待つ者がいない部屋

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待つ者がいない部屋

 公安仕事どころか、警察仕事の柵として、捜査の情報漏洩を防ぐ目的で家族にさえも連絡どころか居場所も伝えられない時など当り前の事である。  俺は拘束から解放され、そして、電源を落としていたプライベート用の携帯の電源を入れたそこで、忘れていたことによる後悔に押し寄せられた。  飼っていた犬の存在を忘れていた、という人の感覚に近いかもしれない。  いや、ハムスターにしておこう。  餌やりを忘れてしまったがために餓死してしまったペットという想像は、イメージを犬にしたら辛すぎる。 ――甲斐さんには俺は何てことは無いのかもしれませんが、俺は甲斐さんが何てことがありすぎます。無事だという事だけでも教えてください。  二週間前のメールであり、俺はそれを読んで、しまったと膝をついたのだ。  あいつが俺を待っているだろう事は想像するまでもない。  情けない事にそのメールを読んだ時に、俺はいつでも水戸井が仔犬のようにして俺を待っている事を信じて疑わなかった自分がいたことに気が付いたのだ。  つまり、女房が生きていた時にも女房にしていたと同じ行動、俺が仕事で消えてしまっても戻った時には笑顔で俺を受け入れるだろうという傲慢だ。  しかし水戸井は俺の愛人でも恋人でも、俺を愛してさえもいない、という、なんて形容していいのか分からない関係だ。  濃密のようで希薄。  キスなどという肉体的接触をしてしまったのに、心理的に近づいてもいない関係であり、友人とも呼べない他人でしかない関係だ。  事件があり、俺とあいつが繋がっただけだった。  それでもあいつは俺を求めたのに、あの日の俺は妻と心中するつもりだったからか、この世の名残と言わんばかりのキスを水戸井に与え、そして、彼を拒絶して彼の前から去ったのである。  それでまだ俺が生きているのは、結局死ねないどころか、妻を死人である存在から解放してやることも出来なかった、という体たらくな男だからだ。 「俺はどうしたらいいんだろうな」  水戸井に何てメールを打てばよいのかわからず、しかし、何度も見ていた彼の泣き顔が頭から離れず、俺は直接に彼に会うべきだと彼の部屋のドアを開けた。  俺には超法規的手段で手に入れた彼の部屋の合鍵がある。  あぐりから受け取っていただけのものであるが。 「え? 嘘? 空じゃないの。どうしちゃったの?」  俺はがらんどうになった水戸井の部屋を見回していた。  家具も一つも残っていない、彼という存在が何も無いという、完全なる空き家。  俺はそこで飯島という水戸井の父親の顔を思い出した。  あいつの息子への執着は凄まじく、俺と水戸井の関係に気が付いたならば俺を殺して山に埋めるぐらいの行動は起こしそうなほどなのだ。
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