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十一 約束
ピンポーン。
自宅のインターフォンのベルが鳴るには、宅配にしては遅すぎる時間であり、金のない俺は宅配の絡む商業活動など出来ない身の上だ。
俺は呼び鈴を無視して再びベッドに転がった。
俺は飯島と食事に行ったが、その後は店に戻らずに、拗ねた子供のように自宅に帰って籠っているのである。
テレビも無い家で何をすると言えば、小説を読むか音楽を聴くか、ベッドで寝るか、ぐらいしかないだろう。だが、教科書以外の本もCDもアイポットも全部売れる物は売ったので、俺はベッドで寝る一択しか残されていなかった。
銀行の預金が使えるとしても、生活の見通しが立たない俺なのだから、見通しがつくまでは節約に節約を重ねる必要があるのである。
ピ、ピ、ピンピンポーン、ピ、ピピピ、ピ、ピ、ピンピンポーン。
子供の悪戯のようなインターフォン連続鳴らしに、俺はとうとう居留守を使うよりも怒鳴りたいと、ベッドから出て玄関に向かった。
そして玄関ドアを開ければ、予想通りの、不機嫌どころか顔が濃いだけのぎょろりとした両目が俺を見据えた。
「何をやってんだ」
怒鳴ったのは、甲斐の方だった。
「え?」
「インターフォンで相手を確認してからドアを開けろ。チェーンもしてからだ。このど阿呆が。不用心だろうが!」
俺は怒鳴り返すべきなのだろうが、目をつぶって三秒数えた。
「おう。その髪は飯島か。なかなかいい感じになったな」
甲斐にわしゃわしゃと髪を撫でられた。
「やめてくださいよ。いい感じが台無しじゃないですか!」
反吐の出る話だからと、まずは飯島に飯を奢られ、ここで話すのは何だからと、俺は飯屋から飯島に連れられて、彼の自宅どころか美容室へと放り込まれたのである。
俺は少しでも母の実際を知りたいからと、飯島の話を聞くために美容室の椅子に座って彼の指示するままに美容師が髪を切るに任せ、そして終わればさっぱりしたねと、飯島に服も買ってもらったのだった。
告白しよう、俺は不貞腐れていたのではない。
店長だと、俺の客だと散々憤っておいて、気が付けば飯島との時間に全てを忘れて楽しんでいたという自分が情けなくて、心の中に芽生えた罪悪感の解消のために落ち込んでいただけなのだ。
「そえで、ええと、あいつから聞いたのか」
甲斐は珍しく口ごもり、俺を睨むどころか目線まで逸らした。
「聞きましたよ。別れ際にちらっとそれらしい話は。皮膚は伸びきってしまうと元には戻らないって。整形やいろいろやりすぎても皮膚は駄目になるって。なんですか、クロコダイルっていう薬物中毒者の画像も見せられました。グロイの。薬の副作用って怖いよねって。こんな姿になっても、人は一時の快楽のために薬が止められないんだよって」
「――あー、そうか」
「今日の秋吉さんもそうなんですか? 全裸にしたのは薬物注射の痕を探していたからだって。麻薬中毒者は色々な薬に手を出すものだって。だから、それが、その、本当なら、俺の母さんのせいではない?」
俺はバシッと甲斐に頭を叩かれた。
「何をするんですか」
俺の首に甲斐は腕を回して来た。
ぎゅうと俺の身体が甲斐の身体に引き寄せられた!
「な、なにをするの!」
言葉は抵抗しているが、俺の身体は全く彼を振り払う動きをしなかった。
彼からふわっと香った匂いが、なんだか嗅いだことのあるもののような気がしたからだ。
それがいつか思い出す前に、俺の耳元に甲斐が低い声で囁いた。
「疑心暗鬼に陥った事がお前にはあるのか? 信じすぎだろ、お前は!」
「やっぱり、嘘なんですね」
彼は俺から腕を剥がして俺を解放してから、再びばしっと頭を叩いた。
「いた! 何しに来たんですか!」
「お前が知りたいと思ったからだよ。いいか、今日予約を入れていた秋吉と一時の客はどちらも病院送りになった。午前中に来なかった奴は行方不明で、よっちゃんが部下に探させているよ」
「甲斐さんは探さないのですか?」
「俺はよっちゃんの部下じゃ無いもの」
外山の上にも見えないと首を傾げたら、甲斐は自分の頭を掻いて面倒そうな声を出した。
「違うんだよ。命令系統は一緒で、あっちのが階級が上だけどね、俺は違うんだよ。どう違うかは一般人には教えられないけれどね」
「それはどうでもいいですけど」
「どうでも良かったのかよ。お前は酷い奴だな」
「何ですか、意味がわかりませんよ。それよりも、あの、秋吉さんは回復するんですか? 母さんは大丈夫なんですか?」
甲斐は俺をじっと見つめ、それでも俺が彼にもういいと言わないと解ると、おそらく、本当に俺の家のドアを叩いた目的の言葉を告げた。
「母親には会えるよ。それは俺が約束してやる」
彼は俺が会える母が死体とも生きているとも言わなかったが、俺は彼に頭を下げるしかなかった。
お願いします、ありがとうございます、と。
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