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「アルフレッド様……」
どうして貴方が被害者みたいに苦しそうな顔をできるのかと、冷たい目で言い捨ててやりたいような気持ちもある。
でも、これからずっと身内として接することとなるこの男に――そして、シンシアを庇いミアを注意する程度には良心のあるこの男に、今更追い打ちをかけるような嫌味を言うのは忍びない。
(なんて声をかければいいのだろう。『ありがとう』はおかしいし、『ごめんなさい』もちょっと変だし)
だいたいどうして私が悩まなければいけないんだ、なんて納得いかない気持ちを持て余していると、彼女の伏せ気味の瞳をどう解釈したのか、
「シンシア」
アルフレッドは両手でシンシアの肩を掴み、強引に正面を向かせた。
「アルフレッド様?」
「聞いてくれシンシア。俺はまだ君が好きだ」
「やめてください、あの」
「あのときの過ちは本当にすまなかった。もし俺を許してくれるなら、頼む、二人で逃げてほしい」
「なにを仰っているんです、ねえ」
「東の奥地に公にできない結婚を執り行ってくれる教会がある。そこで二人きりで式を挙げて、ほとぼりが冷めるまで隠れて暮らそう。きっと楽じゃないと思うけど、金には多少の余裕があるし、君もこのミストムーアを売ればまとまった金が手に入るはずだ」
アルフレッドの太い指がぎりぎりと肩に食い込んでいく。痛い、と叫びたいのに、喉が渇いて声が出ない。
目を見開き、必死になって言い募るアルフレッドの顔は、まるで何かにとりつかれたみたいに凄惨だ。こめかみが小刻みにひくつき、唇は絶えずわななき、彼がどれだけ真剣な気持ちで懇願しているのかがわかる……が。
「ま、待って……やめて……!」
迫られるシンシアにしてみれば、こんなのもはや恐怖でしかない。自分より遥かに体格のいい男に肩を掴まれ、華奢な女に恐怖を感じるなという方が無理な話だろう。
しかも要求されるその内容は、到底受け入れられない話だ。いったいどうして自分が彼と駆け落ちをしなければならないのか、逆に理由を教えてほしいくらいだ。
「わ、私、アルフレッド様と一緒に行く気はありません」
「どうして!?」
「どうしてって、だって、私、ここに越してきたばかりです。ミストムーアを売り払うなんて少しも考えられませんし、……それに、……」
今はもう、貴方への想いは過去の思い出になったのです。
後々のことを鑑みれば、ここではっきりそう告げてしまう方が良かったのだろう。だが、迫る恐怖におののきながら、シンシアにできることといえば、ただ弱弱しく哀願するよう必死にかぶりを振ることだけだ。
「どうしたら……どうしたら俺を許してくれる?」
「あ、アルフレッド様、やめて、」
「なあ、シンシア、お願いだよ、もう一度チャンスを」
そのとき、ふいにアルフレッドが顔を上げたかと思うと、掴まれていた両肩の痛みが突然ふっと楽になった。
視界の間近に影がかぶさり、シンシアはおそるおそる顔を上げる。……この、見慣れた燕尾服と、濃紺色の柔らかな髪は。
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