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「そういうわけじゃないの。ただ、楽しいなって思っただけ」
「そうですか、安心いたしました。うるさく感じられたなら、遠慮なく仰ってくださいね」
「うるさいなんて、そんなことない。むしろ素敵な声だと思う。穏やかで、優しくて、少し低いところが心地良い。早口じゃないから聞き取りやすいし、話の内容も面白いし……」
この城で暮らす使用人たちは、皆あまりシンシアと関わろうとしてこない。新たにやってきた年若い主人がいったいどの程度のものなのか、値踏みするような眼差しで遠くから眺めてくるばかりだ。
もちろん雇われ人ではあるので相応の働きは見せるものの、人と人との繋がり、親しみ、絆のようなあたたかなものを、この城の生活の中で感じることはほとんどなかった。
その点セオラスだけは、最初からシンシアに好意的だった。ここで働くどのメイドよりもシンシアの傍近くに仕え、事あるごとに声をかけたり、こうして世話を焼いたりする。小難しい本の話に付き合ってくれるのも彼だけだ。
人を避けるよう王都を離れた身で勝手なことだとは思うが、シンシアは正直なところ、セオラスの存在にはかなり救われていたのだ。少なくとも、困ったときにうっかり名前を出してしまう程度には。
「ミストムーアは魅力的な場所だけど、一番素敵なのは貴方かもしれないね」
それは本当になんの気なしに、ぽろっと口からこぼれ出た言葉だった。
だが、言った途端にはっと気づいて、シンシアは弾かれたように顔を上げる。そしてセオラスの紅潮した頬、見開かれた瞳に気づいた瞬間、彼女の頬もまた彼に負けない鮮やかな朱に染め上がった。
「ええと……これは、その、」
「は、はい。……」
二人の間に沈黙が舞い降りる。遠くで名もなき渡り鳥が二羽、囁くような声で鳴いている。
ふいにどこかから風が吹き抜け、白い日傘を激しく揺らした。大きく翻る傘の柄を急いで両手で握り直す、その際セオラスの左足が一歩大きくシンシアへ近づく。
自然、されるがまま縮まった距離に、身構える間もなく彼の顔を見上げ、シンシアは言葉を忘れたようにただ息を呑んだ。
間近に見えるセオラスの面立ちが、紅潮はそのまま、しかし真剣に、力強く引き締まっていたからだ。
「……初めてシンシア様をお迎えしたとき、本当に驚きました。この世にはこんなに美しい、天使のような方がいるのかと」
「そ、そんな」
「その時の気持ちは……今でも変わっていません。むしろ貴女のことを知るたびに、私の想いは日増しに強く、激しくなっていくくらいです」
そこで一旦言葉を切り、セオラスはふわりと、溶けるように笑った。
「ミストムーアの新たな主が、シンシア様でよかった」
どき、と。
胸が熱くなるのがわかる。心臓の鼓動が早鐘を打ち、みるみるうちに体温が上がる。
セオラスの整った顔が――透き通るような金色の瞳が、ただまっすぐに自分を見つめる、それだけ全身が震えて。
その瞳から逃れたいような、見つめていて欲しいような……相反する二つの感情が胸の内をせめぎ合い、シンシアは吸った息の吐き方すらわからなくなる。
そのときだった。
「おやおや。まるで王都の恋愛劇でも見ているようだ」
からかうような明るい声に、先に反応したのはセオラスだった。彼はさっきまでの熱のこもった眼差しが嘘のように、瞳を鋭く尖らせて声のした方をねめつける。
「執事長……」
「お楽しみのところを申し訳ないね、セオラス。しかしこちらの件については、我が主人に早めにお伝えせねばならんと思ってね」
パーシヴァルは遠慮なくシンシアの方へ歩み寄ると、ベストの胸元から一枚の白い封筒を取り出した。
「シンシア様へ、王都から――ご両親からお手紙です」
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