十七 二人だけの夜道のあとに

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十七 二人だけの夜道のあとに

 コンビニの冷蔵庫で響く駆動音により、俺は開店初日に目にした血液透析の機械によく似たあの機械を連想してしまった。  瞬時に俺の脳裏に浮かんだのは、あの機械と繋がれて苦しむ母の姿である。  ガツン。 「早く取れ」 「痛いです」  言葉だけでなく足を蹴るなんて酷いが、お陰で映像を頭から振りほどけた。 「どうした?」 「あの、あの機械って何ですか。って痛い」  また足を蹴られた。  畜生と見上げると彼は俺をギロっと睨みつけ、俺の手から缶を奪い取ったそのままレジに向かい、俺を置いてそのままコンビニを出て行った。 「ちょっと、待ってよ。」  慌てて追いかけてコンビニを出ると、コンビニから少し離れた暗い場所で甲斐は俺を待っていた。  甲斐の横に並ぶと、彼は静かに話し出した。 「あれは最終手段なんだよ。彼女は人を殺しもせずに死人化に耐えていたからね。出来る限りの処置って奴だ。あの機械でね、濁った身体中の血液を循環させて活性化させるのさ。処置中は辛いが、三日は体が楽になる。」 「三日だけですか。母もあんな処置を三日ごとに受けているって事ですね。」 「お前の母さんは大丈夫だ」  それは母が頑張っているという事か? それとも母は処置の必要のない死人になってしまっているから大丈夫ということか? 「大丈夫だって。真っ当な人間にはちゃんとした処置をしているよ。出来る限り楽になれるような、ね。死人が人を襲うのは、死人でいる状態が辛いからなんだからさ。G化しないようにね、楽にしてやるよ」 「そう、ですか。つまり、母さんは、死人になっているって事ですね」 「死人って何だろうね。G化しなければさぁ、そいつはまだ生きている人って奴だろう。難病にかかっちまったさぁ」 「そう、そう、ですね。治るかも、ですね」 「そう、松井みたいな医者も日々研究しているからね」 「え? 医者? ヘルスって嘘でしたか?」 「あいつに嘘はねぇよ。ヘルスで働いていたのも本当。俺達の出会いも本当。苦学生で体も売って学費稼いで医者になったのに、自分が虐待して怪我をした子供を治せと連れて来た親がいたんだってよ。知っているか? 児相が入ってもな、子供が親が大好き、親に殴られた事なんて無いって言い張れば、誰も保護できねえんだよ。そんで治したはずの子供がまた壊されて戻って来た。それで親をぶん殴ってやってられねぇって病院を辞めたんだってよ、あいつは」 「松井さんて、すごいんですね」 「おう。仙波と同じ年なのにさぁ、若く見えるよな、あいつは。いや、仙波が年を喰って見えるだけか」 「あんたは最低だ」  甲斐は助平親父風にひひひと下卑た笑い声をあげ、俺は黙って甲斐の隣を歩いた。  暗い夜道を一人で歩く気概は俺にはない。  甲斐の部屋に戻ると、お帰りもなく松井達が俺達に襲い掛かり、ありがとうもなくコンビニ袋を奪われた。 「ち、つまみぐらいまともに買って来いよ。ケチりやがって」  袋を持って覗き込んだ松井が罵りの声をあげると、腕組みをした仙波が甲斐を蔑んだ。 「パシリにもなりませんね」  強面のはずの甲斐は傷ついたように胸を押さえていた。  すると仙波が甲斐の前に一歩出て、罵声をもう一つではなく部下としてという風な質問をしたのだ。 「全部話しました?」 「話すわけ無いじゃん。こいつが話すのはさわりだけ。全部話したほうが馬鹿でも馬鹿行動しなくて済むのにさ」  松井が仙波に答えた。  二人は目を合わせて、ウンザリ、と言う顔を作ったが、俺は二人によってさらに胸の中に焦りが湧いた。 「まだ、隠し事が、……あるんですか?」  俺は恐る恐る二人に尋ねていた。 「上手くやったカッチーママから浜野が腐れ玉を盗んで、あぐりの死人化を抑えるには人喰いだと脅したから、カッチーママが製造法を探ったって奴」  松井が一息で言った。  内容は酷いのに一息で言える出来事にがっかりだ。  製造法を探った母はそのおぞましさと夕紀子による姉への危険で警察に駆け込んだのだ。 「私達は製造法を水戸井さんに聞いてね、それで製造工場を潰そう動いているのさ」  俺は仙波の製造工場の単語に、あの鍵の存在を思い出した。 「あれはそこに導く証拠かもしれないんですね」 「そういうこと」  甲斐が略奪されまくったコンビニ袋からビールを取り出し、俺に袋を渡した。缶が一本だけ入っているコンビニ袋。受け取った袋からハイボールの缶を取り出して俺は怒った。 「これサワーだ。俺のハイボールどこ!」  甲斐が横目で仙波を何度もチラ見して俺に教えてくれた。  もちろん仙波が俺のハイボールを飲んでいたのである。 「これ、あんまりおいしくない!」 「それじゃあ、最初に注文したサワーを飲んでくださいよ! 俺、甘いの嫌なんです!」  仙波はギロっと怖い目で睨むと、タンとハイボール缶を俺の目の前に置いた。そして、俺の手からサワー缶を奪うと美味そうに飲み始めた。  え? 「俺、人が口つけたのは嫌だよ」  ギロっと再び睨みつけられ、飲めよと脅された。  草食動物が肉食、それもグリズリーに勝てそうも無いので悲しい気持ちで飲みかけの缶をそっと口に運んだが、そこでプルタブが金属の光沢で輝くのを見て俺は思い出した。 「甲斐さん。夕紀子さんの出た大学に彼女の作品が置いてあります。彼女は卒業時にそれで賞を取ったから母校で飾ってあるって自慢していました。あれにも内緒の引き出しがあるはずです。彼女の作品テーマはパラドックスにおける自己増殖。だから不要な改造や引き出しを作り続けるって笑っていました」 「あぁ、わかるよ。凄く嫌なテーマだってことはよ。」
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