四十 美奈子

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四十 美奈子

「止めて! 何をしようとしているの! 守さん、お願いだから止めてよ!」  自分を守るはずの夫に押さえつけられた美奈子は、起きている出来事に対して必死に抵抗して懇願していた。  夕紀子は美奈子の絶望こそ引き起こしたかったのか、これから何が起きるのかを事細かに美奈子に説明していたからである。  美奈子はそれに対して逃げようとしたが、そこで夫である高瀬に羽交い絞めされて床に押し付けられたのである。美奈子は少しでも注射針を持つ夕紀子を自分に近付かせないようにとに、出来うる限り足を大きくばたつかせていた。 「やめて! やめてよ! これは私達の子供でしょう。どうしたの? 借金なんか、破産して一からやり直せばいいじゃない! 克哉だって頑張っているでしょう」  バシ!  高瀬は空いた手で妻の顔を強く叩いた。 「克哉、克哉って、お前はそればかりだ。その腹のガキだって俺の子供じゃないだろう。あの血のつながらないガキの子供じゃないのか? 俺達は避妊していたじゃないか」  高瀬の台詞に頭に血が上ったか、美奈子は顔の側の高瀬の腕に噛み付いた。  咄嗟に手を離した高瀬の手から美奈は逃げ出すと、部屋の外へと飛び出そうと大きく動いた。  ガンっと鈍い音が部屋に響いた。  夕紀子の手にはフライパンが握られていた。  殴られた美奈子の顔は皮が剥け、血まみれとなってドクドクと血を流し、仰臥した体の手足はビクビクと痙攣している。 「おい、死んだらどうするつもりだ?」 「死んだら捨てればいいでしょう。そこの死体と一緒に」  美奈子の警護用の警察官を自宅に招き入れたのは高瀬だ。  そして彼らを殺したのは夕紀子だった。  頭の悪い使えない男に一瞥も与えず、夕紀子は倒れた美奈子のワンピースを美奈子の顔にかかるぐらいに捲し上げた。  大きく硬く膨らんだ腹は、青黒い血管が幾重にも浮き出していた。 「こんなに醜い体になっちゃって。私もこんなに醜くなってまで生んだのに、お前達が全部奪ってしまったのよね」  夕紀子は再び注射器を構えると、憎しみを込めてブスッと美奈子の大きな腹に突き刺した。 「さぁ、タライを。これからザクロが彼女の股から出てくるわよ。何やっているの! タライを早くって!」  夕紀子の叫びに高瀬は風呂場に盥を取りに走るが、夕紀子は美奈子の腹に起きた異常に気が付き始めていた。  ザクロが出てくる気配が一向にないのだ。  美奈子の腹をそっと触ると、形のある赤子の足を感じ、そっと押してみると、その小さな足に押し返された。 「赤ちゃん、あら、あなたはザクロにならなかったのね」  夕紀子はキッチンに戻り、棚を開けると文化包丁を取り出した。 「その包丁で何をしようとしているんだよ!」  盥を持った高瀬の目の前で、夕紀子は美奈子の腹を掻っ捌いた。 とてもとても丁寧に、ぜったいに子宮を傷つけないように。  丁寧に切り裂いて中から出たものは、子宮の中で眠り動くという、不老不死となった永遠の赤ん坊だ。  そして目の前の夕紀子による惨劇の異常さに嘔吐し始めた高瀬を放って、彼女はもう一度包丁の刃を閃かせた。 「引き出した胎児を自分の腹に子宮ごと入れてしまうとはね」  口にするのも汚れてしまいそうだという顔で、甲斐が吐き捨てた。  けれど幸福感の溢れる表情の夕紀子は意に介さない。  美奈子は腹を裂かれて息絶えた。  高瀬家の隣が美奈子の最期の「叫び声」でようやく通報し、近辺をパトロールしていた警察は、美奈子の警護を指示されていたが為に駆けつけるのは早かった。  警察が来る気配に慌てた高瀬は、車の後部座席に美奈子の死体を乗せて海に向かったが、後部座席の死者だった美奈子が目覚めて起き上がり、完全に恐慌に陥った高瀬が車を暴走させて海に車ごと落ちたのだ。  警察は高瀬の部屋の同僚の死体と車の事故に大慌てとなり、本星である夕紀子を逃がしてしまったが、夕紀子は東京に辿り着く直前で甲斐に捕らえられた。  捕らえられた夕紀子は、あぐりの語った通りに数人の顧客に人喰いを教えたと告白し、美奈子の子供を腹に抱えている限り自分は不老不死になったのだと笑った。 「だから、もう私のザクロはいらない。見つけたらあげる。特別顧客リストは最初のお店のレジスター。無理矢理開けると台無しになるから気をつけてね」  死人達が夕紀子の腐れ玉を摂取した者を尋常じゃない殺し方をするのを目の当たりにした事で、外山と甲斐は夕紀子の腐れ玉探しに躍起になっていたのである。  顧客リストの在り処を聞いた甲斐は、それで監視対象の水戸井を監視から捜査対象に変更し、そして水戸井を死にかけさせてようやく彼を捜査協力者に加える事にしたのだ。  甲斐は目の前の妊婦に、先程の質問の答えを迫った。 「それでお前はどうなんだって。こんなところに永遠に閉じ込められて嬉しいか? 大人しく死んでいた方が良かったんじゃないか? なぁ、美奈子」  美奈子と呼ばれた夕紀子は、フフフっと幸せそうに微笑んだ。
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