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華やかな店内とは対照的に、穴の中は暗澹としていた。光はなく、壁も床も天井も、ボロ布のようなもので覆われている。穴の直径は二メートルほど、ずっと先まで伸びており奥行きはわからない。
「かなり深い……。これは手ごわそうだ」
「どうします?」
「行くしかないでしょう」
野生子はかんざしを抜いた。銀色の小枝を模したそれは、野生子の手の中で魔法の杖となり、白い光を放ちはじめる。ちなみにかんざしを抜いても、彼女のまとめ髪は崩れなかった。もともと目立たぬよう、ヘアピンであちこち留めてあるのだ。おしゃれの神は細部に宿る。
「他のお客さまがいらっしゃる前に、戻って来なければ」
野生子は杖をかざし、一歩踏み出した。迷宮の床は、少し体重をかけただけでも沈み込む。よく見れば、それは色あせた衣服の塊だった。四方が積み重なった古着で形作られているのだ。
心もとないその上を、野生子のジミーチュウは迷わず進んでいく。水原のスタンスミスが後に続いた。
野生子の持論では、人間は大きく二種類に分けられる。それは試着を好む人間と、好まない人間である。
前者に属するのは、もともとおしゃれ好きな人びとだ。中には、入店した瞬間から頬が紅潮して瞳が輝き、興奮で呼吸を荒げながらラックの間を徘徊するような猛者もいる。そこまではいかずとも、できるだけ多くの人がこちらのタイプになってくれるよう野生子は心を配っているつもりだ。
一方後者は、そもそも店に入りたがらない。入ったとしても店員を話しかけるなオーラで牽制し、最初に目に入った服をひっつかんで出て行こうとする。会計時に「こちら、サイズはSとなっておりますがよろしかったでしょうか?」と聞くだけで動転しかねないタイプだ。彼らにとっては試着など、苦痛の儀式でしかない。
おそらく、今回のお客さまは後者なのだろう。野生子は思った。何らかの理由でファッションに対して抱いているコンプレックスが、運悪く店内の魔力と反応してしまったのだ。
複雑に枝分かれした道を、杖の光と魔女のカンを頼りに進んで行く。どこか奥まったところから、うつろな風のささやくような音が聞こえてくる。
「あっ、あれ」
水原が声を上げた。前方に、ぼんやりと淡黄色に輝く何かがある。
近づいて見ると、古着の壁に少女用のワンピースが引っかかっていた。一面にヒマワリがプリントされた、夏らしいデザインだ。
そのとき、風に乗って闇の奥から声が響いてきた。
『ひな子、これを着たいの? ママはちょっと……。少し肩が見え過ぎるんじゃない?』
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