五 家の本当の事情

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五 家の本当の事情

 俺の店から見つかった気味の悪い肉片ボトルと、レジから見つかったコピー用紙と鍵は、外山が警察に持ち帰った。  そして、泣きつかれて動く事もままならない俺は自宅マンションに甲斐によって連れ帰られ、甲斐の部屋に放り込まれた。  甲斐の部屋にはエアコンが稼動しているからだ。  甲斐による超法規的手段により凍結された俺の口座は解除されたので、ようやく現金を手にした俺はコンビニで未納料金を支払ったが、止められた電気は明日にならないと使えないようだ。  公共料金の支払いのやり方自体俺は三ヶ月前まで知らなかったのだから、甲斐の言うままに、うんうんと頷いて言うことを聞くしかない。  彼は勝手に俺の部屋に入り俺の洗濯機内の服を持ってくると、彼の部屋の洗濯機で洗い、再び俺の部屋に持って行きベランダに干してくれた。俺はその間彼のリビングでソファとテーブルの間に転がってぐずぐずしていた。体も思考も動かないのだから仕方が無い。 「何でソファに転がらないんだ? 別に構わないぞ?」 「この隙間が落ち着くんです」 「猫かよ」 「姉さんみたいなセリ、……そうだ、姉さん!!どうして俺は姉さんの捜索に行っちゃいけないんですか!!」 「お前は一応被疑者の状態だからな。嫌疑が晴れるまで此処を動くな。お前の姉達はそこの警察が一生懸命捜索しているからちゃんと見つかるよ。逆にわめく親族が来たら捜索の邪魔なんだよ」  酷い物言いだが、俺は納得するしかなかった。  行ったとしても実際何も出来ない。 「母さんは姉さんの事を知っていますか?」  甲斐は首を振った。 「リハビリ中に聞かされたら気力を失うだろ」 「そうですね」  健康体の俺でさえ気力を失っているのだ。 「すいません。あの、何が起きたのだけでも教えて下さいませんか?」  甲斐は俺の目の前にコンビニ弁当を置きながら語り出した。  ほんの概要、母が警察で語ったことだけだ。  俺の母、水戸井あぐりは破産の危機に陥っていた。  売れる店舗や特許、高額の機械等の売れるものは売り飛ばして、自宅マンションも売り払い、息子と共に息子名義のマンションに住み替えた。 「此処まではお前の知っている出来事だ。事態が変わったのは一度会社を辞めた夕紀子があぐりの危機を聞いて尋ねてきた日からだそうだ。」 「夕紀子さんが辞めていたのは知りませんでした。半年前までまでちょくちょく顔を出していましたし、近くまで来たからって、彼女一人で家に遊びに来たりしていたから、俺はてっきり」  不思議がりながらもパキンと割り箸を割った。「食事」が出来るのは何日ぶりだろう。 「お前の話を聞いて、そこに俺も、え? って思ったよ。まぁ、お前の母さんの説明を話すから質問はそれからだ」  破産寸前のあぐりの持つ店舗は自由が丘だけになっていた。  銀座と新宿は一番最初に手放した。  三軒茶屋の最初の店舗だけは、店は閉めたが息子の名前で残してある。全部失ったらそこからもう一度始めようと考えていた。  そこに夕紀子の登場である。  彼女はあぐりが銀座を本店に変えた二年後に、あぐりを裏切り店をやめていた。 「久しぶり。どうして相談してくれなかったの?」  十年近く前に喧嘩別れした従妹は、自分と違いいつも若々しく華やかなままだ。親友といい、従妹といい、喧嘩別れしてばっかりな自分を情けないとあぐりは従妹の美貌を前に心の中で自嘲した。 「昔さ、あぐり姉さんのお金を持ち逃げしちゃったお詫びにね、いいものを持って来たの。人の来ない所で、いいかな?」  待合室には客も誰も居ないが、ここでは駄目だという夕紀子のために、あぐりは受付の席を立ち、夕紀子を連れてマッサージルームへと入った。 「うん、ここならプライベートな話が出来るね」 「夕方にパートの子が来るまで客も来そうも無いから、待合室でも良かったけどね」  あぐりの言葉に夕紀子は悪戯そうな顔付きでニンマリして、トートバックからなにやら変なボトルを取り出した。 「これは凄い秘密だからね。あぁ、重かった」  彼女が取り出したのは五百ミリサイズのペットボトルぐらいの高さで、直径十センチほどの密閉蓋の付いたガラス瓶だ。ガラス瓶の内部は透明な水のような液体が一杯に満たされてており、瓶の三分の一を閉めるほどの量で、丸くてぶくぶく動く肉片のようなものが詰められている。 「何これ。気味が悪い。何の生物?」  あぐりの顔は自分でも忌避の表情に歪んでいると感じつつ夕紀子を見れば、夕紀子はそんなあぐりを高らかに笑い飛ばした。 「不気味でしょう。でも、これ凄くいいのよ」 「だから、何なの? これは?」  夕紀子はふふふと妖しく笑い、若返りのお薬だと答えた。  夕紀子の言葉にあぐりは少しホッとした。  彼女は夢と浮ついたものだけを追い求める性分だ。  だからこそ美術や物づくりに人と違う才を現すが、足が地に着かないから一つの作品を完成できない。  あぐりの会社の金を持ち逃げしたのも、地道に働くよりも海外で自分が生かせると思い込んでの行動だ。  そんな彼女は両親に完全に縁を切られていた。 「薬でもこんな気味の悪い物はウチでは使えないわ。大体、何かわからない生き物なんて怖くて使えないわよ。寄生虫や病気を考えたらね」  夕紀子はきゃはははと、十代の少女のようなけたたましい笑い声をあげた。 「あたしを見てどう思う? 綺麗でしょう。年相応に見えないでしょ」  顔を近づけた夕紀子の肌は確かに輝いてハリがあった。  自分には既に無い、失われた若さ。  夕紀子の軽はずみな考えが若さの秘訣のような気もするが、その若々しい肌が羨ましいとあぐりが思ったのも事実だ。 「当たり前でしょう。あなたは元々綺麗な上に私よりもずっと若いのだから」  逡巡している自分に夕紀子はウンザリしたのか、カパっと瓶をあけて一粒をぽいっと口に放り込んで飲み込んだ。 「私はこれを二ヶ月に一回飲んでいるの。それでね、エステ店だったら、これでお茶を入れて飲ませれば一週間に一回とか、一週間に二回とかリピートさせられると思うのよ。薄ければ効能も弱いけど、それでも目に見えて違うのよ」  夕紀子は再び一粒をつかむと、あぐりにつきだした。 「飲んでみて。今日飲んだだけで明日にはあたしみたいな若々しい肌が手に入るのよ」  夕紀子の目元には隈が無い。  年齢を重ねた女性の肌は緩み、垂れる。そのたるみで目の下に影が出来て黒ずむのだ。だから、コンシーラーなど塗っても意味が無い。  影は消せないからだ。  それでもあぐりは抵抗するように、夕紀子の指先で蠢く小さな肉塊の醜悪さから目をそらした。が、その行動がさらにあぐりを追い詰めた。  あぐりは見てはいけないものが目に入ってしまったのだ。  鏡に映った疲れた自分。  それは、資金の調達に借金の返済に迫られていたから。  悩むだけの毎日で、いつからか自分の顔を見ていなかった事に気がついたのだ。  目は落ち窪んで肌は荒れ、実年齢よりも確実に年老いて見える惨めな姿。  これでは、美しさを求める客が寄り付くわけも無い。 「それで飲んでしまったんだそうだ」
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