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七 さあ、開店
甲斐が言った通り、あの日の翌日から我が家の電気は復活した。
そして、母を貶めたシナリオを描いた奴らの検挙の為に俺の店が使われる事になったが、その準備は甲斐がやると言い張った。
それは良い。
俺は社長令息であったが、俺こそお坊ちゃま育ちで店を開くなんてことは出来ない人間なのである。だから全部任せたが、数日後の開店日には全部自分でやれば良かったと後悔した。
甲斐は商売を甘く見ている。
専門が「史学」の畑違いの人間までがそう思うのだ。
これは事実のはずだ。
なんと、甲斐が手配してやってきたマッサージ師は、二十代の元ソープランド嬢だった。
「え、ソープ?」
驚く俺に、お前は経験済みかと、解っていながら甲斐は揶揄う。
「違うって、この親父はよ。あたしはソープじゃなくてヘルスだって言ってんだろ」
どう違うか俺にはわからないが、甲斐に言い返したのは「元ヘルス嬢」の松井優奈さんだ。
美人ではないが、大きなちょっと離れた垂れた目が可愛らしく、体型も胸が大きくぷっくりとしている。
「右目の泣き黒子と口元の黒子がいい感じなんだよ」
助平親父丸出しで甲斐が松井の黒子を指差しながら言うと、彼は松井に拳で二の腕あたりをばしばし叩かれた。
「あの、どういう関係で警察の仕事を?」
本当にどうしてそんな経歴の彼女が協力してくれるのだろう?
「え? 別に協力じゃないし。うちのお店潰れちゃってね。そんで店に来ていたこいつにスカウトされてさ。ヘルスよりいいだろって」
「ヘルス利用してヘルス嬢を説教するなんて、なんて最低親父なんですか」
俺の思わずに松井がギャハハと大笑いを上げ、甲斐は俺の頭を割合と強めに叩いた。
「うるせぇ、客じゃねぇよ。手入れしてそのまま更正させているってだけだ」
「でも、彼女はボランティアしていたら、食べていけないじゃないですか」
甲斐はにやっと片眉をあげた。
「今回囮で開くこの店な、売り上げは勿論お前だが俺達もちゃんと貰うから。軌道に乗ったら潰すのはもったいないから、こいつを雇われ店長にしたらいいだろ」
甲斐に肩を抱かれて、松井はヘヘっとふざけて敬礼をする。やっぱり甲斐は商売を舐めていると、俺は唖然として二人を見返した。
「それにさ、ボーナスくれたらあたしが時々ぬいてやってもいいよ」
俺はキュッとなって思わず大事な所を押さえた。
二人はガハハと笑っているが、なんて下品だ。
「そいじゃあ、開店しますか?」
松井がおどけながらも入り口ドアのクローズをオープンに替え、とことこと受付に行って座った。
受付に座った途端に松井は、元ヘルス嬢の面影は無く、清潔感もあり気安そうな若い女性店員となった。今の彼女の佇まいは、緊張している初めての客にはホッとする出迎えとなるだろうと、俺は彼女の様変わりに驚いた。
ほんの数十秒前のお道化ていた彼女は、エステの制服を着ていても本人が言うとおりの風俗嬢の雰囲気を持っていたのである。
「松井は凄いだろ」
「そうですね」
「おい、普通は甲斐さんも、とか言わないか」
「何かしましたか?」
「店内!」
店内は外山によって備品が戻され、母が開店していた当時の状態になっている。
「備品は外山さんだし」
「もういいよ!」
甲斐はぷりぷりしながら店の奥に消え、俺は入口の方を待ち遠しい思いで見つめる。
俺が期待するのは客の到来では無い。
店を開く準備を見たからと、以前この店で場所を貸していたネイリストが連絡してきてくれたのである。
彼女の低くて優しい声はとても懐かしいものだと俺を慰め落ち着かせ、開店当日の今日の午前中には店を此処に出してくれるという彼女からの申し出には、ただただ俺は喜んだ。
彼女が来てくれるのならば百人力だと、俺は気が楽になり、客が来た場合のイメージトレーニングをする余裕まで出来たのだ。
客が来たら松井はマッサージに行き、俺が受付に座る。
そして、施術が済んだ客には、母から教えられていた調合のハーブティーをサーブするのだ。
「あ、お茶の用意」
俺は甲斐が向かった店の奥、スタッフ控室とキッチンがある関係者以外立ち入り禁止の扉へと向かっていた。
キッチンには甲斐が適当に座っている横で、三十代半ばの白衣姿のきりっとした外見の女性が、いくつかの茶袋を作っていた。長い髪はバレッタで簡単にまとめ、スーツに白衣を羽織った姿は医師か薬剤師に見える。
「あら、お客?」
「いえ。俺も準備と思いまして」
「そうね、ここは任せて私も栄養士さんの準備をしようかしら」
「えぇ、あとはやります。でも、俺はダイエットの栄養士に警察の鑑識の方が座るとは思いませんでしたよ」
彼女は外山が連れて来た、鑑識官の仙波沙莉さんだ。
今回マッサージ師が松井一人のためVIP室を彼女専用ルームにして、隣を栄養相談室にしたのである。母のようにお茶を出しながら、俺が客に美容アドバイスなど出来るわけはない。
外山の話では、薬剤師の資格がある薬物が専門の人である仙波が客の相談に乗りながら、あの腐れ玉の利用者がいないか探るのだという。
彼女は俺に薬用茶の袋詰めの仕事を引き継がせると、栄養相談室の準備だとキッチンを出て行った。俺は彼女の仕事を引き継ぎながら、茶葉の香りに母の事を思い出していた。
「母さんは、失踪する前はお茶ばかり飲んでいました。そういえば、食事をしている姿を」
そうだ、母はいつ食事をしていたのか。
「薬物中毒者の特徴は、食欲減退に異常な水分摂取だ」
ほとんど独り言だった俺の言葉に、甲斐はぶっきらぼうに応えた。
「俺がもう少し母を気遣っていれば。薬物中毒に気付いてあげれたのでしょうか」
「本人が必死で隠していたんだ。仕方が無いだろ。お前は待合室に戻れ、ガラス越しにお前の姿を見て入ってくる客もいるだろ」
「俺を見て、ですか?」
「おう。冷やかしにさ」
甲斐にイラっと来たが、確かにもうすぐ開店までの十時だと、簡単に茶葉を片すとキッチンを出た。
新規の客はわからないが、母の残したコピー用紙に書かれた顧客へ連絡したら次々と予約が入ったのである。
俺は甲斐と外山に言われるままに、開店当日の本日は三人の予約を三時間間隔で入れた。
「この人達は中毒患者ですか?」
「見極めたいだけだよ」
外山は言う通りにした俺に気安そうに俺ににっこりと微笑んだが、俺はこの外山は甲斐よりも怒らせたら怖いのではないかとなんとなく感じた。
甲斐は相変わらずやくざの外見にやくざ振る舞いだが、何気に俺を気遣っている節がある。いや、もしかして俺を見張っているだけ?
