三十六 葬式は重なる

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三十六 葬式は重なる

 俺が病院で動けない間に父比呂が全てを手配しておいてくれ、姉の葬儀は俺の退院と共に執り行われた。棺の中には美しい美奈子が眠っている。  比呂が手配してくれたエンバーミングの技術を持つ葬儀屋のお陰で、美奈子は生前の美しさを取り戻せた。  俺は記憶の中のいつも美しい姉で彼女を見送ることができたのだ。 「父さん、ありがとう。美奈が、姉さんが美しい姿に戻ったよ。痛いって、苦しいって、姉さんはずっと言っていたから。もう痛そうじゃない」  白い花を敷き詰められて白いドレスを着せられた姉は、長くてふさふさの睫毛を伏せて転寝をしているかのようだ。  血の気を喪った肌は白く、艶やかな髪は漆黒で、彼女は棺の中の白雪姫そのものといえる姿であった。  俺が憧れて愛した人だ。  横に立つ比呂がギュッと俺の肩を抱いた。 「大丈夫か? この子はお前の事を本当に大事に愛していたよね。何度も何度も克哉に近付くなって、奪ったら許さないって凄まれたよ。奪わないのに。私だって美奈の事も娘として愛していたのに」 「姉さんは、父さんと話すなって、俺をよく叱っていました。父さんを忘れないと俺の事を嫌いになるって脅して」  そうだ。  父親を求めて泣く俺を彼女がそう言って叱ったから、俺は比呂を忘れようとしたのだ。美奈子に嫌われたくなくて、そして、美奈子の言葉を信じたくて。 「それと、姉さんは、追いかけると逃げるから忘れるんだって。そうしたら辛くて後悔して帰ってくるものだって言っていました。姉さんはお父さんの所に行ったら新しい女の人がいて追い出されたからって。俺は、ハハ、姉さんの本当のお父さんの話と父さんの事がごっちゃになっていたみたいだ」  美奈子は比呂が帰ってくる事も望んでいたのだ。  だが、そんな事を知らせてしまったせいで、比呂が完全に俺よりも泣き崩れていた。俺の肩に腕を回して、頭を俺の肩に押し付けての大泣きだ。 そして俺も腕を比呂に回して、肩にある彼の頭に自分の頭をくっ付けるようにしての大泣きをして、俺達親子は情けなく美奈子を見送ったのだった。  俺はその後、水戸井家の複雑な家庭の事情を全て知った。  まず母あぐりは高瀬啓一と結婚するが、美奈子が五つになる頃に啓一の浮気と嫁姑問題から高瀬家を飛び出して水戸井姓に戻りシングルマザーとなる。  そして俺の父、比呂は高校に入学してすぐに上級生の夕紀子に誘われるまま子作りして、結果として俺が生まれた。  離婚後に路頭に迷いつつあった母あぐりは、俺を養子にする代わりにと母方の親族の資産家の浜野家からあのマンションと、生活費の援助を貰う。  俺がマンションを売ろうとして知った、俺が成人するまでマンションが売れない条項付きだったのは、浜野家が俺の身の上を案じての事だったのだろう。  彼らは彼らなりに孫の俺を愛してはいたようである。  また、姉が夫の高瀬守と出会ったのは、実の父親の七回忌の知らせの時だろうと比呂は語った。 「守君は亡くなった彼女の父親によく似ていたよ。外見も性格も」  俺は高瀬の美男子ぶりに嫉妬した事を思い出した。  彼は長身でスポーツマンの体格をした、格好のいい男であったのだ。  百七十程度の標準身長の俺の出る幕は無い。  そして、比呂。  彼は十八になり高校を卒業すると子供会いたさにあぐりを突撃し、あぐりは比呂の美しさに結婚を彼に要求した。  そうして彼は俺の父親に返り咲いたが、もともとの草食動物だ。  数年後に母の親友に喰われて母と離婚と相成ったとそういうわけだ。  彼は女に喰われて再び人生を失敗しないようにと、外ではおねえの姿なのだそうだ。 「早苗と住みたくなくて女性服着たりしたら捨ててくれてね。それ以来、これだ! って。養子にしてくれた飯島さんはあぐりちゃんみたいに優しくて大好きだったよ」 「母さんは優しかったの?」 「うん。克哉の側にいたいって言ったら結婚してくれた。彼女は優しくて俺は彼女の大きな息子みたいなものだったよ」 「え、じゃぁ籍だけで夫婦生活は無かったの? 飯島さんとも?」  比呂は俺から目を逸らした。  俺は彼の語る身の上に「情けない」と思いながらも、同族相憐れむで、自分のこれからの人生を見るようで彼を責められない自分がいた、と思い出す。  だって、俺は流されて男同士のキスに耽溺しているくらいだ。  でも、だって、いや、あの、気持ちもいいし。  