはない。それほど高い山だということだ。  そして、その山の向こうの、ずっと向こうに、王都がある。  辺境とも言えるこの町で、リリーは生まれ育った。     ひとり林のなかへ進んでいく。  春の日差しを浴びて輝く木々を見上げる。 「……春だなぁ」  呟いて、ため息を漏らす。  文句を言っていても、来ないでと言っても、季節は巡る。  この地域の春は短い。あっという間に夏が来る。魔法学園の入学は秋。夏の終わりには王都へ向かわなくてはならない。    その前に、やらなければいけないことがある。杖作りだ。  父からは、祖母から受け継いだ杖を持っていくよう勧められているが、彫られた模様が削れていたり、ところどころひび割れていたりささくれ立っていたりで、見た目がとにかく古臭く、可愛くないのだ。  魔法師にとって、杖はまさに相棒。  学園に入学するのは正直言って嫌でたまらないが、それならば、せめて杖だけでも可愛いものを持っていきたい。 「うん、いい感じ。こっちも……一応持って帰ろう」    落ちている枝のなかから数本選んで持ち帰り、工房に籠る。魔法で乾燥させ、一晩置いた。  慣れない手つきで枝をナイフで削っていく。  当然、思うように出来ない。力の入れ方がつかめない。   「もうやだぁ……」  リリーはごろりと床に転がってため息をついた。   「ほんと、やだなぁ……」  寮生活でうまくやっていけるだろうか。友達はできるだろうか。田舎者だと馬鹿にされたりしないだろうか。授業や実技は厳しいのだろうか。不安だらけ。むしろ不安しかない。    魔法学園なんて行きたくない。    だが、あの学園を卒業しないと魔法師にはなれない。    他になりたいものなど思い浮かばないし、他にやりたいことが出来たとしても、両親に反対される気がする。  強い魔力を生かす仕事は、たぶんいくらでもあるだろうけど、だからこそ、魔法師以外は認めてくれないだろう。そのための教育を、物心つく前から受けさせられたのだから。    リリーは町の同年代の子たちに思いを馳せた。魔法学園を卒業してこの町に戻ってきたとき、みんな私のことを覚えているだろうか。たぶん、卒業するまで帰って来られないだろうから、忘れられてしまうかもしれない。  王都まで片道一週間なんて、里帰りを躊躇うには充分な距離。旅費もかかる。  リリーの父も魔法学園の卒業生だが、入学してから卒業するまでの八年間、帰省したのは祖父が亡くなった時の一度だけだったという。    八年経ったら、リリーは二十二歳。  その頃、みんなどんな大人になっているのだろう。結婚して子供もいるかも──と、そこで幼馴染の少年の笑顔を思い浮かべてしまい、リリーは乱暴に寝返りを打った。   「なんであいつが出てくるのよ……」  えいっと飛び起き、ぱしんと両手で頬を軽く打つ。  何かしていないと、考えがどんどん不安に引き摺られてしまう。   「絶対可愛い杖作ってやる!」  床に放ったままのナイフに手を伸ばしたその時、ドアを叩く音に続き、聞き馴染みのある声がリリーを呼んだ。   「なによ。いま、私すっごく忙しいの。あとにしてくれる?」  ドアの隙間から訪問者を睨みつける。  つい先ほど思い浮かんだ少年と顔を合わせるのが気まずいのもあり、リリーはドアを閉めようとした。  「聞いたぜ。杖作ってんだってな。木を削るなら俺に言ってくれればいいのに」  幼馴染のアンディは、ニヤリと笑いながらドアに手をかけている。  「は、入ってこないでぇえ……!」   リリーは必死になって抵抗したが「ドア壊れるぞ」の一言で怯んだ隙にドアを開けられてしまった。   「……なんでこんなになるまで削っちまったんだ」   修復不可能なほどデコボコに削られてしまった枝の前に座り込み、ため息をつくアンディ。  リリーは肩を窄めた。   「リリーはぶきっちょだからなぁ……」 「ぶ、ぶきっちょって言わないで! ちょっと細かい作業が苦手なだけよ!」 「まぁそういうことにしといてやるよ。でもまぁリリーは運がいい。俺がカッケェ杖にしてやんよ」 「えええ…………」    リリーは眉を顰めたが、自分が不器用であること、アンディの手先が器用であることは悔しいが認めている。別の枝をアンディに手渡し、すべて任せることにした。  アンディが右手に持ったナイフで枝を削っていく。  踊るような軽やかさ。  木の香りが部屋に広がる。  リリーが上手く処理出来なかった節の部分も、アンディは綺麗に削っていく。  そのナイフ捌きに、リリーは目が釘付けになった。   