昨夜などは急に甲斐が俺の部屋のドアを叩いたのだ。
「何でしょうか?」
「お前、ちゃんと相手を確認してからドアを開けろよ」
「ふつうに甲斐さんの声で、オイって言いながらドンドンされたら開けるでしょう」
すると、俺に注意した彼こそ勝手に靴を脱いで、ずかずかと俺の部屋に上がりこんだ。そしてリビングダイニングを見回り、俺と母の部屋も覗き込む。
「だから、何でしょうか? この間洗濯物を干してくれた時に室内は見ていたんじゃないのですか? 俺のウチに何か在るんですか?」
「あの日はお前の洗濯物干すので精一杯だよ。お前が服が無いって泣くからさ」
ダイニングに戻って来た甲斐は、何かを俺に放った。
「母親のものは売らなかったんだな」
俺は目の前を飛んできたものを思わずキャッチした。
「あ、フランケン」
「それは返すよ」
そうして彼はフイっと来た時と同じく、スッと帰っていったのだ。
外山の嘘くさく感じる笑顔や甲斐の変な気遣いに、俺が一々拘るのは人寂しいからであろうか。けれど、信じきれない彼ら警察官達に、俺は積極的に受け入れ気に入られるしかないのも事実である。
姉と母の情報はこの人達からしか手に出来ない気がするのだ。
可哀相な姉。
姉は九月には子供が生まれていたはずだったのに。
「カッチー、何変な顔してるの?」
俺に声をかけてきた松井を見返した。
「変な呼び方をしないで下さいよ」
「じゃあ、何て呼んで欲しい? 水戸井君は固すぎるし、克哉って呼び捨て? それとも君づけ? かっちゃん、もいいね」
「あの、克哉って名前を呼ぶのは止めてください。学校でも苗字の呼び捨てで、名前は家族しか呼んでいなかったから」
松井はきょとんとしている。
「すいません。家族がいた時なら名前呼びでも良かったのですけど、家族がいる間はずっと周りが苗字呼びだったので。上手く説明できないのですけど、家族がいなくなった途端に周りに名前呼びされたら、なんだか、もう、母も姉も帰って来ない気がして」
松井はすくっと受付を立つとそのまま俺の横に来た、俺はじっと俺を見つめる彼女に何を言われるのかと思ったが、彼女は軽く「そっか」とだけ言った。
「え、それだけ?」
「え、あたしにもっとなんかして欲しいの、かな?」
「いや、え?」
俺はそこで彼女が俺の横にわざわざ来たわけが分かった。
いつのまにか松井は制服の胸元のボタンを一つ二ついや、三つも外していて、横に立つ俺が目線を下げれば紫色のブラジャーに包まれた豊満な胸が覗けてしまう環境整備をしていたのである。
何の環境整備と言われたら困るが。
「ちょっと、松井さん。ボタンをボタンを」
「カッチーがとめてくれるかな」
「僕がやってあげる。僕のお膝に、乗る?」
「げ。おっさんか」
来訪してきた外山に助けられた模様だ。
松井は外山に不機嫌な顔を見せると受付に戻り、キッチンからは甲斐が出て来た。
「よっちゃんどうした」
「一時のお客のキャンセルを伝えにね」
二人は待合室の隅に移動していったが、甲斐がひょいと俺に軽く手を振った。
「何ですか?」
「俺達に珈琲入れて来て」
俺はすぐには動かなかった。
受付の机に寄りかかり、いつの間にか気安く感じている松井に話しかけたのだ。
「ねぇ、俺、オーナーだよね。もしかして、オーナーというあだ名のパシリ?」
「パシリってあだ名のオーナーかもよ」
「やめてよ」
ぶふっと噴き出して笑っている松井に、彼女は俺に気を使ってくれているのかもしれないと感じた。
「俺の言った事忘れて、好きに呼んでもいいですよ」
松井は俺を見上げ、ニコっと晴れ晴れとした笑顔を向けてくれた。
「じゃあ、カッチー」
アレ?
俺は首をかしげながら珈琲を入れる為にキッチンに戻った。
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