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二十四 同居開始
松井との婚約は仙波によって阻止され、俺のルームシェア相手は飯島になった。
松井がサロンで「婚約者! カッチーゲット!」と叫んだら、仙波が激高してみせたのだ。
「あんたねぇ、落ち込んでいる奴転がしてどうするよ。私だって、カッチー狙ってんだからね、ここはお前が一旦引けよ」
え? 俺狙われていた? 草食だから?
「うるせぇよ。お前じゃカッチー怖がっているじゃんか。それにカッチーが寂しいって言うから誰か傍にいてやんないと何だよ」
「その寂しさに漬け込むのが卑怯だって言ってんだよ。カッチーが寂しいなら、私が泊まってやるよ。家庭料理を作ってやるよ」
マッサージルームから出てきた俺は松井と仙波の攻防にフクロウのように目を丸くして、プレーリードッグのようにうろうろするしかなかった。
「あんたが家庭料理? けっ。きっちりとグラム管理して作るのは化学実験でお料理とは言わねぇんだよ」
「お前は大匙小匙に計量カップの存在意義を全否定かよ。それ使ってレシピを発表してる料理研究家に喧嘩売ってんのかよ」
双方一歩も引かない恐ろしい様相に、俺は叫んでいた。
「比呂さん! 僕を助けて!」
飯島はガタっと立ち上がり、女優のような顔をニンマリして、太いカッコイイ声で俺の期待以上に応えてくれた。
「俺が今日からカッチーと住むから」
彼のその男らしい声と威圧感に俺は薮蛇を踏んだかもと呆然とし、松井と仙波はチっと大きく舌打をして、それぞれの部屋に消えていった。
ドアが壊れるほどのバタンという音を、双方同時に立てながら、だ。
「嫌になったらすぐに言うのよ。すぐに出て行くからね」
飯島は俺のマンションについて荷物を解くことなく、何度も俺に大丈夫の確認を繰り返した。
そんなに気になるのならと、「帰れば?」と言いそうになる現代っ子の自分がいて、なんだか返したくないと思う自分もいた。
今夜は二人で比呂の部屋から荷物を抱えて、ピザを取って一緒に食べ、そして、今だ。
飯島は狭い四畳半の賃貸に住んでいた。
その部屋は俺の今の部屋よりも何も無い部屋だった。
そのせいか、寛いだ今の彼を帰すのは忍びないし、そして、一人じゃない今に俺はなんとなくホッとしているのだ。
家族がいる時は一人暮らしがしたかったけれど、誰もいなくなったら一人暮らしは辛いものなんだね。
「比呂さん、今夜は俺の部屋で寝て、明日俺が母の荷物を片しますからそこを使ってください」
「寝るだけだったら、このソファでいいよ。あぐりちゃんが帰ってくるでしょ」
俺はなんとなく母が帰ってこないと確信していた自分に気づいた。
そのままの部屋に母が帰って来ないことを嘆くより、私はどこで寝るのよと、俺は母に怒られたい。
「じゃあ、俺の部屋をずっと使ってください。俺が母さんの部屋をこれから使います。今夜は俺の荷物があって申し訳ないですが、明日片付けますから」
ほとんど空っぽの俺の部屋。
漫画もCDも売れるものは全部売った。
今部屋にあるのはノートパソコンとパイプベッドと教科書。
それに黒のリクルートスーツ一着と数枚の服。
ブランドのタグが付いていたものは全部売った。
いや、飯島が買ってくれたシャツはブランド品だったから一枚だけはある、が正しい。
俺はそれらの数枚の服をローテーションして着ているだけなのだ。
今が夏でよかった。
すぐに乾くしTシャツにシャツを羽織るだけで何とかいける。
「あの馬鹿野郎」
俺の部屋に一歩入った途端に、飯島が聞いた事も無い低い声で呟いたのに驚いた。
「どうしました?」
ガっという感じで振り向いた飯島の目からは、もしかしたら人殺しの光線が出るんじゃないかという恐ろしさだ。
「あの甲斐がカッチーの口座を凍結してのこの部屋だろ。お前の部屋が空っぽじゃないか」
彼は怒鳴りながら俺の部屋のクローゼットや引き出しを開けては、なんだよ、これはと、俺が脅える程の怒声を響かせている。
俺は豹変している飯島に、頭をカクカクして同意するのが精一杯だ。
「大事なもの、買い戻せるのは俺が買い直してやるから。あぐりには世話になったんだ、それくらい恩返しだから言いなさい。明日は服を買いに行くよ。畜生、あの日にもっと買ってやれば良かった」
俺は飯島の優しさに嬉しくなって、彼を宥めたい一心で空っぽの棚の方を指した。
「あれ、母さんに追い出された父さんの買ってくれた縫いぐるみです。服屋で俺が抱きしめて離さないからって、服を買わずにあれを買って来たって母さんが言ってました。大事なのは売ってないから大丈夫ですよ」
大学の教科書関係しか入っていない空っぽの棚の天辺に、ちょこんと熊の縫いぐるみが寝転んでいる。
白いTシャツにデニムのオーバーオールを着ている茶色の熊だ。
タオル地のような生地で抱き心地がよく、座らないので転がるしかないが、フランケンが戻ってきたからフランケンが熊の枕になっている。
「フランケンも、父さんが夜店で買ってくれた金魚だし」
熊と金魚から飯島に目線を遷したら、飯島が座り込んで口を押さえて泣いていた。
「泣かないで下さい。俺は大丈夫ですから」
飯島を宥めながら俺は優しい彼の背中を抱いて、そしていつの間にか俺は彼の温かい背中に顔をつけて泣いていた。
大きな、それほど大きくは無いが、彼の背中はとても安心できて俺は寂しいと泣けたのだ。
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