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「ねえ、あなた。彼を誘惑するのはやめてくれない?」 「ゆ、誘惑って……ええっ?」  問題の一カ月後。  お務め前の待機時間、わたしはとつぜんの言いがかりに困っていた。からんできたのはブロンドの巫女で、仁王立ちになって腕を組みふんぞり返っている。  場所は最上階の広間で、いくつもある縦長の窓は開け放たれていた。巫女が髪のたばをおろす窓で、ひとつひとつの手前には、例の下界のインターホンとつながる通信機が設置されている。旧時代にあったコールセンターを彷彿とさせる作りだ。 「あの子、また……」 「しいっ。ハズレ髪には関わらないほうがいいわよ」  広間のすみで、ひそめられた声があがる。目だけで様子をさぐると、不安そうにしているプラチナブロンドの巫女が、ほかの巫女にたしなめられていた。先月のチョコのいたずらを思いだし、わたしは彼女のアッシュシルバーの毛先をたしかめる。汚れを食器用の洗剤で落として傷んだのか、心なしかキューティクルの光が失われていた。  じきに神殿の屋上で、お務めの開始を知らせる鐘が鳴ってしまう。自分の席についていなければならないので、わたしは穏便にことを済ませるべく対処した。 「すみません。愚鈍なもので察しが悪くて……」  へらへら、と愛想笑いの楯をかまえる。通常なら、防御率が低そうに見えて高いこれで、簡単に敵は去るはずだ。けれど今日、ブロンドの巫女は虫の居所が悪かったらしい。彼女はわたしを捨て置かないばかりか、いきなり逆上してわめきちらした。 「ああ、もう! いつもいつも、その過剰にへりくだった態度がむかつくのよっ! なんだって彼も、あなたみたいなつまらない子にかまうのかしらっ!」 「彼、というのはどなたでしょう……?」 「サロンで働いてる美容師の彼に決まってるじゃないっ! ヘアケアの腕がよくて、頼りがいのある大人の男性で、おまけに美形で優しくて……。彼に憧れる巫女は大勢いるわ。みんな、競争率が高くても店にかよい詰めて、たくさん指名料を払った上でようやく担当してもらっているの。分かる? 彼はわたしたちの大切な王子さまなのよっ!」  美容師の彼。  ワイルド系のイケメンで、あのサロン内ではナンバーワンだと評判の――。 「なんだ、お兄さんのことですか」  ぽろり、とたどり着いた答えが口から出た。あの美容師の青年を巫女たちがもてはやしているのも、彼に落とされる指名料でサロンが潤っているのも知っている。カースト最下位のわたしには高値の花、雲の上のひとだという事実も。  あれ、でもさっき、彼を誘惑するなとか言ってなかったっけ?  言いがかりの全容が、把握しきれていないらしい。仕方なく愛想笑いをやめ考え込んだものの、数秒で中断を余儀なくされた。向き合っているブロンドの巫女が、さらなる怒りをぶつけてきたのだ。 「彼をそんなになれなれしく呼んで……なにさまのつもりよっ!」 「えええ……でも、お兄さんのほかになんて呼べば……」 「呼ばなきゃいいでしょ、話題にもするんじゃないわよ、おこがましいっ! だいたい、ハズレ髪のくせして生意気なのよっ! わたし、昨日サロンのスタッフに聞いたんだから。彼、あなたが店にくると、それから閉店時間まで自分の指名を止めさせるって。あなたのケアに専念するために、指名料が減ってもそうするんだって。信じられないわっ!」  いや、最初にお兄さんを話題にしたのはそちらでは……。  などと、脳内ツッコミが冴え渡ったが、わたしは口を閉ざして耐えた。火に油をそそぐ行為は避けたい。ブロンドの巫女の興奮はすさまじく、広間じゅうの通信機を倒したり投げたりしそうな勢いだ。飛んできた機械の角で怪我をしたくなかった。  ただ、黙っていたおかげで、断片的な情報の整理が可能になった。  ああ、それでサロンにいつ行っても、お兄さんの担当にあたっていたんだ。  小さな疑問が氷解する。