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 探していた人物は美術展示場になっている建物の裏をキビキビと歩いていた。離れた距離からでも刺激的なオーラを感じる。見かけたのが後ろ姿だったから名前を呼ぼうとした所で、俺が声を掛けるより早く彼女の方が俺の接近に気が付いた。まだ二人には距離があるのにな。向こうは新作の発表を前に、気持ちが鋭く高ぶっているんだろう。  黒光りするパンプスの爪先を立てて振り返る所作は盛る夏の中にあっても凜々しく、そして、ギンギンに極まった肉食獣にも似た瞳と楽しげに崩した相貌は、あまりに好戦的すぎる。近づきすぎればジャブが飛んでくるんじゃないかと、芸術家の彼女の細腕にちょっとビビってしまっていた。 「来るの早いね。私のブースはそんなに混まないからゆっくりでも良いのに」 「わかんないだろ。さっそく白黒のお洒落な袋を手にした一行とすれ違ったぞ?」  陽差しの白と夜の黒は彼女のテーマカラーで、その袋は彼女の販売しているオリジナルグッズを買った証拠。ちょっと嬉しそうに笑った。俺の方まで嬉しくなって、つい鼻の下に手が伸びる。照れた時に思わず出てしまう昔からの癖。  数年に一度訪れると言われる美術ブームの追い風もあってか、近代美術芸術展覧会は思ったよりも賑わっていた。本人が言う通り彼女のブースは他の作者よりも人気がないのかもしれないけど、これから賑わうことだって十分に考えられるだろう。  本展覧会の目玉は、西洋の美術館から借りてきた帰国子女の和風人形たち。数百年前に国内で作られた物が海を渡り、西洋文化と交わったものだった。海外のセンスでおめかしされている人形も多く、思わず惹きつけられる珍しさと馴染み深い古めかしさを同時に味わえる老若男女問わずに楽しめる作品群だ。この和洋折衷人形を目玉にした集客効果が良く効いているんだろう。当初の予想以上の賑わいをみせている。人出が多くなれば他のクリエーターのファンが増えるかもしれない。きっかけはどうであれ、人目に付かなければ始まらないのが芸術だ。彼女にとって良い機会になってくれればいい。 「もう発表の準備は終わったんだ?」 「もちろん」  彼女は手に持った短い棒状の機器をフリフリさせながら言った。色は発色の良い真っ赤。黒と白で統一させている彼女の前で振られると少々悪目立ちする。 「……それは?」 「今回の作品の鍵になる物よ。爆破スイッチ」  爆破スイッチ? 随分と物騒な単語が飛び出してきたな。もしかして、展覧会の間に作品を爆破させてみせるつもりなのか?  まあ、彼女の性格を考えればあり得る話ではある。演出としては派手だし、注目も集められるだろうけど。  いや、やっぱりスイッチの色使いだけはしっくりこなかった。 「君に赤色は……さすがに似合わない」  苦笑交じりの声を掛けると、さすがに自覚があるのか軽く肩をすくめる。 「本当は黒にしたかったんだけど、黒い材料に紛れて間違って触ったら大変でしょ? 予告無しに爆破させたら今後会場を使わせてもらえなくなっちゃう」  やっぱり作品を爆破させるつもりみたいだ。作品を爆破させる、自分の手で壊す感覚とはどんな感じなんだろうな。この高い壁の裏側にある彼女の作品(まだ幕が張られていて一般公開はされていない)を思い出してみる。白い丸と黒い菱形を組み合わせて作った捻れている塔のオブジェだ。積み上げられた形は、どこから見ても均整が取れていて、不思議な気分にさせられる。正しすぎる形が不安を誘うような。  題名は「何もない場所に生まれてしまった」。  本人曰く、誰も隣に立てないのだそう。あまりに塔のバランスが良すぎるから、人間が隣に立つと骨格のアンバランスさが目立ってしまい不細工に見えてしまうから、とかなんとか。  それはともかく、俺は芸術作品を見るのは好きだが、作る側になったことはなかった。だから作り手の気持ちがよく分からない。爆破させれば気持ちがすっきりする物なのだろうか? 素人感覚ではもったいないと思う感情が真っ先に来てしまうんだけども。 「あの作品は、爆破させたらどうなるんだ?」 「ん? どうって、半分ぐらいから真っ二つに折れると思うけど」 「それだけ? 何かに変形するとかないんだ?」 「あはは、何それ~」  そっか、壊れるだけか。  カラリと笑う彼女からは発表に向かう気負いのような緊張感が感じられなかった。