1/1
前へ
/8ページ
次へ

 ……なんて、最初から割り切っていたわけではない。  美容師の青年の助けがあって、同僚の巫女たちからのいやがらせがなくなり、わたしはようやく冷静に周りを見られるようになった。徹底的に後ろを向いていた思考が、ほんの少しだけ前に角度を変えた。  だから、青年の恩義にむくいるべく、わたしはあの美容サロンを訪れた。 「嬢ちゃんっ! もう店に来てくれないかと思ったぞっ!」 「いや、約束してたんだから来ますって。ところで苦しいです……」  通された個室で、がばっと青年に抱きつかれる。これはセクハラにならないか、なんて野暮な台詞は吐かない。わたしも彼に会えて嬉しかった。 「騒ぎのつぎの日には来るかと思ってたんだ」 「でも一週間目だし、そこまで遅くもないでしょう? ヘッドスパをお願いしますね」  しょんぼりする青年に向かって、わたしは愛想笑いでない笑みを浮かべた。  本当は彼の希望どおり翌日に行ってもよかったが、騒動の最後の悪ノリの余波でためらいを覚えて延ばしてしまった。エロい髪、と発言されたり、髪に唇を寄せられたり。どんな顔をして会えばいいんだ、とわたしも悩んでいたのである。  まあ、あのときはお兄さんのリアクションで事態が改善したんだし……。  ほかの巫女たちの前で公然と、おおげさにわたしの髪を褒めそやす。そうすることで彼は、最下位だったわたしのカーストランクを曖昧なレベルに引きあげてくれた。無冠ながらも実力派、といった感じの不可侵な地位に。王子さまに認められた子ならイジれない、とばかりに巫女たちはわたしをないがしろにしなくなった。  個室の壁のメニュー表を横目に、わたしは青年に聞いた。 「たまってる来店ポイントだけで、お支払いできるスパあります?」 「よしよし、今日は財布のひもが固いな。ドライヘッドスパはどうだ? ようは頭や首のマッサージで、水もオイルも使わないから手軽だぞ」 「じゃあそれで。今日サロンでケアだって言ったら、一緒に行きたがった巫女の子がいて。向こうの用事で無理だったんですけど、つぎは連れてきますね」 「へえ、友達できたんだ。どの子?」 「アッシュシルバーの髪色の子なんです。カースト上位の。以前のわたしだったら、口もきいてもらえなかったような相手で」  騒動の際、わたしの横で盗み聞きをしてたプラチナブロンドの巫女。青年に対する憧れがとくになかった様子の彼女は、わたしに接触してくるのも早かった。わたしの髪がどこか違うと思ってた、と言っていたが、実際のところ単純に色が好みだっただけらしい。 「あなたの黒髪がうらやましかったの!」  思い詰めた口調で、彼女は告白してくれた。 「ほら、わたしの髪って白っぽいじゃない。雪の妖精みたいで綺麗、なんて言われもするんだけど、わたし自身はちっとも嬉しくないの。信者のいたずらで困るだけだし、なによりも傷みやすくて。色素が少ないから弱いのかしら、長く日の光にあたるとボロボロよ。ツヤッツヤでサラッサラの、真っ黒いストレートヘアにわたしもなりたいっ!」  めいっぱいまくしたてたあと、いいなあ、綺麗ね、さわらせて、とプラチナブロンドの巫女は無邪気にわたしの長い黒髪を撫でた。ちょっと、照れてしまった。こういう甘ったるい交流を女の子としてこなかったわたしには、嬉しくて新鮮だった。  ちなみに、しょっちゅうマウントを取っていたブロンドの巫女はというと。  わたしが従来のカーストランクから解き放たれてしまったせいか、遠巻きに見てくるだけになった。というより、あのとき青年がわたしを訪ねてきたのを見た時点で、ハンパないショックを受けて邪魔するのを断念したようだった。  彼に本気で恋していたのかもしれない。でも、思いが脆すぎたのだろう……。  青年に勧められ、わたしはシートに腰をおろした。 「効能はおもに、首や肩のこり、頭痛の改善だな。あとは自律神経の改善とか」  横に立ち、青年はドライヘッドスパの説明を述べる。メニューがなんであれ、わたしは自分が彼に触れられるのが楽しみだった。彼の温かな手につつまれ、丁寧に動く指で撫でられたい。大切にあつかわれている、というのが伝わってきて心が安らぐ。 