十五 俺がいても助けにはならなかった?

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十五 俺がいても助けにはならなかった?

「姉さんを死んだように言わないでくれてありがとうございます」 「い、いや」  俺の感謝に珍しく甲斐がそわそわと挙動不審になったが、姉が殺されて食べられていない事に俺は安堵しか無いのである。  けれど、あの優しそうな義兄の裏の顔には信じられない思いだ。 「どうして義兄が借金を」 「ギャンブルだよ、よくある話。借金は昔からしていたね。お前の家の財産を食いつぶしていたんだよ、彼は。だからちょっとした事業費が回せなくて会社が困窮する羽目に陥ったんだ。お前の家の会社が傾きかけたのは姉が結婚した年からだろ。それで、今まで肩代わりしてくれたあぐりが消えた事で全ての督促が一時に来て、首が回らなくなっての無理心中だったのだろうね。保険金をかけた配偶者を殺すつもりで実行してね、自分は生き残るつもりが大失敗、よくある話だよ」  俺の頭の中で、俺の事を心配する姉の声が響いた。 「ねぇ、克哉。私の所にいらっしゃいよ」  どうして俺は彼女の元に行かなかったのか。  もしかしたら姉は義兄の振る舞いが怖くて、男の俺に傍に来るように言っていたのかもしれないじゃないか。 「もし、もし俺が、俺がすぐに、母さん消えてすぐに、姉さんの言うとおりに姉さんの所に行っていたら、姉さんは生きていたかも知れないんですよね」  俺が姉の傍にいれば、無理心中で姉を道連れにしなかったかもしれないのだ。 「そうだね。でもさ、その場合はカッチーが殺されていたね」  松井はいつの間にか勝手に持って来たビールを飲みながら俺の隣に座り直し、確実、とまで言って笑い声を立てた。 「お前の銀行口座の金目当てでさ。その後は保険金目当てで姉さんの美奈子を、次が赤ん坊だね。人を殺せる奴って、際限がないからね」  二十代の松井は人生を知っている老婆のような表情を見せて語ると、いつもの顔に戻り、確実だってと、再び言って笑った。 「あの、死人どものようにさ、際限ないんだよね、人殺しはよ」  松井の言葉を継いで、仙波が吐き捨てるように呟いた。 「仙波さんは死人に何かされたのですか?」  松井がキャーと嬌声を上げて、ほとんど酔っ払いのように床の上に寝転んだ。 「うるさいよ、松井」  ケタケタ腹を抱えて笑う松井が、吐息も絶え絶えになりながら仙波を指さしながら暴露した。 「婚約者が、死人」 「だまれ!」  仙波は四つん這いで転がる松井の傍に行き、そんな松井をバシバシと片手で叩く。が、ソファとテーブルの間など狭いのに、松井は右に左にと転がって仙波は全て空振りだ。ごろごろ転がりながら笑う松井が、手に持つビールを一滴も零さないことにも俺は物凄く驚くしかない。  純粋に、すげぇと。  本当の彼女ははしゃいでいる振りをしているような気もしたが。 「婚約者がゾンビだったなんて、大変でしたね。仙波さんも辛かったでしょう。大事な人の変化に気付かなかったなんて」 「ちがうちがう、カッチー。違うよ。結婚相談所でお見合いした相手が死人だったってだけ。可哀想な仙波ちゃん」 「うるさいよ! あいつらはそうやって餌を探しているんだよ。わかっただろ、許せないだろ」  俺はゾンビよりも仙波が結婚相談所通いをしていた事に驚きと一抹の物悲しさを感じて、目線を彼女から逸らすだけで精一杯だった。  そこでカチャンと小さな音がテーブルに響いて、俺たちはそこに注目した。  甲斐がちゃぶ台に転がしたそれを、俺は悲しい気持ちで眺めながら勝手に言葉が口から出ていた。 「それはレジから出てきた鍵ですね」 「どこの鍵だかわかるか? あるいは、あのレジのように夕紀子が作った何かでもいい」  全ての元凶の夕紀子。  でも、俺と姉にはもう一人の姉のようで、気さくで面白い女性だった。  彼女は何でも改造し、必ず秘密のスペースを作った。 「夕紀子は悪戯が過ぎるのよ。小学生の時はジャム瓶や砂糖ツボに毒薬のラベルを貼っていたのよ。でも、それが面白くて私が食物に興味を持って栄養学に進むきっかけになったのだから彼女のお陰ね。身の回りの食物にも毒が潜んでいるのよ。例えば桃の種とか」  母の言葉を思い出した。 「母さんが、夕紀子さんが砂糖ツボに毒薬のラベルを貼っていたって笑っていたことや、彼女が何でも改造して秘密スペースを作って遊んでいたことしか」  そこで俺は思い出した。 「レジスターの仕掛けは夕紀子さんが作ったものですよね。あのコピー用紙とかあの変なガラス瓶は彼女が隠したんですか? 母さんではなく。あの金庫、俺の覚えている限りあそこに無かったものです。夕紀子さんが作ったものですね」  母が俺に真実を伝えるために隠したのではなくて、夕紀子が隠した物を探している? 「ちゃんと教えてやれよ」  松井がタンっとビール缶を置き、缶の蓋をプシューと開けて、ゴクゴクと再び飲みだした。  二本目?  さっきまで寝ころんでいた癖に、いつの間に冷蔵庫に行ってた?  俺の隣でもタンっと音がした。  もちろん仙波だ。  ここでビールを飲ませて貰えないのは、ここが自宅の甲斐と、彼女達に連れ込まれた草食の俺だけだ。  それで俺はいつの間にか怖いお姉さんたちに挟まれている!!  俺は甲斐に助けを求める視線を動かせば、ちょうど甲斐が大きく溜息を吐いたところだった。  この人達から俺を助けてくれる? 「俺にもビール」 「そっちかよ」 「自分で買えよ」  ビール缶を口に当てたままの松井が、俺の言葉をかき消して即答した。 「俺ん家の冷蔵庫を勝手に使ってんなら一本くらいくれよ」  松井はチッと大きく舌打をして、自分で取って来いよと言ったきり、全く立つ気配も無い。  甲斐はチっと大きく舌打ちして、のそのそと冷蔵庫へと向かった。 「甲斐さん、私のは駄目ですからね」  仙波だ。  俺はこの二人を見るに付け、一生独身でいようと思い始めていた。  もとい、一生綺麗な体でいいかなって思い始めていた。 「面倒臭ぇから買って来るよ。水戸井、奢ってやるからお前もコンビニまで付いて来い」  魔法使いになることを決意した草食の俺は、肉食動物に捕食されないようにと、甲斐の後について行く事に決めた。
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