二十一 押入れ

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二十一 押入れ

 夕紀子が様々なものを改造し、俺の興味を引いていたのは、純粋に俺に喜んで欲しかったからではなかったのか? 「かっちゃん、この家には秘密のトンネルがあるの。秘密の部屋も。私が作ったのよ」 「ユウママはすごいね」  うふっと、夕紀子は嫣然と微笑む。 「ここよ、見つけてごらん」  俺は押入れに放り込まれ、真っ暗な押入れの中に取り残された。 「開けて! 怖いよ!」 「見つけるの。秘密のトンネルを見つけたら明るくなるから。かっちゃんが大好きな絵本の真似して作ったのよ。だから探しなさい!」  俺は探さなかった。  大泣きして、「二度とママと呼ばない!」と夕紀子に叫んだのだ。  バっと押入れの襖を開けた彼女は、怒りなのか、美しい顔をかなり歪ませていた。  そして、怒りによるものか、涙までも流しながらどこかをいじって壁を外したのである。 「ほら、せっかくかっちゃんを喜ばせようと作ったのに」  あの涙は思い通りに事が運ばなかった涙だったのだろうか。  真っ暗闇にぽっかりと輝く四角い空間。  影になった真っ黒の夕紀子の後ろにある空間は赤茶けた色で輝いており、明るくても俺はそこに入りたくなかった。  そこに入ったら俺はこの家から出られないと子供心に恐怖して、押入れを飛び出して、浜野家を飛び出して、泣きながら知らない住宅街を走り抜けたのだと思い出した。  今ならばわかる。  彼女は俺が一番好きな絵本だという事は知っていても、俺がその絵本の世界をとても怖がっていた事は知らなかったのだろうと。  いや、違う。  俺はあの日、耳を塞ぎながら夕紀子から逃げたのだ。  だって、夕紀子の言葉が怖かった。  大事な母と姉は俺が一番で俺には絶対に酷い事なんかしないって、そんな世界が壊れて行きそうだったから。 「どうして!!ママは頑張ったのよ!!あの女達がかっちゃんがテーマパークのアトラクションが好きだって、かっちゃんが冒険が大好きだって言うから頑張ったのよ!!どうして!!ママはかっちゃんのためだけに頑張ったのよ!!」 「母さん達が、もしかして夕紀子さんに嘘を教えた? あの頃の俺は暗い所が嫌いで、みんなが好きなテーマパークだって怖いからって行かなかったのに、そういところこそ好きだって教えていた? 俺が夕紀子さんを嫌がるように仕向けた?」  そうだ、母と姉は時々極悪だった。  俺のことになると、かなりひどい人間になれた。 「わかるよ。それでも俺は母さんも姉さんも好きだ。でも、あの日の夕紀子さんの気持を考えると、俺はいたたまれない」  絵本の中の冒険は、押し入れの中から始まる。  今日こそ夕紀子さんが俺に望んだとおりに、夕紀子さんが作った隠し部屋を探し出してあげよう。  俺は押入れの下の段に入って、奥の壁をとんとん叩く。  どこだったっけ。  真四角にカパっと開いて、そこを通ると階段下のスペースに入り込めるという、夕紀子が作った秘密の部屋。 「急にブツブツ言ったと思ったら押入れ入って、何やってんの?」  甲斐の声がかかった。 「いえ、この家の階段下のスペースに出れるトンネルがあったなって」  押入れの奥の俺を覗き込んでいた甲斐と外山は顔を見合わせ、そして、残念そうな顔で俺を見返した。  あれは幼い頃の夢、だった?  そういえば逃げた後の事を覚えていない。  鑑識官の外山が、畳もひっくり返して調べたと言っていたではないか。  え、じゃあ、母達が夕紀子を騙したってとこも無かった話?  俺の脳内が作り上げた嘘記憶だった? 「それだったらこっちの壁のここでしょ。そっちは庭になるから」  外山が俺のいる反対側の押入れの壁を指差して、馬鹿な子という顔で首を振っている。畜生。俺はのそのそとそっち側に這って、夕紀子がやった通りに押入れの壁を外した。  殺人が起きた家だからか、単に古い家だからか、嗅いだことも無い臭気が一斉に俺に襲い掛かった。  悪臭は、今度こそ冒険してやるぞ、という夕紀子への俺の鎮魂の思いも消し去るほどで、俺は呻きながら後ろへ尻餅をついていた。 「うう」 「うわ、開いちゃったよ」  そんな俺の呻き声を消すように、外山の驚きの声が後ろで起きた。 「やっぱりお前、手抜かりありまくりじゃねぇか」 「煩いよ。この子が開けた穴は知らなきゃ気づかない程だよ。職人技だよ」  外山は外した板と継ぎ目を見比べ、凄い凄いと、かなりの感嘆声だ。 「ごまかすなよ。それで、向こうに何が見える?」  甲斐が尋ねるが、そこは当たり前だが真っ暗だ。  俺はのそのそと、庭側だという押入れの奥に戻った。 「何やってんの? 入らないの?」 「自分、懐中電灯を持っていませんので」  いつもと違う話し方をした俺を物ともせずに、ポイっと甲斐が小さな懐中電灯を投げてよこした。  こんな穴倉に自分は入りたくないという俺の気持ちは、性格の悪い警察官には通じなかったようだ。  仕方なく懐中電灯を手に取ったが、小さすぎてスイッチの位置がよくわからないので、小さな懐中電灯を見つめながらスイッチを手探りしていたら、カチカチっと筒部分が回り、パッと電灯が点いた。 「目が、目がぁ」 「馬鹿。目に当てながら点けりゃ眩しいのは当たり前だろ。通常よりこいつは光が強いんだから。気をつけろよ、馬鹿」  甲斐は俺の落とした懐中電灯を拾って身を屈め、ああ、と嫌そうな声を上げた。あとは俺に入れと言うどころか俺を押しのけながら、ずんずんと穴倉へと進んでいった。 「お前も早く来いよ」  甲斐の低い怖い声が響いた。  仕方が無いとモゾモゾとそこに入り、俺は入った事に後悔した。  懐中電灯が照らすそこは、気味の悪い腐り玉が入った瓶二本と、口をガムテープで塞がれた中年男性の首が置いてあった。  悪臭の、理由。  目を見開いたその生首は、俺の方にギョロっと眼球を動かした。  俺はそこでブラックアウトだ。
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