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二十七 とにかくお前はここにいろ
車のトランクが持ち上がるや清々しい空気が入り込んで来た。
後ろ手に縛られた俺はこれで終わりだと体中の力を抜いた。
ところが、男は俺を殺すどころか目隠しを取って猿轡をずらしてくれた。
目隠しが取り去らわれて視界を取り戻せたと喜ぶよりも、長い時間真っ暗なトランクに閉じ込められていたからか、急に瞼に差し込む明りに目が痛いと瞼をぎゅうっと閉じた。
俺の頬に大きな手が添えられ、俺は反射的にびくりと体を震わせた。
「何を脅えてんだ。ほら、腕の縄を解くから少し動け」
「あれ? どうして?」
何とか目を開けて見れば、誘拐犯が甲斐に変身していた。
「あ、スーツ姿のもろヤクザになってる」
「うるせえな。ほら、出るぞ」
彼は俺を抱き上げる感じで上半身を起こしてくれ、俺は彼の大きな手になすがままに身を起こしてトランクから出ようと足を地面に下ろしたが、俺の足は力を込める事も出来ないこんにゃくみたいになってふにゃんと崩れ落ちた。
ただのこんにゃくなら構わない。
発電機状態のびりびりした感覚を持ったこんにゃく足になっていたのだ。
「うお!」
俺は地面に転がり、電気ウナギのようになって痛みに地面でうねるしかない。
「い、いいい、いたい。うう。いたいいたい」
「ああ、そうか。一時間は同じ姿勢だったか」
面倒そうに甲斐は呟くと、彼は俺を引き上げたのちに抱き上げた。
「痛い! いたいです! 降ろして! 足が痛い!」
親切にお姫様抱っこにしてくれているが、足にこそ触らないでくれ! って、この抱き方こそ嫌がらせかよ!
「いたいよ! 普通におんぶにして! あるいは俵抱きでもいいから! 足がびりびりする!」
「うるせえよ。我慢しろ。そして、ここは敵地だ。黙れ」
俺は口を閉じると甲斐の両肩に両腕でしがみ付いた。
少しでも彼の腕に脚が触れないように自分の身体を持ち上げるようにしたのだ。
歩けない自分が敵地に置いてきぼりにされたら敵わない。
けれど、以前にも俺はこんなことをしたような覚えがあった。
背中に回された腕は力強く、押し付けられた広くて硬い胸板には安心感しかない。
お父さん?
でも、最近のような。
「甲斐さん。なんかデシャブ感じるのですけど。あ、この間全裸にされた時ですか? あの日もお姫様抱っこしてくれたのですか。ねえ、ねえ」
甲斐は珍しく煩いとも言わず、俺を抱いたままサクサクと歩いていくだけだ。
「あれ、どうしたのですか? どこに行くのですか?」
「前見りゃいいだろ。真ん前に木造の廃校舎があるだろうが」
振り向けば、緑の中に映画の一場面のような木造の校舎が立っていた。
俺は振り向いていた首を元に戻した。俺が乗せられていたパトカーが止まっているのは小さなグランドの真ん中だった。そしてそのパトカーの運転手は、俺の視線に気が付いたように運転席から右手を出してひらっと蝶々のように指先を動かすと、挨拶はすんだという風に土埃を上げて走り出して行った。
「何だったの? あの人は何者? 神奈川県警のパトカーでしたよね。本物?」
「……説明が面倒だから後で話す。もう歩けるだろ?」
俺は甲斐に下に下ろされ、そのまま彼に手を掴まれたまま校舎内に連れていかれた。俺は彼に手を繋がれながら小さな子供になったような気にもなり、甲斐と一緒ならば大丈夫なのだろうという安心感も芽生えて来た。
だが、甲斐は甲斐だ。
階段を上がってすぐに小部屋があり、それが空き室で内カギがあると確認するや俺をそこに突き飛ばしたのだ。
「俺はまだやることがあるからな。そこでお利口さんにしていろ。鍵も閉めておけ」
「ええ、と。ええ?」
引き戸はガラっと音を立てて閉まり、俺は取りあえず言われた通りに内カギをかけた。
閉じ込められた部屋は教室とするには小さすぎる部屋で、どこぞの準備室だったのかもしれないが、窓もあり、そこから入る明るい日差しにほっとしていた。
いや、本当は閉じ込められたここでほっとしていてはいけないのだろうけれど、俺はこの非日常過ぎる出来事で再び感覚が麻痺してしまったかもしれない。
俺は部屋の隅っこで体育座りをすると、膝に頭を突っ伏した。
待つしか無いのは辛いものだ。
待ったって帰ってくる人は誰もいなかったじゃないか。
それに、敵地と言いながらもこんな簡単に開く様な内カギしか無い部屋で待てとは、敵地だからこそ危険極まりない俺の放置なのではないのだろうか。
これこそ、俺を試す実験?
「口座を止めた時みたいに、また俺を試しているんじゃないよね」
声に出して言葉にしたら、それが真実だったような気がしてきた。
「大体、どこに連れ去られたか知らないのに、ここに都合よく現れること自体おかしいよね。実は死人とかみんな嘘で、母さんや俺の財産狙いだったとか? 浜野さん一家や夕紀子さんの死亡が偶然で、あの家と土地を俺が遺産相続するからって、奪おうとか、計画?」
「あの程度の物件にこの仕込みじゃ、コストが掛かりすぎるだろーが、馬鹿。開けろ」
くどくど独り言を呟いていたら、待ち焦がれた声がかかった。
俺は急いで内カギを開けて甲斐を出迎えたが、彼は先ほどまでのスーツ姿ではなく、いつものカーゴパンツにTシャツ姿だった。いつもと違う点は、腰には警官が腰から下げている白い腰縄が、ベルトに通したカラビナで、飾りのように数束がぶらぶらとぶら下がっているところだろうか。
「だって、どうして都合よく俺を助けられたんですか? その早着替えだって」
「早着替えって、何を言ってんだ、このばあか。いいか? この間の生首君の身元からここの場所を特定できて、俺達が張っている所にお馬鹿なお前の拉致が目の前で起こったから救助したってだけだよ。このど阿呆」
生首から芋づる式に卸元の色々が判明し、この本拠地を警察が強襲しようと待ち構えていたその当日のその決行目前で俺の誘拐を報告され、誘拐犯の向かう方角が甲斐達が潜むこのアジト近辺だったため、先に誘拐犯を対処したのだそうだ。
「もう、いい迷惑」
「すいませんでした」
素直に謝るしかない。
「いざって時によっちゃんの携帯にお前の馬鹿メールが届いて大笑いよ。ありがとう外山さん、ハート、僕はママの所に行くでちゅ」
「酷いですよ」
「いいからもう行くぞ。大丈夫だな」
「事件は解決したのですか?」
「胸糞悪いのは片付けた。そっちは外山達が全部処理している。後は俺の仕事」
「胸糞悪いの?」
「事件には被害者がいるものだろ。そっちの生きた人間が外山達の仕事ってだけ。言っただろ、命令系統は一緒でも、俺は違うって話」
甲斐は俺の右腕を左腕で掴むと、そのまま階下に降りていき、さらにズンズンと校舎の廊下を歩いて行くが、そんな彼の左手首には布のガムテープが腕輪のように嵌っている。
日常の様で非日常の世界。
歩きながら思った。
ここは明るいのに何の音もしない所だと。
俺たちのズンズンとした足音しか響かない死の世界。
この世であってこの世で無いみたいな、夕紀子の愛して追い求めたパラドクスな世界そのものだ。
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