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 暇な同僚の嫌味で、わたしはプチストレスを感じた。  プチなうちに、解消にいそしまなくてはいけない。ケーキのやけ食いも捨てがたかったが、わたしは神殿の一角に向かった。ヘアケアに余念のない巫女たちのため、完全個室制の美容サロンが備えられているのだ。 「おお、黒髪の嬢ちゃんじゃねえか。ひさしぶり」  通された個室で待機していたのは、長身で筋肉質な青年だった。工事現場の職員と見間違えそうだが、れっきとした美容師である。ワイルド系のイケメンなので、彼に入れあげ指名をする巫女もいると聞く。  ただし指名は別料金で、倹約家のわたしはやったことがない。それでもなぜか何度も彼に担当してもらい、顔を覚えられる間柄になっていた。 「ごぶさたしてます。今日はヘッドスパをお願いにきました」  まだ倒されていないシートの横で、わたしは美容師の青年に頭をさげた。 「地肌ケアだけ? カットはどうする?」 「うーん、じゃあそっちもお願いしちゃおうかな。いろいろさっぱりしそうだし」 「めずらしく財布のひもがゆるいな。なにかいやなことでもあったか?」  ……鋭い。  けれど、同僚から受けたマウントを、わたしは口にする気になれなかった。優等生ぶりたかったわけでなく、きりがないからだ。  あのてのイジリは日常茶飯事で、最初こそショックで胃をわずらったが、次第に感情を鈍らせるのに慣れていった。どうせ鬱になって伏したところで、カースト最下位の巫女を案ずる物好きもいないのだ。処世術の愛想笑いでやりすごすのが賢明だ。 「やだなあ、お兄さんのゴッドハンドを堪能したいだけですよ」 「…………」  へらへら、とわたしは口元をゆるめてみせる。せっかくのリフレッシュの場で、一瞬たりともみじめな思いをしたくない。青年は物言いたげにわたしを見つめたあとで、来いよ、と立てた親指でシートをさした。  ロボット導入の格安美容室が下界では流行の昨今、生身の人間がしてくれるヘアケアは贅沢のきわみである。  まずは毛先のカットから、というわけで、わたしはシートに腰をおろすと居住まいをただした。前方の大きな鏡に、ケープを装着した自分とコームを持った青年の姿が映る。彼は時間をかけて、スーパーロングの髪を丁寧に梳いてくれた。  と。 「相変わらず男殺しだなあ……」  ぼそり、と青年がつぶやいた。なんの話だ、とわたしは首を動かさずにまばたきする。彼はわたしの反応に気づいたようで、たりない言葉を補足した。 「いや、髪質がさ。櫛通りは抜群だし、枝毛もないし」 「あ、わたし直毛なので。たぶんひとよりからまりにくいんですよね」  真っ黒で取り柄がほぼないハズレ髪だが、唯一の利点はストレートであることだった。これのおかげでセットが容易で、切れ毛も少ない。 「ドライヤーの熱にも強いから、乾燥知らずで助かってます」 「いいじゃねえか。ここまで上等な髪、神殿内でもなかなか見ないぜ」 「あはは、だけど綺麗ってのとは違いますから。わたしの髪、黒くてハズレなので」 「なんで全力で否定するんだ」 「え、否定じゃないですよ? 事実なだけですってば」 「あー……うん。そっか。もったいねえなあ……」  歯切れ悪く青年が洩らす。おそらくフォローしてくれたのだろう。でも、客商売につきもののお世辞を真に受けるのはしんどかった。勘違いして浮かれたところで、お務めに戻ればわたしの髪の人気のなさは露呈する。この真っ黒い髪を求める信者はゼロだ。  その陰気な髪で、せいぜいこれ以上は信者を怖がらせないようにしてね。  ブロンドの同僚の嫌味が、よみがえる。  はい、承知しております。誰の目にも止まらないように、誰からの賞賛も期待せずに生きていきます。わたしはハズレ髪の巫女なので。  わたしが胸のうちでかしこまっていると、青年が手に持つ道具をハサミに変えた。しゃきん、と小気味いい音があたりに響き、バックの裾がそろえられていく。しゃきしゃき、とサイドやフロントもそろえられたころ、なんだか両目の奥が熱くなってきた。視界もぼやけてくるが、理由が分からない。 「これ使えよ。