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揺れがおさまり、野生子はゆっくり顔を上げた。体に覆いかぶさっていた布をかき分けると、はっと明るい照明に目がくらむ。シャンティの店内に戻って来たのだ。
よく見れば、あたりに散らばっているのは店の展示品だった。迷宮の断末魔は現実世界にまで及んだのか、店内は竜巻が通り過ぎたかのような有様である。あまりの惨状に、野生子は思わず呪詛をとなえかけた。
「ちょっとお、大丈夫~?」
通路の向かい側から、ナチュラル系ブランドの店員が顔を出す(こちらは木の精である。ファッション業界には魑魅魍魎が多いので)。野生子は同僚の声を無視して立ち上がると、さすがに乱れていた髪を手早く整えて杖をさし直した。水原がすぐそばでひっくり返っているのを確認し、カーテンの開け放たれた試着室に向かう。
中には、呆然とした顔つきで座り込む若い女性がいた。
「私、いったい……」
夢から覚めたばかりのような表情で見上げられ、八十五ミリのヒールで仁王立ちした野生子はエレガントな笑みを浮かべてみせた。
「やっぱり、明るいお色がお似合いですね!」
カーテンが開かれると、野生子は試着を終えた女性――ひな子さんに掛け値なしの賛辞を述べた。
迷宮から無事帰還した彼女のために、野生子はあらためてコーディネートを提案したのだった。カナリヤ色のサマーニットに、赤いラインの入ったブルーのワイドパンツ。カーキ色のカーディガンやシックな柄のスカーフを合わせれば、初秋まで着られる装いになる。
「お客さまはスタイルがいいから、パンツの丈詰めも不要ですね!」
水原もニコニコしながら褒めそやす。ひな子さんは頬を染め、姿見に映る自身をじっと見つめていた。これなら大丈夫、と野生子は思った。この方はご自分を認められた。他人が何と言おうと、それが一番大事なことだ。
「ありがとうございます……こんなにおしゃれするのは久しぶりで、なんだか変な感じ」
「素敵でございますよ。ちょっとしたお出かけにもぴったりです」
「あ、でもあの……購入するのは来週、また来たときでもいいですか?」
彼の意見も聞いてみたいので。と恥ずかしそうに言う。この場で売上を確定させたい気持ちを抑え込み、野生子は「もちろんでございますー!」とうなずいた。来週まで、『陰』の気を溜め込まないようにしなければと心に誓う。
結局その日、ひな子さんはアクセサリーを一つ購入してシャンティを後にした。小鳥をかたどった、小さなビーズ刺繍のブローチである。ガラスビーズの色は黒。だが光が当たると虹色に輝くカッティングが施されており、胸元にとまらせれば、どんな色鮮やかな服にも映えるだろうと思われた。
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