「ちょっと握ってみてくれ」    皮をすべて剥いで、ある程度綺麗に削った枝をリリーに手渡すアンディ。  その顔つきがいつものアンディとは違うことに、リリーは一瞬戸惑った。   「……うーん、もうちょっと細い方が……」  首を傾げつつ、枝を振るリリー。 「じゃあ、このくらいでいいか」  アンディはナイフを仕舞おうとしている。    「え、もうちょっと細くしてよ」 「ヤスリかけるから、これくらいでいいんだよ」 「……あ、そっか」 「ヤスリ作業そこで見てるなら鼻と口覆った方がいいぞ」  そう言って、アンディはバンダナで顔の下半分を覆った。      粗いヤスリを枝の全体にかけているアンディの目は真剣そのものだ。枝を握っている左腕にも、ヤスリをかけている右腕にも血管が浮かんでいる。    リリーはなんだか見てはいけないものを見てしまった気分になった。    ちらり。アンディの顔をうかがう。リリーがいることを忘れているかのように作業に集中している。    ジャッジャッジャッ……  部屋に響くヤスリがけの音。  この作業を始めてから、ふたりの間に会話はない。 (なんでだろう……こんなに落ち着いた気持ちになるなんて)  先程まで、数ヶ月先に入学する魔法学園でのことや、将来のことで不安でいっぱいだったのに……  どんなに見つめても、アンディは自分の手元から視線を逸らさない。  だが、それで構わないとリリーは思った。    こんな風に、いつまでもいられたらいいのに。    時間を操る魔法は禁忌だから、万が一使えるとしても使わないけど、時が止まってほしいと願う気持ちはわかる気がする。    ずっと、ずっとこのままでいられたら────  どうして、同じままではいられないんだろう。    このまま、この町でアンディと一緒に……     「……俺、魔道具職人になるよ」  ぽつり。まるで「腹減った」というひとりごとのように言うから、それがどういうことなのかリリーは理解出来なかった。   「え……」 「だからー、魔道具職人になるんだ、俺」  そう言ってリリーを見つめるアンディ。  リリーもまた、目を見開いてアンディを見つめた。 「ははっ、驚いた?」  悪戯が成功した幼い子のようにアンディは笑っている。 「え、でも学費とか……」    魔道具職人になるためには、学校に通い、資格を取る必要がある。だが、その学校は王都にしかない。   「エリザベス様が始めた、奨学金ってやつで行けることになった」  現国王は子供の教育は財産になると考えており、子供たちは無料で学校に通うことが出来る。  また、王妃エリザベスの働きかけにより、昨年から地方在住の子が王都で高等教育を受ける際の費用を無利子無担保で貸す制度が始まった。しかも成績優秀者は在学中の生活費が支給され、返済も免除されるのだ。  ただし、この制度には条件がふたつある。  ひとつは必ず卒業すること。  もうひとつは、卒業後は地元に戻り、学んだことを活かすこと。     「え……じゃあ……」 「俺も国立魔法学園に行くって言ってんだよ!」  投げるようにそう言って、アンディは作業に戻り、真剣な目でヤスリをかけ始めた。     学科は分かれるが、同じ学校に行ける。  それだけでも今のリリーの不安を吹き飛ばすには充分なものだった。  誰がどう見てもその辺から拾ってきた木の枝が、みるみるうちに滑らかになり杖らしくなっていく。まるで拾われた野生児が淑女になる物語のよう。  これは魔法だ。アンディの魔法。  リリーは祈るような気持ちでアンディを見つめた。    ある程度粗いヤスリをかけたところで、魔石を埋め込む位置を確認し、目印をつける。  ここでいいかと問うように視線を向けられたので、頷くリリー。   すべて任せると言ったから聞かなくてもいいのに。そう思いつつも、模様や名前を掘る位置もきちんと確認してくれるアンディに、リリーはたまらなく嬉しくなった。    魔法師にとって、杖は相棒。  それを、大切な幼馴染のアンディが作ってくれている。     リリーは魔法師になった未来の自分の姿を思い浮かべてみた。  その隣にいる、魔道具職人の青年の姿を想像してしまい、アンディから目を逸らす。      どんなに彫った模様が削れても、ところどころささくれ立っても、アンディが作ったこの杖を、大切にしよう。  ずっと、ずっと大切に。  作業の邪魔をしないよう、そっと立ち上がり、窓を開ける。  夏の気配を感じさせる風が、リリーの赤く染まった頰と銀色の髪を撫でていった。      
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