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二学期が始まると同時に訪れた秋雨は、ぐずぐずと長引く気配を見せている。本来は季節の変わり目を告げるはずだが、蒸し暑さは変わらないところが忌々しい。
(なんだったんだろうな)
昨日の意外な出会いを回想しながら、志貴には大して意味のない行動だったのだろうと結論づけた。気まぐれ・ちょっとした気分転換・寄り道……彼が答えた通り、『たそがれたいお年頃』なのだ。
降り止まぬ雨のせいで、放課後の校舎は密やかな空気に満ちている。校庭が利用できないため、運動部の多くは休みか屋内でのトレーニングに練習内容を切り替えざるを得ない。居残る生徒も少ないのか、屋上までの道のりは静かで、自分の足音が殊更に響く気がした。
屋上のドアを開けるまでの間に、昨日の出来事はすっかりと忘れていた。
「わぁ!!」
雨の下で仁王立ちしていた志貴に驚き、腹の底から声が出た。昨日は持っていなかった傘を手に、彼は白い歯を見せてニッと振り向いた。
「本当に来た! すげえな、雨続きなのに」
「ど、どど、どうして……」
温基の驚きなど意にも介さず、志貴は傘をくるくると回しながら近づいてくる。どんよりと重苦しい灰色の空の下、太陽を映したかのようなオレンジ色の髪が揺れ動く。
「毎日、撮りためてるってすごいじゃん。作品を見せてよ」
「さ、作品なんて大層なモンじゃないよ。……季節によって空の色が違うくらい。なにも面白くない」
「あ、タメ口だったけど、まさか先輩じゃないよね? 一年? 俺は二年五組の志貴。志貴弘夢」
「……有名だから知ってる。僕は、二年一組の森元温基、です……」
よかったータメだ。雨空を仰いだ志貴の声が朗らかに立ち昇る。深緑色の傘をさしたままフェンスまで歩く彼の足元に目が釘づけとなった。虹を模したような柄の短い靴下から、存外に武骨な足首がのぞいている。
皮膚が引きつったように残る手術痕は、彼がサッカーを辞めた原因だ。
(試合中の怪我だっけ……)
クラスやカーストが違えど、有名人の噂は温基の耳にも入ってくる。それでも、廊下や集会で見かける志貴の姿は(髪型を除いて)大きな変化はなく、いつも通り、目立つ連中と楽しそうに笑い合っていた。
大したことはないのだろう。
遠巻きに眺め、そんなことを感じた記憶がある。
知りもしない同級生のちょっとした変化。
勝ち組の頂点に立つ、別世界の人物の身に起きた不幸。
温基にとっては、雨雲の向こうに広がる宇宙ほどに遠い出来事だ。
「ねえってば!」
「はいぃ!」
いつの間にか、すぐそばまで来ていた志貴の声で我に返る。「もー、一人でたそがれないでよ」……見た目よりも柔和な喋り方をするのだなと、頭半分ほど上にある整った顔を見上げて妙な関心をする。
「見せてよ、屋上からのベストショット」
「……撮ったデータは家のパソコンに移すんだ。だから、いまは一枚も残ってない」
数秒の沈黙にひやりとする。温基を見下ろす志貴の表情に動きはなく、綺麗に持ち上がった口角から発せられた声音も穏やかなものだった。
「そっかぁ。それは残念」
少しも残念そうではない彼のつぶやきは、強まり始めた雨の音に掻き消されて落ちた。
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