切った前髪が入ったんだろ」  涙をぬぐう用に、と青年がタオルをよこしてくる。目に異物感はなかったが、わたしは会釈して受け取った。スマートに親切をするひとだな、と思った。  何人、何十人もの巫女と就業中に接する美容師は、とうぜん彼女たちの世間話にもつきあう。そのせいか初対面時から彼はハズレ髪の件を聞き知っている様子で、わたしは同僚たちの口の軽さにうんざりした。それでも、心の傷に必要以上には接してこない彼の大人の姿勢に、少なくはない感謝を覚えた。  ブリーチをかけてみたら、なんてたまに思うけど、髪の加工はNGだしなあ。  脱色もパーマも、巫女は神殿に禁じられている。よって、コンプレックスである黒髪が、ブロンドやプラチナブロンドに生まれ変わるという奇跡も起きない。わたしは髪色だけでなく人生のおさきも真っ黒、いやいや、真っ暗だ。 「よし、クレンジングするか。シート倒すぞ」  ヘッドスパの段階に移るようで、青年が声をかけてきた。背もたれに預けていた半身が、自動のリクライニングに従い沈んでいく。うなじから上には移動式のシャンプー台があてがわれ、シャワーのぬるま湯がかけられた。髪のなかに青年の洗浄剤をまとった指がもぐり、強くもなく、弱くもない絶妙な力加減で地肌をマッサージしてくれる。  うわあ、気持ちいいなあ。いやな記憶も消えそう……。  もみもみ、わっしゃわっしゃ、というリズミカルな音と刺激にとろけていると。 「……ラプンツェルってさ、あかんぼうのころ魔女にさらわれたんだよな」  はい?  えらく唐突に、青年が例の伝説について言及した。女神ラプンツェル、国の民で知らぬ者はいない存在。戸惑いのまばたきをするわたしにかまわず、彼は続ける。 「ひとり塔で箱入り教育されて、魔女の価値観を植えつけられて。ほら、そうなると魔女はさ、育ての親にして絶対の神みたいな相手ってわけだろ。にも拘わらず、年頃になって王子と出会ったとたん、その神をあっさり裏切ったんだよな。窓からたらした自分の髪で、王子を塔に招き入れて」  長い髪を梯子にして、登ってきた王子と逢瀬を重ねていた娘時代のラプンツェル。外界と接触しないよう命じていた魔女は事実を知ると憤慨し、そこから世間知らずの小娘の逃走劇が始まったのだという。 「そ、そうですねえ。いけない子ですよねえ」  ふしだらな娘だ、って言いたいのかな。  意図が読めないまま、口先だけで同意した。国をあげ崇拝している女神への不敬ともとれる発言だが、わたしには他人の主張に駄目出しする勇気はなかった。加えて、不用意なひとことで青年に嫌われたくないと思った。そのためなら本音のひとつやふたつ、微笑みを添えて呑みこんでみせる。 「うん、いけない子だな。でもラプンツェルにしてみれば、王子と会うことは魔女のいいつけより正しかったんだろうよ。ちっぽけな塔のなかの正義が、だだっ広い世界においても通用するなんて限らないぜ」  わっしゃわっしゃ、と青年の両手が、わたしの頭をかき混ぜる。長くたくましい指が、泣きじゃくる子供をあやすように動いている。もみもみ、わっしゃわっしゃ――。 「だから、嬢ちゃんもさ」  わしゃ、とふいに指が止まった。青年が顔をのぞきこんでくる。間近で見るイケメンの破壊力は壮絶で、心臓が止まりそうなほどだった。泡だらけのシャンプー台から甘い香りがただよってきて、わたしは彼の視線にからめ取られながらそれを嗅いだ。 「自分にとっての善し悪しくらい、勝手に決めていいんじゃないのか。少なくとも俺は、あんたの真っ黒い髪がハズレだなんて思わない」  自分にとっての善し悪し。  わたし自身がくだす黒髪の評価……下界の民のでもほかの巫女たちのでもなく。 「あ、えっと……」 「頭の泡、流したらトリートメントな。今日は高いメーカーのやつ使ってやるから」  お値段すえおきのサービスで。  口籠もっているうちに、冗談まじりに話を切りあげられてしまった。青年はシャンプー台のバルブを操作して、また温かい湯をかけてくれる。優しい指で、額や耳についた泡を撫で取られたとき、わたしは性懲りもなく両目の奥に熱を感じた。
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