十四 嘘のような世界の真実

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十四 嘘のような世界の真実

 この世には死人というものが存在するという。 「イザナミノミコトとイザナギノミコトが言い合ったそのままが起きているんだそうだ。あれだよ、私が千人殺すってイザナミが叫んだら、それなら私は千五百人の人を生み出そうって奴。専門家によるとね」  甲斐が語るが、そんな専門家ってなんだよ。古事記や日本書紀の神話はそんな話じゃないだろ。あれは物語だろ? 「黄泉平坂の向こうから来る悪鬼を抑えるために、死者数に対して生者の数が勝っていないといけないというルールなんだそうだ。生まれた子供が死んだ人間より少ないと、死んだ人間の中から死なない人間が生まれる。今は少子化だから次から次へと死ねない人間が生まれているのだそうだ。嫌な世界だね」  俺はあの女性のたるんで紫色の斑点の背中を思い出しながら、甲斐に聞き返した。 「ただの病気では? 動いていたじゃないですか。背中はああでしたが、顔は普通に血色が良かったですよ」 「人を喰ったからだよ」  松井が答えた。 「あたしの店の子が次々居なくなってね。あたしが居なくなった同僚の代りに同僚の客を相手したら、そいつが言うのよ。ウチに来ないかって。三十万やるって」  松井はふーと息を吐いた。 「あたしは行って、殺されかけた。このスケベ親父が今日みたいに助けてくれたけどね。同僚達はその客とお友達に食べられていたよ」  俺達は甲斐の部屋に集まっていた。  俺の部屋ではなく。  死人とやらをどこかに運ぶと甲斐が姿を消した後、松井達はオーナーの俺にお伺いなど立てずに店を閉め、松井と仙波によって俺は強制的に甲斐の部屋に帰宅させられることになったのだ。  道すがら彼女達が教えてくれた事によると、完全な死人(しびと)は死体だからデッドのD、中間の人間は注意しろでケアフルのC、大丈夫はセーフのS。人を殺して食べる事を覚えた死人はグールになったとGで、その行為をケアと呼ぶのだそうだ。  その「ケア」という隠語は、元々は死人社会で使われているものだそうだ。  死人社会があることこそ驚きだが。 「で、シビトって、ゾンビ?」 「ゾンビだね。早い話。何しても死なないの」  松井は平然と答えた。 「俺の母さんがばら撒いた薬で、ゾンビが大量発生していると?」 「大量発生はしていないね。少量発生はしているけど」  仙波が何事も無いように返したが、それは母の所業だと認める言葉だ。 「そうですか」  俺は彼女達が俺に真実だと語ってくれる中で、ようやく外山や甲斐が俺に内緒にしようとしていた心遣いに気が付いたのだ。  確かに、そんなことを知ったら、母や姉が戻って全てが正常に戻ったとしても、俺は世界をいつも通りの目で見られなくなる、と。  俺はそこで甲斐と外山の気持ちに添おうと、松井と仙波から逃れて甲斐の部屋の向かいにある自宅に逃げ出そうとした。  彼女達が甲斐の部屋に入り込むその隙を狙って、俺は連れ込まれる前にと自宅ドアまで必死に走ったのだ。 「カッチー、お前の自宅ドアの鍵はあたしらの人質だ」  松井が俺のキーケースから鍵をぶら下げてカチャカチャ鳴らした。 「あ、キーケース」  鍵は実は落としたときの為に郵便受けの底にガムテープで合鍵が貼ってある。しかし、松井が持つキーケースは姉のお古だ。  俺はすごすごと自宅ドア前から甲斐の部屋のドアの前まで戻った。 「返してください」 「部屋に入ったらね。でもこれさ、綺麗だけど女物じゃない?」  松井が俺の目の前でニヤニヤしながらキーケースを揺らす。  それは、牛革の表面をクロコダイルのように凸凹を施して、飴細工のような質感のエナメル加工がされたものだ。  青系のパステルカラーで色とりどりに染色されて、色ガラスのように輝いている。  まるで飯島が施すジェルネイルのように。 「姉さんがくれたんです。蛇の鱗みたいだけど綺麗だねって褒めたら、気に入ったのならあげるって」 「お前、いい性格しているな」  仙波が妙に感心している声を出して目をきらめかせたのが怖かったが、絶対にこれだけは売らなかった俺の宝物を取り返すために、怖い仙波と松井の言いなりとなったのである。  そんなわけで先日はここに甲斐と座った和室のちゃぶ台に仙波と松井と仲良く座って、ホラ話にしか聞こえない話を家主の甲斐から聞かされているとそういう訳だ。  後から帰って来た甲斐は、俺達が勝手に彼の家にいることに驚きはしなかったが、松井達が俺に真実を語ったとの報告には大きく舌打ちをしていた。  彼は本当に俺には何も知らせずにいるつもりだったのだろうか。  彼は俺を本気で守ろうとしてくれているのだろうか。  さて、話は戻るが、先程の死人などの荒唐無稽な話は俺の目の前で続いており、友人が死人に食べられたと映画のような事を真面目に語る松井に、俺は呆れたように聞き返していた。  何だ、それ、だ。 「どうして人を喰うのが死人のケアなんですか。普通に食事の行為でしょう。ディナーとかじゃないんですか」 「違う。彼らの人食い行為は食事目的じゃ無いんだよ。殺した人肉を喰うとね、暫くの間死人が生者に戻れるんだ。カッチーの母さんはそれを薦められて警察に駆け込んだんだよ。娘を助けてくれって」  仙波の言葉に俺は脳みそが固まり、思わず甲斐に振り返り彼の顔をまじまじと見つめる事しか出来なかった。  見つめられて甲斐は俺の視線から顔をそらした。 「あの浜野がカッチーの姉の子供を食おうって提案したんだそうだ。死人が食べて効力が高い人間は寿命が長い人間だからって。死んだ時に本来の寿命が長ければ長いほど良くて、生にしがみ付く人間ならばなお良い。それで、お前の姉さんの子供だ」  俺が見つめる甲斐は俺を静かに見つめるだけで、彼の代りに仙波が俺の耳に毒を流し続けている。  俺の頭の中は、海に車が沈む映像ではなく、真っ赤に、血にまみれて横たわる姉の姿で真っ赤になった。 「姉さんは事故で死んだんじゃなくて、喰われた? 殺されたんですか?」  甲斐はようやく口を開いてくれた。 「本当のところはわからん。お前の母親の話から美奈子の警護に駆け付けたんだよ。襲う死人が居れば捕獲しようとね。だがね、すまない。一足遅かったようで、捜査官が目にしたのは物凄いスピードで海に高瀬の車が突っ込んだまさにそこだ。地元警察の調べでは高瀬守は借金の返済で悩んでいたから、無理心中として処理はされている。高瀬の遺体は回収されている。あとは君の姉さんの行方だけだ」
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