ナンバーワンの美容師に何度もケアしてもらえてラッキーだな、程度に思っていたが、偶然ではなく裏に事情があったようだ。と言っても、わたしにはあずかり知らぬ事情なのだが。  お兄さん、なんか黒髪フェチっぽかったからなあ。単純に、わたし以外の巫女の髪だとさわり甲斐がなかっただけかも。  青年側の事情を、わたしは素直に想像した。難しく考えたところで不毛だろう。真剣に本心と向き合いたいなら、彼自身に聞けば済むことなのだ。けれど彼の周辺、つまりブロンドの巫女側の事情については、少しばかり意地悪く想像した。わたしも彼女にそうされているらしいので、申し訳ないがこれでおあいこである。  このひとは、あれだな……やっかんでるんだろうな。ようするに、自分よりも劣ってるはずの真っ黒いハズレ髪の巫女が、『大切な王子さま』を独占してるのが許せないのね。とつぜんの言いかがりも、そうした妬みの一環ってわけね。  先入観が盛りだくさんの解釈が、ひとまずの完結を迎えると。  ……やばい。  あらためて、自分のあつかわれ方の粗雑っぷりに絶望してきた。  わたしが青年のお気に入りに見えるから、引き離したくて因縁をつけている。  ブロンドの巫女の言動は、嫉妬が基盤だ。べつに、嫉妬するなとは言わない。誰だって、他人をうらやむ気持ちはあるだろう。わたしだって、生まれつき淡い髪色を持つカースト上位の巫女たちがうらやましい。  でもわたしは、上位の巫女たちにやつあたりはしない。勝ち目がないと悟っているせいもあるが、そもそも自分の要求を通す方法として、合理的でないのを知っているからだ。コスパもタイパも悪すぎる。わたしが嫉妬を覚えた誰かを、手を変え品を変え虐げたところで、ほしくてたまらない相手の持ち物が転がり込んでくるとは限らないのだ。  ブロンドの巫女のやりくちは、筋が通っていない。  彼を誘惑するな、とはなんだろうか。そんなことをわたしはしていない。だが彼女は、本当に誘惑したか、しなかったか、の確認すら取らずに決めつけた。わたしか青年に問うだけで済むのに。真実を知りたいと思っているなら。  ああ、つまり彼女は、弱者をいたぶるのが快感なだけだ。  無抵抗な生贄を屠りたいだけ。媚びた笑いでなだめられても逆上するだけ。そうしたあげく、憧れの王子さまに近づいた、とひとりよがりな正義をかかげて断罪の刃をふりおろしたいだけ。  理不尽だ。理不尽すぎる。  こんなふうに未来永劫、他人に支配されて振り回されるのは――いやだ。  市井を離れ神殿に入って以来、初めて感情が大きく揺れた。 「ちょっと、聞いてるのっ? さっきからなに黙ってるのよっ!」 「きゃあっ?」  だが物思いにふけるわたしが癇に障ったのか、ブロンドの巫女が怒声をあげる。続けて彼女は、乱暴にわたしの髪をつかむと引っぱった。  痛っ……。  お務めに際し、たばねられている巫女の髪。開始時間に先立って窓からおろされているそれは、中央部分はゆとりを持たせて床についた状態だった。けれど、その裾でなく肩のあたり、ようは生え際付近から引っぱられたので、わたしは痛みで首をかしげてしまった。怒りを隠しもしないブロンドの巫女は、気づかない様子だったが。 「ハズレ髪の呪いが耳に回りでもしたのかしらっ? 真っ黒くて見苦しい髪なんて、もう切ってしまえばすっきりするわよっ!」 「――っ」  怖い、殺されそうっ……!  ヒステリックな怒声が重なる。刃物でも突き立てられるのでは、とわたしは恐怖に身をすくめた。瞬間。 「あーあー、もしもし。ほんとにちゃんと、上までつながってんのかあ? これ」  えっ? なにっ?  あきらかに、自分の内側と違う場所であがった声にぎょっとした。  男性の声だった。低くてよく通り、お務めの広間じゅうに響き渡っている。けれど、驚いた理由はそれだけでなかった。やぶからぼうに出現した声が、あきらかにあの青年のものだったからだ。
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