ビリビリと気を張ってはいるけど、体が硬くなっている様子はない。人前で緊張したことがないと言うだけはある。  彼女がインタビューを受けているテレビの映像を見る度に、何か変なことを口走らないかと緊張し、毎回胃を痛くしている俺からすればとても羨ましい。別に、彼女とは仕事の付き合いで、男女として付き合っているわけでもなく保護者でもないんだけど、やっぱり言動は気になってしまうのだ。一回りも年上の芸能人の美術品の見立てに噛みついている映像を見た時には背筋が凍った。番組の司会者が一番肝を冷やしたんだろうけど。  白は光、黒は影。  この2色があればどんな世界の、どの瞬間でも写し取ることができるはずだと言うのが彼女の口癖。  白と黒に根源を見いだし、幾何学模様に時の流れの一瞬を映し出す、それが彼女の芸術領域だった。  モノトーンの作品達はあまりに抽象的で、中には理解できるのもあったけど、そのほとんどは高尚すぎて俺には理解が出来なかった。それを正直に本人に話したことがある。その時の彼女は、それでいいんだと笑ってくれた。相手の全てを理解した気になっている大人はろくでもないヤツだと笑ってくれた。  そんなひねくれている彼女も、世間に名を馳せる芸術家達の間では、新進気鋭の芸術家として存在を知られていた。 「なにも、爆発させなくてもいいんじゃないか? 綺麗に出来ているんだろう?」 「ダメよ、これは崩して初めて完成を迎えるんだから」 「もったいない」 「その言葉、嫌いなのよ」 「どの言葉? もったいない?」 「そう。もったいないの精神は世界にとって凄く大切で、生きる上では不可欠な物だけど、芸術の前では邪魔になるだけなの。未練が生まれれば視界は曇るし、躊躇が出れば一瞬の好機を逃してしまう」 「そういうもんか?」 「そう」 「じゃあ、この作品が消えてしまっても、もったいないとは思わないんだ?」 「全然」 「その割には煮え切らない声じゃないか」  付き合いの長さから、彼女のセリフの間合いにためらいの影を感じ取った。 「うーん。もったいないとは思わないけど、もう少し尖った思想に寄せて作っても良かったかもしれないって思ってる。自分で言うのも何だけど、ちょっと綺麗すぎた」 「そっちの後悔か」 「でも、好きだけどね。この作品」  彼女は爆破スイッチを指で撫でながら、『何もない場所に生まれてしまった』の肝の部分を語り出した。 「みんなにはどう見えるか分からないけど、この作品は作るのがそんなに難しい物じゃない。比率さえ測ってしまえば、似たような物はいくらでも作れる。それを唯一無二の、わたしの作品にしようとするのなら、崩さなければいけなくなるの」 「独自性を確保するために壊す?」 「に、近いかな。作品は必ず模倣されるわ。それが気に入らなくてね。もちろん私も模倣はするんだけど、私の作品を模倣しておいて私の作品より人気が出ないのは納得いかないのよ。下手に真似るなら模倣しないでってなっちゃう。だから絶対に模倣できない形で完成させたいの」 「……それが爆破」 「そう。爆破を模倣は出来ても、爆発の瞬間に生まれる形だけはどう頑張っても真似できないでしょ?」 「確かに、そうかもな」  仮想空間ならともかく、現実の爆発で崩れていく様子まで真似るのは不可能だろう。かと言って、爆破のエネルギーによる破壊を爆破以外で再現できるとは思えない。それに、爆発する瞬間を肌で感じられるかどうかも大事になるだろう。爆破、飛散、崩壊。見た目や音はもちろん、熱や風、観客達の歓声や驚き。その場に居ないと感じられない芸術もあるんだろうし。 「その目!!」  物思いに耽っていた俺の視界に、彼女の笑顔がアップで迫ってきた。 「今、どんな風に爆発するんだろうって想像したでしょ?」 「お、おう……」  背中を反らせて、突如として吹き付けてきた熱気からなるべく距離を離して答える。 「観客が期待と想像を浮かべる目が1番好き!」  瞳をキラキラさせながら見つめてくる彼女は確かに芸術家で、疑うことを知らない子供のようだった。 「俺は、好きな物を好きって言える目の方が、素敵だと思うぞ?」 「?」  俺はしばらくの間、芸術家の彼女を眺めて楽しもうと思った。 題名 『ドはドキドキのド』
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