第一章 霧の町ミストムーア

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*  入ってすぐの螺旋階段。  右手に控えるプチサロン。  奥にはシャンデリア付きの大部屋と、整えられた広い庭。  外見ではずいぶん小さく感じたが、城としての機能はきちんと備えられているようだ。  ただ、質素で品のある外観と比べ、中の調度品は豪奢というか、王都の流行りも取り入れられた華美な雰囲気を漂わせている。 「これらの調度品は皆、エデン様が王都からお取り寄せになったものです」  シンシアの心を見透かしたように、金色の瞳の美しい青年――執事セオラスが言う。 「いずれも一流の家具職人や織物職人が手がけたものだとか」 「確かに、どれも見ただけで価値あるものだとわかるけれど」  こんなに大きなシャンデリア、よくまあここまで持ち込んだものだ。両親や妹が好きそうだと思いながら、シンシアはサロンを後にする。 「エデン叔母様は、こういうのがお好きだったの?」  問われたセオラスは一瞬言葉に詰まったような顔をして、しかしすぐに笑みを戻すと「そうですね」と当たり障りなく答えた。  エデン。  螺旋階段のその半ば、踊り場に飾られた大きな肖像画。  豊かな黒髪を肩口から乳房の合間に向かって流し、胸元に薔薇を添えた赤いドレスをまとう女性。白い肌、長いまつ毛、力強く美しい眼差し、そのどれもがただの絵だと言うのに凄まじい存在感を放っている。  シンシアにとって彼女は、父親の妹にあたる。ミストムーアの元の城主で、先月病没した女性だ。  子どもはなく、夫もすでに鬼籍に入っているとのことで、彼女の死後、ミストムーアの主人の座は空席になったのだ。  ミストムーアは王都から遠く、特徴もない田舎町だ。親族の間でもこの土地と城を引き取りたがる者はなく、結果としてシンシアの元までお鉢が回ってきたのである。  別に断っても構わないと言う父を振り切り、シンシアは二つ返事で相続を了承した。そして別れの挨拶もそこそこにたった一人で馬車に乗り込み、こうして新城主としてミストムーアへやってきたのだ。 「私、エデン叔母様とは一度もお会いしたことがないの。私が産まれるより前に家を出て行かれたらしくて」  絵画の中のエデンを見つめ、シンシアは独り言のように言う。 「だから、叔母様とは血の繋がりはあるけれど、趣味とか、考え方とかは、色々違っていると思う。ごめんなさいね、慣れるまで迷惑をかけるだろうけど」 「迷惑など、とんでもない」  ふ、と口元を柔らかく緩め、セオラスは綺麗な目尻を下げる。 「ミストムーアはシンシア様のものであり、私はシンシア様にお仕えする執事です。御用の際はなんなりと、どんなことでもお申し付けください」 「あらそう? じゃあさっそく、サロンの家具を全部取り替えてもらおうかな。玄関もサロンもみんな揃えて、ヒヤシンスブルーのシックなものにね」 「そ、それは」  さすがに目を丸くしたセオラスを見上げ、シンシアはいたずらっ子のように微笑む。  冗談だよ、と言うまでもなく、彼にはちゃんと伝わったようだ。二人は顔を見合わせたまま、くすりと小さく笑みを漏らす。  ――そしてその若き二人の横顔を、絵画の中の美しきエデンが声もなく見つめていた。
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