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 青年の声は、そばに位置する通信機から放たれていた。  偶然にも、わたしの席に設置されていた機械から。お務め中に使用するヘッドセットが未接続で、結果としてスピーカーから音が流れ出たわけである。 「す、すみません。いま操作してきます」  無駄に高性能なのか、スピーカーのボリュームは大きい。目を点にするほかの巫女たちに頭をさげて、わたしは通信機に足を向けた。  すると、さっきまで不自由だった首がらくに動かせる事実に気づいた。引っぱられていた髪は、と振り返ってみれば、周囲の面々と同じ呆けた顔つきのブロンドの巫女が視界に入る。すでに彼女の手はあいていて、指は宙をつかむばかりだ。  通信機との接続を確認してから、わたしはワイヤレスのヘッドセットを装着した。 「もしもーし、悪いんだけどさ、これ、黒髪の巫女のところにつないでくれる? それとも違うインターホンに移ったほうがいいのか?」  青年はまだ話している。イヤーパッドの向こうに広がる下界は、がやがや、わいわい、と生活音に満ちていた。巫女の髪の霊力を求め、神殿の鐘が鳴る前から信者たちが集まっているのだろう。  知り合いなら、表情を確認しながらのほうが話しやすそう。  わたしはモニターをオンにして、ヘッドセットのマイクに言葉をかけた。十インチほどのはめ込みパネルに、ラフな私服姿の青年が映し出される。 「お兄さん、わたしです。インターホンはそのままでかまいません」 「おっと、黒髪の嬢ちゃん! 助かったぜ、俺、巫女の髪の参詣ってやったことがなくて。あんたと話せるか分からなかったけど、仕事休みだから来てみたんだ」 「そうでしたか。ご足労いただきまして、ありがとうございます。急用ですか?」  巫女は本来なら澄ましていて、下界の民とも交流しないのがよしとされる。でも青年が来てくれた理由が気になり、わたしは大胆な行動に出た。交流厳禁、という明確な規則もないし、きっと神殿もあからさまに厳しい処罰はしないだろう。 「んー、用っていうか……。あのさ、嬢ちゃん、今度またヘッドスパに来ねえ? 注文がいつもシンプルなスパだけど、オイルスパや炭酸シャワーのスパなんかもお勧めなんだ。使ってない来店ポイントもあるだろうし、ここはひとつ、パラダイスカモン!」  最後の軽口は意味不明だったが、わたしはぷっと吹きだした。メニューの宣伝だけならダイレクトメールを送れば済むのに、義理堅いひとである。 「頭はひとつきりなので、一度には試せないですね。来月にでもうかがいます」 「いや、明日はどうだ? なんなら今日の仕事あけでもいい。一分一秒でも早く来てほしいんだ。その……」  青年は眉根を寄せ、三秒、五秒、と沈黙した。  やけに真剣な顔つきに、わたしも続きの催促がためらわれる。手持ちぶさたに首を動かすと、広間の巫女たちがチラチラとモニターに視線を送っているのに気づいた。まずい、みんなの王子さまに気安く接しているのを見られてしまった。もう音声だけはスピーカーから流れないのが救いだが、ここはひらき直るしかなさそうだ。  たっぷり間を置いたあと、青年は話を再開した。言いにくそうに事情を説明する。 「昨日うちのサロンのスタッフが、外部にいらない話をしたんだ。たいした話じゃないんだけど、あんたに迷惑をかけているかもしれない。だから、あんたに会いたい」 「それは……いえ、ご心配にはおよびません。大丈夫ですよ」  なるほど、と言外の状況が見えた。ついさっきブロンドの巫女が口にしていた、青年の指名の件が脳裏をよぎる。わたしが来店した際は、閉店時刻まで指名を断ってしまうという内部事情。スタッフから聞き知ったブロンドの巫女が、わたしにいやがらせをしてくるとふんだのだ。大あたりである。  とはいえ、わたしが同僚にからまれるのはデフォルトだし、青年によけいな罪悪感を覚えてほしくはなかった。もし彼が関わっていなくても、事態はさほど変わらなかったろう。わたしは黙っていようと決意した。 「本当か?」  心配そうに青年がくいさがる。わたしは口元をへらりとゆるめた。 「ええ。大丈夫、大丈夫。ははは」 「嘘だな。あんたはいつもそうやって愛想笑いではぐらかすだろ」 「違いますってば、やだなあ。ははは、はは……」  愛想笑いが、凍った。声の乗らない吐息が洩れ、唇の乾きを自覚する。  思えば、青年にはサロンで会うたびに、なにもかも見透かされている感じだった。彼は仕事の延長線上で、神殿内の噂に精通している。のみならず、ケアでわたしに触れるたび、てのひらや指で心の動きを感じ取っている雰囲気さえあった。  彼を薄っぺらな笑いでは騙せない。沈黙も、ときによっては無意味だろう。  わたしが肩をすくめると、青年がふいに話題を変えた。 「なあ、嬢ちゃん。何度も言ってるけど、あんたの髪質すごくいいよな」 「へ? はあ……どうもです。頑丈だけが取り柄なので」  モニター越しに青年が、外壁にさがるわたしの黒髪に触れた。  ブロンドの巫女のあつかいと違い、彼は髪のたばの表面に慎重な様子で指を這わせる。びくっ、とわたしの体が跳ねた。そこに神経が通っているはずもないのに、くすぐったさを覚えてしまう。反応を面白そうに眺め、青年は毛先をもてあそび始めた。 「感じた?」 「そ、そんなわけないでしょうっ! 