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連れてこられたのはアルベルトの個室だった。
ベッドに座らされたものの、彼はそばで立ったまま腕を組んで見下ろしている。絶対零度のまなざしで。その怒りの理由はおおよそわかっているつもりだ。
「最近、リリアナへの態度が変わったからおかしいとは思ってたけど、まさか俺に内緒で写真まで撮ってたとはな」
「寮のまえで花の写真を撮ってるときにたまたま会って、流れで彼女も撮っただけだ」
嘘偽りない事実のみを答える。しかし、それがすべてでないことくらい彼にはわかっているのだろう。表情を変えることなくほんのわずかに目を細めた。
「おまえは俺しか撮らないのかと思ってたよ」
「他に撮りたいひとがいなかっただけだ」
「確かにリリアナは撮りがいがあるだろうな」
「…………」
核心に触れない追及に、じわじわと嬲られているような気持ちになり、腿の上に置いた手をギュッと静かに握りしめる。沈黙が降り、息を詰める苦しさに気が遠くなり始めたころ——。
「なあ、シルヴィオ……おまえ俺のことが好きなんだろう」
揺るぎのない声でそう言われた。
瞬間、頭の中がまっしろになる。とぼけることもごまかすこともできず、ただ凍りついたように固まってしまった。そんなシルヴィオを無表情で見下ろしたまま、彼は話をつづける。
「その気持ちを否定するつもりはないし拒絶もしない。ただ俺は王太子だ。いずれ誰かと結婚する。だからおまえの気持ちに応えることは絶対にないし、おまえが私情で俺の邪魔をすることも許さない」
そう言い放つと、そのまなざしがすっと鋭く研ぎ澄まされる。
「それでも俺に一生を捧げる覚悟はあるか?」
これは、おそらく最後通告だ。
あまりに突然のことで、それを受け入れるだけの覚悟はまだないが、そう正直に答えたらきっともう切り捨てられてしまう。これまでのように隣にいさせてはもらえない。それだけは、絶対に——。
「覚悟を決める……だから、隣にいさせてほしい」
いま言える精一杯の言葉を絞り出し、こわばった顔のまま縋るような心持ちで彼を見つめる。そこには冴え冴えとした紫の双眸があった。ゾクッとしながらも搦め捕られたように目をそらせない。
まるで時が止まったかのようだった。
気が遠くなりそうなくらい長く感じたものの、実際はそうでもなかったかもしれない沈黙のあと、アルベルトはふっとかすかに表情をゆるめた。そして腕組みを解きながら前屈みに覗き込んでくる。
えっ?
あまりの近さに思わず目をつむったそのとき、コツンと額がぶつかった。前髪越しではあるが、それでもほんのりとぬくもりが伝わってくる。シルヴィオはかすかに震える瞼をそっと開いた。
「忘れるなよ」
「……忘れない」
「約束だ」
吐息がふれあい、壊れそうなくらい心臓がバクバクと暴れる。
それが伝わってしまうのではないかと気を揉んでいると、すこし熱を帯びた頬にすべらかな手らしきものが触れ、彼の顔が動く。近すぎて何がどうなっているのかもわからないうちに、唇に微熱を感じた。
は……えっ……?
一瞬で離れてしまったが、それは驚くほどふわっとしていてやわらかかった。にわかには何が起こったのか飲み込めず、正面の彼を見つめたまま呆然としていると、彼がふっと口角を上げた。
「ありがたく思え。俺にとっては初めてのキスなんだぞ」
途端、シルヴィオはぶわりと顔が熱くなる。
言われてようやくキスされたのだと自覚した。芸術品のように美しい王太子のアルベルトに、ただの友人でしかない自分が。動揺のあまりおろおろと目を泳がせていると、彼はハハッと笑った。
「言っておくが、これが最初で最後だからな」
「えっ?」
シルヴィオはまだ混乱したままで頭が働いていなかった。その様子を察してか、彼は真面目な顔になって説明するように言葉を継ぐ。
「さっき話したとおり、俺がおまえのものになることはないし、おまえの気持ちに応えることもない。だが、おまえはすべて俺に明け渡せ」
そうだ、そういう約束だった。
つまりこのキスはいわば報酬の前払いというわけなのだろう。もしかしたらシルヴィオをつなぎ止めるためでもあるのかもしれない。いずれにしても、そうするだけの価値が自分にあると認めてくれたということで——。
「仰せのままに」
ベッドから降りて彼の足元にひざまずき、左胸に手をあてる。
もう迷いはなかった。彼が自分を必要としてくれるかぎり、そしてそばに置いてくれるるかぎり、私情を捨てて彼のために動こうと心に決めた。たとえそれがどんなにつらく苦しいことだとしても。
ただ、このときはまだ本当の意味ではわかっていなかった。その身を切るようなつらさも、胸をかきむしるような苦しさも——。
<了>
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