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王子様が来た!
俺は数日ほとんど寝ていない。
母の葬儀で辛かったわけではない。
俺と母はちゃんとお別れが出来たのだから、そこで俺は散々に母に縋って泣きわめく事が出来たのだから、葬式は俺には母をこの世から解放するための儀式でしか無かったために辛くは感じなかった。
逆に葬式が良い式だったと俺は思ったほどだ。
それは俺の思う通りに父が全てを執り行ってくれたからなのだろう。
そんな葬式を体験したことで、葬式は残されたものの気持ちを慰める行為そのものだという事が身に染みてよくわかった。
俺が望む形で母を見送れたことで、母の死に俺の心が区切りをつけたのだ。
では、俺は何を思い悩んでいるのか。
半月後に学校が始まることか?
俺は自分に違うでしょうと突っ込みを入れた。
あの日のあの別れで、甲斐は俺を完全に見限ったらしいのだ。
メールの返信も無く、電話だって彼からかかって来ないし、俺が架けても出てもくれない。
真夜中に彼の家のベルを鳴らしてみたが、彼が家に戻っている気配も全くなかったのである。
目を瞑ればあの日の冷たい目線の甲斐の顔で、俺はあの目を思い出すたびに自分の身の内が凍えてしまうどころか、涙が出てしまう、という恋する乙女のようになってしまってもいるのだ。
やばいよ。
俺の中の姉さんへの思慕や、母さんを失った絶望さえも、あいつのことを考える事で忘れてしまう一瞬があるという不甲斐なさ。
俺はどうなってしまったのか。
自分自身にこそ脅えている俺は、俺よりも甲斐の事情を知っている筈の女性に声をかけた。恥も外聞も拘っている場合ではない。
「ねえ、松井さん。甲斐さんと松井さんは連絡を取っていますか? 甲斐さんから何か聞いていませんか?」
俺の店は俺がオーナーのままだが、実質飯島が経営についてすべて執り行ってくれており、松井は正式に雇われ店長になっている。
ハハハ、俺の役割は「お茶くみをするお子様店長」でしかなかったようだ。
結局の俺は看板犬や看板猫に近い扱いでしたかと、名ばかりオーナーとして心に一抹の悲しさも湧いている。俺の知らない所でというか、最初からこの店はそのように経営されていたのである。
どうりで店の存続の話になった時に、甲斐は俺ではなく飯島に「いいだろ」と尋ねていたわけだ。
「どうしたの? カッチー。またあの親父に何かされた?」
「ななな、何もされていないです! 何を言っているのですか!」
「いやー、だってあいつ助平親父じゃん」
「え、ちょっと、ちょっと! 松井さんも甲斐さんと何かしたの!」
「も、って、何? も、って。あんたこそなんかしたの?」
「いやあ! してないって!」
俺は恥も外聞も結局は手放せなかったようだ。
俺は顔を火が出そうなほどに真っ赤にして、それでも甲斐としたいけないことを松井に知られてはいけないとぶんぶんと両手を振って必死に誤魔化していた。
あの日別れ際に甲斐にされた事で、俺は思い出す度に胸がズキンと痛くなるという事態に陥っている上に、あそこがきゅんと痛くなったりもしているのだ。
あそこって?
あそこだよ!
弄っちゃうと大きくなって、痛くも気持ちよくなるあそこだよ!
「何を真っ赤になっているのよ。なんかカッチーってさ、昔の男だよね」
え? っと思って松井を見返せば、彼女はボタンを嵌め直していた。
あ、またブラを見せつけていたのか、それも白いブラを!
ぜんぜん気が付かなかった。
しかし、昔の男という例えは気に入った。
昔気質の真っ当な男というイメージが湧くではないか。
「松井さんって、本当に俺の事よく見てくれているよね」
「だろ? あんたはチラリズムの男だもんな。ズバリなおっぱいやお尻に発情しないくせに、パンツが見える見えないに拘る昔の男って感じ」
「ひどい! 松井さんは俺の事ぜんぜんわかっていない!」
「わお! 水戸井くんはかくれんぼエッチな子だったんだ!」
俺は後ろで起こった素っ頓狂な声に振り向き、そこで腰が砕けそうになった。
俺を誘拐した事のある王子様が笑顔で立っていた。
どうして王子様と表現してしまったのかは、彼の華々しい外見とオーラで、強制的に俺の脳内に、こいつは王子様だよ! という信号が走ったという事だ。
「わああ、すっごく綺麗な子じゃないの。カッチーのお友達?」
山口巡査、だよね? は、うふっと華麗に松井に微笑むと、俺の肩に腕を回した。
「そうでーす。山口淳平と言います。ねえ、一緒にこの間ドライブしたんだよね? またする? それとも、ちょっと二人で食事はどうかな?」
またする? って、誘拐をまたするって事ですか!!
俺は食事の意味も怖い意味かと、おどおどと山口を上目遣いで見上げたら、彼は見たことのある割引チラシをぺらぺらと俺の目の前で振っていた。
「タイ料理は好きかな? 僕はガイヤーンが食べたい」
「行きます。僕もそこのお店は大好きです! 空心菜炒めは最高です!」
山口は再びうふっと笑い、松井にウィンクまでした。
「ちょっとオーナーちゃんを借りていくね。君は何が好きかな? あそこは持ち帰りが出来るからね、君へのおみやげも買ってくるよ。だから、いいかな?」
「良くってよ。生春巻きとパッタイを買ってきてくれるなら」
「了解しました! では、お許しも出たし、行こうか?」
俺は誘拐犯だった神奈川県警の公安? の人に肩を抱かれ、近所のタイ料理屋へと連れ込まれる事になった。
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