昼からなに言ってるんですかっ!」 「えー、いやらしい意味じゃなかったんだけどなあ。嬢ちゃんはエッチだなあ」  夜になったらいいんだ、と冗談をつぶやき、青年は指先に髪を巻きつけた。男らしい、長くてしなやかな彼の指。それで愛しげに触れられると、わたしの真っ黒いハズレ髪が美しく見えてくるから不思議だった。彼はなにかを吟味するような目になって、そのまま髪に接していたが、やがてまっすぐな視線のさきをインターホンのほうに戻した。  青年が言う。 「つやがあって、サラサラだ。お世辞でなく、ここまで上等な髪ってめったに見ないんだよ。普通、長くしてれば比例してダメージが蓄積するからな。とくにあんたたち巫女は、女神ラプンツェルと同じ程度に伸ばしてなくちゃならないだろう。なのに、俺が知る限り、あんたの黒髪はいい意味で異常だ」 「い、異常……」 「いい意味で、って言っただろうが。ずっと理由を考えてたけど、今日なんとなく分かった。神殿の外壁にならぶほかの髪と比べて、あんたの髪だけ強いなにかを発してる。そのなにかにあてられて、近づけないやつらが呪いだなんだってほざいてるんだろう」  あの黒髪に近づくと呪われる、なんて言ってる信者もいるみたいよ。  同僚のマウントを受けているとき、聞かされた噂話を思いだす。真っ黒いから、ハズレ髪だから、わたしの髪を求めるひとはいないのだと思っていた。でも、違う理由があったのだろうか。心が打ちのめされる下界の流言を信じなくてもいいのだろうか。  と。 「やっぱり……。わたしも彼女の髪は、どこか違うって思ってた……」  ん? 誰?  すぐ横から高めの声がして、はっとした。  振り向けば、自分のヘッドセットを装着した巫女がわたしの通信機をのぞきこんでいる。髪色はアッシュシルバー、カースト上位のプラチナブロンドの巫女だ。 「えっ? まさか声が聞こえてるのっ? どうしてっ?」 「ごめんなさい、あなたと彼の会話の内容が気になって。ためしにそっちの通信機と接続したら、これが音声を受信しちゃったの……」  プラチナブロンドの巫女が、ヘッドセットを手で押さえながら恐縮する。受信しちゃったの、じゃないだろう、と脱力しかけたわたしだったが、ふとモニターに表示されている接続件数を見て愕然とした。椅子から腰を浮かせて背後を見渡す。 「ひいいっ! みんな、盛大に盗み聞きしないでくださいよっ!」  いつのまにか、広間にいる巫女全員が自分のヘッドセットをわたしの通信機と接続していた。しかもモニターをのぞきこむため、後方でひとの山を築いている始末だ。山の片隅には、青ざめて唇をひき結んだブロンドの巫女もいる。  いくら王子さまの言動が気になるからって……。  となると、青年との無防備な会話中、わたしは殺気だった彼女たちの嫉妬を背負っていたのだろうか。そう思い顔色をうかがってもみたが、巫女たちは大半が陽気に頬を紅潮させていた。両目はきらきらと輝いていて、青年をひたすら見つめている。まるで、そう、推しのアイドルのステージを眺めるファンさながらの姿だった。  なんか、妬まれてる……というより、わたしなんか眼中にない感じ?  わたしを攻撃したがる巫女は、もう見当たらない様子だった。唯一ブロンドの巫女だけが暗い顔をしているが、あきらかに戦意喪失なのでノーカウントにさせてもらう。  よろけながら正面にすわり直すわたしを、青年が笑いとばした。 「嬢ちゃん、ギャラリーにいま気づいたのか。遅いなあ」 「もう、見えてたなら教えてくださいって……」 「最後まで気づかないかと思ったぞ。あんた、他人に無頓着なところあるからな。自分の髪に対してもだけど」  言って、彼は指に巻いた髪を画面にかざす。真っ黒い髪。屋外の陽光を受けて輝くさまは、近づくと呪われる、なんて蔑まれていたのが嘘のようだ。 「そういえば、中断させられてた『異常』の正体な」  忘れないうちに、と青年はさきほどの話の続きを述べた。  いい意味で異常、とわたしの髪を評した理由。ほかの巫女たちの髪と比べて、わたしの髪だけが発する強いなにか。 「十中八九、宿してる霊力だろう。これがダダ洩れするほどみなぎってるから、あんたの髪質は最高なんだよ。上等で、頑丈で、男殺しのエロい髪だ。じゃあみんな、嬢ちゃんが『ハズレ髪の巫女』じゃないのは理解したな。今日からはもう、髪の色を理由にいじめないこと。年頃の女の子たちは、可愛く仲よくしてるのがいちばん」  わたしへの説明のあと、青年はほかの巫女たちにも声をかけた。はーい、と素直に彼女たちは、王子さまの命令を承知する。ただ、聞き捨てならない単語が含まれていたので、わたしはひとり羞恥のために全身をふるわせていた。 「ちょっ……ちょっと、エロい髪ってなんですかっ?」 「ああ、ほんと、どエロいんだよなあ。昼なのにもうムラムラする」  モニター映えする角度に体をずらし、青年が指に顔を寄せる。  そして、チュッと音をたてながら唇をあてた。わたしの髪に。彼が悪い噂を払拭し、新たな評価を与えてくれた黒い髪。 「ギャアアアアア、恥ずかしさで死ぬからやめてくださいよおおおっ!」  でも、感謝の意も忘れ、わたしが絶叫してしまったとき。  ……オン、ゴオン、ゴオン、ゴオン……!  お務め開始を告げる屋上の鐘が、力強く打ち鳴らされたのだった。
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