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2-1
数ヵ月前──。
法王国セレストは、四方の他国に囲まれた国だ。豊穣と癒しを司る春の女神の住まう土地で、教会本部には聖女と呼ばれる加護持ちがいる。私キャロライン・アルカラスは女神の神託により、聖女として選ばれてしまった。
私は辺境伯の娘で領地をより豊かにすることばかり考えて、植物研究や伝承の調査をして暮らしていたけれど、聖女となったことで穏やかな日常を奪われ、ノースウッド大国を含む各国の問題解決を命じられた。
ノースウッド大国についた初日は、旅の疲れもあって昼間で寝過ごしてしまった。
目が覚めたら物々しい雰囲気の中、近衛騎士に連れられて玉座の間に通されるのだが、その場に他の聖女や神官の姿はない。
あー、この段階で嫌な予感しかない。またシーラが無茶なことを言って暴れた? それとも婚約者もいる令息を寝取った?
悲しくもそんな非常識な言動をするのが、今の聖女シーラ、ソニア、タバサだった。本当に勘弁してほしいわ。彼女を諌める者は自国には誰もいない。意見が通らなければキセキの力を一切使わないと聖女の役目を放棄する始末。
その上、諸々の尻拭いを私に押し付けるのはどうかと思うのですよ。私が何をしたっていうの……。はあ、憂鬱だな。
玉座に座るのは、三十代の金髪碧眼の男だった。眼光の鋭さや、雰囲気からしてきても、賢王と言っても尊色ないと思われる貫禄さと品性と知性が感じられた。その隣に佇んでいるのが王位継承権第二位の王弟殿下だろうか。
「聖女シーラ、ソニア、タバサは国庫の金銀財宝、宝石を盗んで消えた。貴国に責任を問う書簡を送ったが返答は春まで先延ばしとなるだろう」
国宝!
え、馬鹿なの? 馬鹿よね!?
室内は静かな声だったけれど、内心腸が煮えくり返る気持ちでいっぱいなようで、針の筵状態……。
「この国は積雪が酷いため半年間は関所を封鎖するからですね」
「そうだ。よく知っていたな」
「私の故郷は貴国に近いアルカラス辺境地ですので……」
「ほお。あの土地には賢者の娘がいると聞き及んだことはあるが、そなたがそうだったりするのか?」
「そのような大層な名など私とは別人かと存じます。……この国での滞在期間中に奪われた財にも勝るものを献上することで、怒りを収めて頂けませんでしょうか?」
「ほう?」
北の大国ノースウッドの冬は長い。今は十の月だから、関所が次に開くのは四の月、一年の半分をここで過ごすのだ。であれば少しでも大国に貢献して、衣食住を確保する必要がある。南や西国なら荒屋でもなんとか生活ができるけれど、この国では暖炉がなければ死んでしまうわ。
私の提案は意外だったのか「どのようなことをしてくれるのか?」と、国王の目の色が変わった。あ、これは変に期待されている?
「せっかく聖女殿がいらしているのだ、キセキで国に貢献してくれるのなら考えないでもない」
「キセキではなく、私の持つ叡智のみで国の復興をお手伝いしたく考えております。なにぶん私のキセキの内容が不明なため、キセキでの貢献は難しい状態です」
「それではなんのキセキも起こせぬと言うのか!?」
「はい。すみません」
控えめに言ったものの私が聖女としてポンコツだというのは、すぐに伝わったようだ。年間でそれなりの金額を法王国セレストに奉納しているノースウッド大国からすれば、キセキの使えない聖女など利用価値などないだろう。詐欺あるいは契約不履行だと言われてもしょうがない。
「では一日で大量の麦畑を作ることも」
「ムリです」
「四季折々の果物を生み出すことも」
「できません」
「治癒魔法、修復魔法……」
「すみません」
「陛下、こんな者に慈悲を与える必要などありせん!」
「そうです。小娘一人とはいえ、冬を越すだけでも相当の予算を削ることになるのですぞ!」
「そうだな。聖女と同等に扱うのは難しい──が、そなたはキセキなしでも、この国に貢献できると確信した目をしている。その根拠を教えて貰えるか?」
流石に鋭い。でもこっちも聞いてみたかったことがあるからちょうどいいわ。
「《冬森の賢者》の知識を齧った程度ですが……妖精と精霊との交渉や儀式について知っています。今この国に《冬森の賢者》の知恵が必要なのではないですか?」
「!?」
その場の空気が変わった。しかしそれは一瞬で、驚愕から笑い声へと変わったのだ。嘲笑、嘲り笑う声が響く。
「え?」
「あははははっ! 《冬森の賢者》だと!?」
「妖精と精霊とな!」
「これは笑いが止まらん!!」
あれれれ? 妖精と精霊の交渉ってつい十年くらい前まで盛んに行われていたのに、この反応は何? まさか《冬森の賢者》をおとぎ話だと思っている? 幼馴染がこの国を去ってから十年ちょっとしか経っていないのに、どうして妖精や精霊がいないと思っているの?