「どうした?」  黙って耳を傾けていたので、考えごとを始めたかと思われたらしい。青年に顔をのぞきこまれ、なにか話さなければ、とわたしは思わず慣れ親しんだ言葉を口走った。 「いえ、次回は地肌だけでなくハズレ髪もケアしてもらわなきゃ、って」  真っ黒いハズレ髪。  習慣というのは恐ろしい。神殿で巫女になってからずっと聞かされ続けてきた言葉は、なにかの拍子に口から飛びだし場の空気を凍らせる。青年は片目をすがめた。 「あんたの髪質は最高だって言っただろ」 「ああっ、違います! 次回はせっかくなら倹約しないで髪のケアもしてもらおう、って意味です! その、たまにですけど、参詣でわたしの髪を選んで触れてくれる信者もいるので。髪の状態がいいほうが、送った霊力も伝わりやすいので」  どうしよう、つまらない自虐で嫌われたくない。  あたふた、とわたしは言い訳する。適当な嘘ではないと証明したくて、薄っぺらな愛想笑いは添えなかった。二、三秒ほど青年は真顔になっていたが、そのうちに目尻をさげて口角もあげた。余裕に満ちた大人の笑顔だ。 「分かった分かった、しゃーない。あんた塔から出たばっかのところだし」 「え? ご、ごめんなさい。意味が……」  呑みこみにくい返しをされて、戸惑った。悪い、すべった、と青年は言い、ひらひらと片手を振ってみせる。その手をわたしの頭に置くと続けた。 「魔女の塔から出たばっかりの、ラプンツェルなんだって言いたかったんだよ。敵の古い正義から解放されて、でも新しい正義にまだめんくらってる状態。カルチャーショックが激しいんだろうなあ。まあ、ゆっくり慣れていけばいいさ」  いいつけをやぶり、塔を追い出されたラプンツェルは、森で王子と再会する。  断罪された『いけない子』が、真実の愛をつかんで幸せに暮らす。塔のなかでは間違っていたはずなのに、外の世界では間違っていなかった。最初こそラプンツェルは、わけが分からなくてつらかったろう。正しさはどこ、ともがいていたかもしれない。  完璧な女神だって、かつては不完全な人間の女の子だったのだ。 「すみません」  頭に青年の手を乗せたまま、わたしはまつげを伏せた。後頭部を、つぎは耳を、彼は撫でながら励ましてくれる。優しいぬくもり。 「べつに悪くないんだから謝るなよ。あと、今日の髪は俺がたっぷり可愛がって手入れしておく。どこぞの信者にさわらせるため、と考えると癪なんだが……」  ぬくもりが、首筋から肩にかかる髪へと移動する。彼の指に梳かれ、黒髪がさらさらと音をたてる。さらに手触りがよくなって、輝きも増しているのだろう。きっといま、髪からただよう強い霊力が彼の体温と融けあっている。  恥ずかしいけど、気持ちがいい。  ふるえがこみあげてくるのを感じた。恐怖のではない、甘やかなふるえだ。  わたしは、青年が好きなのかもしれない。数々の自分の反応を顧みて思った。あの日、髪に触れる彼をモニターを通して見ていたとき、体はたしかにうずいていたのだ。自分はほかの巫女たちと違う、彼に憧れているわけじゃない、と信じていたのに。雲の上の王子さまに恋心なんていだくはずがない、と自分を卑下し続けていたのに。 「ほんとに男殺しの髪してるよなあ……」  視線をあげると、青年の笑顔があった。たっぷり可愛がる、という言葉のとおり糖度の高さを隠さない表情だ。どんな過ちも許してもらえそうな姿に、わたしはすべてをゆだねてしまう。両目を閉じて、全身の感覚を彼の手に対応させる。この手に導かれ、髪だけではなく全身を愛撫される妄想にふける。  なんて、いけない妄想だろう。  けれど、自分を取り巻く正しさはいつだって変わっていく。いけない妄想が、許される妄想になるかもしれない。彼がわたしを受け入れてくれる奇跡が起きたら。  たくさん間違えたとしても、かまわない。  塔の外に踏みだしたラプンツェルは、したたかに、臨機応変に生き抜いた。  わたしもゆっくりと、新しい世界を知っていこう。青年の、導いてくれる王子の手が、かたわらにあるのだから。 ―END―
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加