雨空にマリーゴールド

2/7

1人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
 屋上に続くドアを開けた途端、生温い風に全身をなぶられた。  落下防止用フェンスに囲まれた校内最上階の四角い空間は、好天の昼休みにはくつろぐ学生もちらほらいる。  だが、雨天の放課後、わざわざ屋上に足を運ぶ物好きはそうはいない。  塔屋のドアを押し開いたままの姿で固まる温基(はるき)の気配に、はようやく気づいて振り返った。 「お、人が来た」  呑気な声が温基の耳を通過する。霧雨とはいえ、雨具がなければ頭のてっぺんから爪先まで濡れる天候だ。  そんなことは一切構わずに、彼は屋上の中央付近に堂々と座りこんでいた。 (マリーゴールドみたい……)  灰色一面の空を背景に座る彼の、鮮やかな色の髪が目に眩しい。一応は茶髪の部類なのだろうが、オレンジ色に近い明るいカラーリングと、ツンツンと尖らせたヘアスタイルは、非常に目立つ。 (志貴(しき)弘夢(ひろむ)……)  学年、いや校内一の有名人の顔と名前は、地味属モブ科の温基でもよく知っていた。サッカー部のイケメンエース……言葉で表すと、なんとも軽薄ではあるが、それらの要素が備われば、人生の半分は勝利したといっても過言ではない。 (なんで、コイツがこんなところに……)  高校生活も早や二年目に突入したが、恐らくは在学中に関わる機会はないと確信している一軍男子筆頭の同級生が、雨の中、一人屋上で座りこむ理由は思いつかない。 (やっぱ、荒んでんのかな……)  挑発的なオレンジ色を見つめて考察する。  数ヶ月前まで、志貴は天使の輪が煌めくサラサラ黒髪で全校の女子を虜にしていた。突然のイメチェンは彼の印象をガラリと変え、ファンを大いに嘆かせたものだ。  黒髪終了と同時期、志貴はサッカー部を辞めた。 「もしかして、部活?」  入口に突っ立ったまま黙考していた温基は、低い声の問いかけにはっと顔を上げた。いつの間にか立ち上がっていた志貴は、濡れることなど気にもせずに、温基の胸元をビッと指さした。 「あ、あの、ええと」  首から提げたデジタル一眼レフカメラを無意味に触る。緊張すると喋りすぎてしまうのは、子供の頃からの悪い癖だ。沈黙に耐え切れず、といって上手く会話を交わせるでもなく、ただただそんな自分がもどかしい。 「ほ、放課後は毎日、ここで撮影してるんだ。写真部の活動……というか、ほぼ個人の趣味というか」 「毎日!? こんな雨の日でも?」  少しだけ眦の釣り上がった形のよい瞳が見開かれる。端整な顔に刻まれた驚きから目を逸らし、曖昧に肯定する。 「そっか。俺、邪魔してるな」 「い、いえ、そんな。志貴、くん、は、なんでこんなところに……?」  遠慮がちに問いかけると、志貴は「うーん」と低く唸り、答えを求めるように天を仰いだ。こんがりと日焼けした痩せた腕が雨空へと伸び、陽光を求める向日葵の立ち姿のようであった。 「たそがれてみたいお年頃、ってヤツ?」  アハハと軽快な笑い声とともに、志貴は屋上を後にした。  狭い入口で擦れ違う瞬間、雨の匂いに混じって、柑橘系の整髪剤が温基の鼻をかすめた。 「雨、降ってんのに?」  思わず零れた温基の質問は、雨とともに静かに霧消した。
/7ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加