「面白いことを言う娘だ。妖精と精霊との交渉は久しく行われていない。それこそ夢物語だぞ」
「そんなはずは……」
「やはり詐欺師の類いのようですぞ、国王陛下」
「ちがっ」
「真偽はすぐにわかる。嘘ならもっと真実味のある話をするだろう。特に自分の立場を理解しているのならなおさらだ」
「しかし妖精など──」
「黙れ」
怒鳴るような声音ではなかったけれど、その言葉にざわついていた臣下たちは黙った。
「この娘は最初にキセキが使えないことを申告し、それでも国に貢献をすると言ったのだぞ。どう貢献してくれるのか楽しみではないか?」
国王様は妖精や精霊を信じている? ノースウッド大国は冬の精霊と妖精が多い土地だったから、もしかしたら何か知っているのかも? でも具体的な何かは知らないから、《冬森の賢者》という言葉を聞いて期待してくださったのかも?
不安があったとしても揺るがない。それが国王様の矜持だとしたら、素晴らしいわ。自国の王族は聖女の言いなりだったから、余計にそう感じるのかも。
「アルカラス嬢、ひとまず薬師としてなら王城の居住区画に住む場所を用意させる」
「寛大なご処置ありがとうございます。屋根と壁があり、暖炉がある所だと幸いですわ」
「……昔、薬師が使っていた一軒家がある。定期的に手入れもしているので、そこを使うがいい」
「かしこまりました」
「一人、とびきりの護衛も付けておこう。何かあればその者に申しつけてくれ」
そうして配属されたのが──リクハルド様だった。
首の皮一枚で王城の居住区に住まわせて貰えることになったのだけれど、出会った頃のリクハルド様と私の関係は最悪そのもの。
真っ黒な艶のある髪に、刃物のような鋭い赤銅色の瞳、騎士のような引き締まった体に、圧倒的な色香。冬の、それも雪の降る時期に薄手のシャツと黒のズボンという軽装でボタンも二つほど開けて、見ているこっちが寒くなる恰好だわ。ソファに寝転がるのを見て、歓迎されていないのは嫌でもわかった。
「リクハルドだ。お前の護衛役兼世話係ってところだ」
「キャロライン・ア──」
「そんなことよりしばらく寝るから、用がある時だけ起こせ」
「え、あ……はい」
まるで機嫌の悪い冬狼みたいだわ。黒い髪に鋭い瞳は獣のよう。しなやかで、いつでも噛み殺す冷酷さを持つ。野生の獣……。悲しいけれど、ここから評価を上げるよう努力しないと。そう気持ちを切り替えて、先にもらっておいた地図と紙、インクをテーブルの上に広げる。
《冬森の賢者》としての知識を駆使して妖精や精霊との交渉を何度もすれば認めてくれるだろう。うーん、もしかしてこうなることを考えて、幼馴染やおじ様や、おば様は私に《冬森の賢者》の叡智の一端を教えてくれた?
『もし冬の国に行ったら、助けてあげて欲しい』
そう言って丸投げしたのは、鹿角を持つ幼馴染の彼エルノだった。彼は《冬森の賢者》の後継者でもある。
別名代行者、調停者、賢者は、妖精や精霊と人とを結ぶ存在なのだけれど、長寿である彼ら一族は万物──人外寄りの思考をしているので、人間社会の王侯貴族たちがあまり好きではない。折り合いも年々悪くなっていき、十年くらい前に唐突な別れを切り出して森の奥へと去ってしまった。
隣国であるノースウッド大国で何があったのか詳細は分からない。当主のお父様なら深い事情を知っているかもしれないけれど……。
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