いや、ちょっと待てだ。  俺は頭を振ると、店の片づけに集中することにした。  客が引けた昼下がり、次の客の為にそこかしこを清拭してしまわねば! 「働き者だね」 「俺にはこんな事しか出来ませんから。貯金に手を付けないで食っていけるようになったのは、ひとえに松井さんと仙波さんのお陰ですね」 「あれ、比呂は資産家でしょうが。カッチーはそんなに気負わなくていいでしょう」  松井の言葉に、比呂の荷物を一緒に取りに行った四畳半のアパートの部屋を思い出した。 「え、貧乏でしょ。住んでいた所は四畳半のアパートだったよ。ねぇ、比呂さん」  俺は家では彼を「父さん」と呼び、外では「比呂さん」と呼んでいる。比呂がおねえ姿の自分を「父さん」と呼ぶ俺が、いたたまれなくて辛いと泣くからだ。  この人は乙女のように泣く。  時々ウザいと感じる自分は、今のところ内緒だ。  俺に話を振られた比呂は俺の顔をじっと見て、そして俯いて、ごめん、と呟いた。 「飯島は資産家の養子になったから資産家なんだよ」  仙波が松井の言葉の後押しをした。 「あの部屋は? あの、すっごく貧乏くさい四畳半のアパートは?」 「――お金持ちだと知られたら克哉の家に行けないと思って、所有する物件の一つに部下に荷物を運ばせた」  この姑息さは俺の父親だろうと、心の底から俺は彼との血の繋がりを確信した。  仙波が言うには、この美しい顔で資産家がたぶらかされた模様だ。  離婚後金満な高齢女性の養子になった彼は、不労所得で暮らせる身だからこそネイリストとして修行してその業界で名を馳せ、ネイリストの養成学校まで作り、そして彼目当てに俺の店に客が来ているということらしい。 「良い親父だよね。お前の店が繁盛しなくても比呂のショバ代で店は回るからさ。おまけにマッサージオイルや化粧品などの消耗品を寄付してくれたのも比呂だしね」  松井の言葉に彼女は比呂が俺の父親だと知っていたのだと気づき、いつから知っていたのかと尋ねたら、彼女は言うに及ばず仙波まで腹を抱えて笑い出した。 「最初からだよ。お前等顔がそっくりじゃんか」  ギャハハと笑う松井に、仙波も俺に追撃をかけた。 「飯島が泣くのを知っていて父親話を繰り返すから、私はお前が凄い性格悪い奴だと期待していたが、ただの天然だったのかよ。お前にはがっかりだよ」  俺は仙波の言葉に姉の葬式の最中に思い出した事を話した。 「姉さんがね、父さんの事全部忘れてしまわないと俺を嫌うって叱ったからさ、俺は一生懸命忘れちゃったんだよね。姉さんはそうやって俺を慰めてくれたんだよね。俺は時々なんて底意地の悪い女だと思っていたけど、俺には凄く優しくてさ」  バンっと仙波が俺の頭を強くたたいた。 「痛いです」 「底意地の悪い女が好きなら、喜んで私がこれから姉さんの代わりになってやるよ。お前は今日から私の弟だ。そんな感じで私の男になれ。私を姉さんと呼んでも良いぞ。」  俺は仙波の気遣いに感謝するべきか、ケツをまくって逃げるべきか判断に困って頭の中が真っ白だ。 「弱ってる奴利用するなって、あたしの婚約話を潰しといてなんだよそれ。あたしの方がこいつの姉に近い歳なんだから、あたしが姉さんだね!」 「私とたった一歳違いだろうが!」 「二十代の一歳はデカいんだよ」  松井と仙波の攻防に俺は仙波に叩かれた頭を押さえながら、父の身の上に思いを寄せた。  こんなん? こんな感じで父さんは次々年上に喰われていたの? ちょっと、これ勘弁よ!  父親に目線で助けを求めたら、彼が父権を放棄して顔を背けていたことを知った。  助けてくれないの? 弱いよ、弱すぎだよ! 「お前等、外まで聞こえる声で恥ずかしい内容がなるのやめろよ」  甲斐が店内に入ってきた。いつもと違う黒スーツ姿だ。  オールバックにセットした髪形に、黒シャツにノーネクタイという出で立ちの彼は、似合い過ぎて物凄くアンタッチャブルな人にしか見えなかったが、アメリカの禁酒法時代ぐらいの男性みたいでカッコいいとも思ってしまった。  俺の眼つきが気になったのか、彼は傘を畳んでも傘立てに立てずに、声をかけたそこから動かずに俺をじっと見ていた。 「か、カッコいいって見ちゃダメですか!」  甲斐はぎゅうと目を瞑って天井を仰ぎ見て、それから俺に目線を戻した。 「ええと。なんですか? すいません」 「――。水戸井、お前の母さんの移送が決まった」
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